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2.2

 駅に着いたときにはもういい時間になっていて、ふたりとも運良く座席に座れたのは、まさに運以外の何者でもなかった。

 電車のなかは芋を洗うような混雑で、隣に座る彼女の声も顔を思いきり近づけないと聞こえないありさまだ。

 わたしの左側に座っている彼女は混み合う電車が苦手な様子で、乗りこんでからしばらくすると威勢のいい面影はどこかへ消えていってしまった。

「すごく混んでるわね。お休みだし、遊園地なんて行ったら子連れでいっぱいなんじゃないの?」

 わたしの声に、彼女は手を耳に当ててよく聞こえなかったことをアピールした。

「すごく混んでるねーっ」

 彼女は、うんうん、と頷いた。

 もう、この混雑は毎日の通勤だけでうんざりだ。

 熱気が彼女の私怨も周りの雑念もみんな飲み込んでしまうくらいに辺りを支配していた。

 右に左に翻弄される人だかりとわたしと彼女は、苦労を共にする盟友のようなもので、唐突に袂を分かつこともあれば、期せずして新たな友が加わることもあった。そんな仲間意識を感じていたのは電車のなかでわたしひとりだけだったかもしれない。それは何分かおきに何度も繰り返され、ついにわたしたちが離脱するときにも周りはなんの関心も示さなかった。

「結構人がいるわね」わたしが言うと、彼女は疲れた表情でまた、うん、と頷いた。

 同じ駅で降りる人は思った以上にいて、わたしはその人の多さに呆気にとられてしまった。

「ああ、もう人混みなんていやっ」

 彼女は人混みの真ん中で怒号した。しかしその声はわたしの耳までかろうじて届くと、すぐに雑踏に掻き消された。

「こうなったら強行突破よ。裕子さんも遅れないで!」

 彼女はいつものたくましくて頼りになる姿に戻って、人混みをものともせず掻き分け進みはじめた。わたしは早歩きの彼女から離れないようにとぴったり後ろにくっついて構内を歩いた。

「ほら、こっちよ」

 彼女は黄色い案内板を指さして振り向いた。

「なんだかもうここまでで大冒険って感じね。冴恵さんなんて普段電車使わないから疲れたんじゃない?」

 彼女はとびきりの笑顔でそんなことはないと主張した。

「冒険はこれからっ。気合い入れてアトラクションを全部遊び倒すわよ!」

 彼女は意気込んでファイティングポーズを取った。


 休日の遊園地は当然と言えば当然なのだが、それにしたってあまりにも人が多く、正面入り口を通ったところでアトラクション全制覇の目標は夢幻のように散った。

「参ったわね。これじゃあせっかくの一日フリーパス券が無駄になっちゃうじゃない」

 彼女が前に並んでいる子供よりも口をとがらせてぶうぶう言い出したのは、ひとつ目のアトラクションに並びはじめて十分くらい経ったときだ。

「休日だもの。仕方ないよね」

 周りのどこを見ても人のいないスペースは見あたたらない。

 ただの道端にさえ人は溢れている。

 右を見ても左を見ても人、人、たまにテーマパークのマスコット。上を見ても下を見ても人の声、音、絶叫。

「今なら世捨て人の気持ちがわからなくもないわ」

 彼女は深く頷いてわたしの意見に同調した。

「もうっ。混むってわかっている日に、なんでまたみんな集結して混雑に輪をかけようとするのかなっ。集団主義。日本人の悪いところよ」

 彼女は自分以外のすべてを見てそう評した。

「ねぇ、どうして混みそうな日を選んだの?」

 そう訊くと、彼女は腕組みをして額にしわを寄せた。

「完璧だと思ってたわたしの計画もひとつ誤算があったのね」

 彼女はひとつのことに集中すると少し抜けたところが出てきてしまう。

「まったく。わたしたち以外の人がいることを考慮するのをうっかり忘れてたわ」

 そう言って表情を崩し、ぺろっと舌を出した彼女とわたしは、傍の賑わいに紛れて大声で笑った。


 そんなことをぺちゃぺちゃ話しながら、たまにオーバーなアクションで笑わせてくれる彼女のおかげで、密集したなか長時間並ぶのもそれほど苦にならなかった。

 彼女も並ぶだけなら疲れ知らずといったところで、興奮してこぶしを振りあげた拍子に後ろの子供の額に肘鉄を食わして、お母さんに睨まれたとき以外は常に元気を保っていた。

「午後こそはがんばらなきゃね」

 彼女は買ってきた揚げドーナツと温かそうなスープをテーブルに置くなりそう言った。

「うん。まだひとつしか乗ってないのに、もうお昼近くなっちゃったものね」

 わたしは食料調達してきてくれた彼女の労をねぎらってから、まずはドーナツに手をつけた。

「お昼、本当にこれだけで足りる?」

「うん、わたしは大丈夫。冴恵さんはいいの?」

「わたしも平気よ」

 彼女は口をもごもごさせながら、午後のプランを立てようとパンフレットをテーブルの半分に広げた。

「それにしても、外に席があるところを選んでよかったわね。すごく気持ちがいいわ」

 彼女が押さえつけるパンフレットは静かにはためいた。

 近くのアトラクションから聞こえてくる男の人の勇ましい声やお客さんの歓声に合わせて、彼女はアトラクションの様子を想像だけで実況した。

 そんな彼女にわたしもまた戯けてつっこんだりする。居心地のよさについつい食べる速度も遅くなり、ふたりでいつまでもここに居座っていた。

 さっきまで隣のテーブルで食事していたはずの若いカップルは、いつの間にか孫を連れた年配の夫婦になっていたし、飲みかけだったスープはもういつの頃からか冷めてしまっている。

 以前は騒がしいくらいだった彼女も、今はもう思いだせないくらい前から黙りこくっていた。

 わたしはドーナツをひと口食べて、口数の少なくなった彼女を遠目に見た。

 彼女の瞳は一点を見つめたままで、すぐ前にいるはずのわたしを知らずにいた。

「裕子さん」

 彼女がわたしの名前を呼んだのは、わたしが声をかけようとしたちょうどそのときだった。

「どうしたの」

 彼女は目線でわたしの後ろを指した。

 振り向いて見た先では、見知らぬ男女が会話を楽しんでいた。

「あの人、初めて会った頃のあいつになんとなく似てるわ」

 向き直ったとき、彼女は最後に残った少し大きめのドーナツのかけらを手に取り、ほほえんで彼らを見つめていた。

「時間が過ぎて変わったものは、きっとなにがあっても元に戻らないんだわ」

 彼女はそう言って、最後のドーナツを頬張った。

確かに隣の老夫婦はもう若い恋人同士には戻らないし、冷めてしまったスープも温かかった頃を思いだすことはないけれど、それでも彼女だけは五年前に戻っていた。

「わたしとあの人がつき合いだしたのってね、ナンパがきっかけだったの」

 彼女はかわいい笑顔で指をぺろぺろなめた。

「ねぇ、笑えない? 彼がナンパしてきたのよ。緊張し過ぎて前髪なんてぷるぷる震えていたわ」

 彼女はそんな彼が憎くてではなく、愛しくて笑っていた。

 わたしが彼女の旦那さんのことをあまり詳しく知らなかったのは、彼女が職場でも、こうやって遊ぶときでもあまり彼の話をしなかったからだ。だから、彼女がこんなに彼の話をするのはちょっと不思議だった。

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