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2.1

 明くる日はカーペットの上で目を覚ました。

 厚手のカーテンにぼんやりと滲む外光から朝か昼かを推測するのは容易ではなく、体を半分起こして細い目のまま壁に掛かる時計に目をやる。まだ七時を回ったばかりであることを確認してから、首を左右に振って今度は彼女を捜した。

 ベッドに横たわる彼女を目が捕え、家主として客人への最低限のもてなしはできたことにひとまず安心し、わたしはまた横になった。

 昨日の夜はずいぶんと話をしたけど、結局どうしてこんなことに踏み切ったのか、ことの心髄を聞くまでには至らなかった。

 たぶん今まで溜まってきたうっぷんが爆発してしまったとか、そんな類のことだと思ったけど、わたしも詮索なんてしたくなかったから詳しく聞こうとはしなかった。

 彼女の旦那さんとは一度だけ会ったことがあった。彼女とふたりでこのぼろアパートを訪ねてきたただの一回きりだけだが、誠実そうな彼の印象はとってよかった。確か彼女とは同い年で、まだ三十前だというのにも関わらずしっかりした人だと感心した覚えがある。

 昨日はそんなことを言ってそれとなく彼を褒めてみたが、彼女がその言葉を否定することはなかった。わたしの持っていたイメージは彼女の言う男と割合一致していたのだ。

 彼女が言うに彼は、人当たりがよく、人間関係も如才なく立ち回れるために職場ではかなりの人望を集めていて、さらに、そこそこの収入を上げているから、毎月しっかりと家庭にお金を入れてくれるような最悪の男だということだ。

 彼女が言うのは要領を得ない繰り言ばかりだったが、最後に、協力頼んだわよ、と言われたのはなんとなく覚えている。

 なにを頼まれてなにを引き受けてしまったかわからないが、彼女に圧倒されたわたしはただ頷くしかなかった。

 圧倒されたのはそれだけではない。あの記録破りの量をふたりだけで飲みきっておいてわたしが二日酔いをしていないのは、その大部分が彼女によるものであったことを物語っているのだ。

 わたしはゆっくり息を吐く。

 まだ少し眠いわたしの脳は、目をつむったままこれからの行動をひとつひとつシミュレーションしていく。

 まずはトイレに行って、顔を洗って、彼女のための胃薬を用意して。そう、それから今日は一日、彼女の誘いで近郊のテーマパークに遊びに行くんだった。どういうわけか、それも彼からすべてを奪う計画の一環だというのだ。

 意識あるなかでするひと呼吸、ひと呼吸がもったいないと感じるほどに睡眠に貪欲な体は、シミュレーションの一切を無駄にしてでもこのままでいようとわたしを誘う。

 ずっとこのままでいたらどうなるんだろう。そう思うと鼓動が少しだけ速くなる。

 堪らず、目を閉じたままで再び上半身だけを起こした。

 少しだけ体がだるい。

 こんな日は一日家でごろごろして休養を取っていたいし、横でぐったりしている彼女にはことさらそれが必要だと思う。

 それでも彼女は行こうと言うだろう。

 頑固なところがある彼女は、計画を完遂するためなら自分の体に鞭も打つはずだ。

 ぼうっとしている脳みそをどうにかこうにか奮い立たせて、ついに覚悟を決めて目を半開きにすると、さっきよりも幾分か部屋のなかが明るくなっているような感じがした。

 何度かの長い瞬きの末にやっと立てひざをつき、それからひと息ついてようやく立ち上がった。

 見渡した部屋は意外なほどに整頓されていて、散乱しているだろうと思われた空き缶は流しに置かれて、もうゆすがれているようだった。

 彼女は安らかな顔で眠りこけていて、ベッドの横にある窓を風が叩く程度は、彼女を起こすのに一臂の力にもなっていなかった。

 伸びをしたわたしの体の端々からは骨のきしむ音が聞こえてきて、油の代わりにアルコールを差してやった各所の関節からはぎしぎしとだるさを訴えられる。

 トイレに行って、歯磨きをして、洗濯機をスタートさせて。一度目が覚めればわたしはテキパキと作業をこなす。

 部屋に戻ってきたとき、部屋のカーテンは目覚めたばかりの彼女によって開けられていた。

「おはよう」

 そう言った彼女は、ベッドに座ったままで少し体を伸ばした。

「おはよう。気分はどう?」

「最高よ」

 彼女がわたしよりもたくさんの量飲んでいたのは明らかだったが、「アルコールなんてもう一滴も残ってないわ」と言った彼女は確かにわたしよりも気持ちのよい朝を迎えたように見えた。

 それでも念のためにと、彼女が洗面所にいるあいだに薬箱から胃薬を取りだしておいた。

 顔を洗ってさっぱりとした表情になった彼女は胃薬の容器を見て、そんなもの飲まなくても大丈夫、と首を振ったが、わたしが水を汲んだコップを彼女の手にねじ込むと、あっさり折れて粉末の薬をさじですくった。

「今日遊びに行くのだってわたしの大切な計画のうちだものね。体調は万全にしておかなくちゃ」

 彼女の旦那さんは昨日だけで彼のすべてのうち、三分の一を彼女に奪われている。

 彼女が言うにはこの計画は完璧だということなのだが、わたしは女ふたりで年甲斐もない場所に遊びに行くことによってなにが変わるのか、彼女から聞いていなかった。

「今日、これからの行動も重要なんだよね?」

 彼女は水を含んで膨らんだ頬のまま首を上下させた。

「遊びに行くだけなんだよね。それでも旦那さんからなにか奪うことになるの?」

 勢いをつけてひと息に水を飲み干した彼女は、コップをテーブルの上に置いて、一回深呼吸した。

「今日はね、わたしたちはただ遊んでるだけでいいのよ」

 彼女は伝法な動作で口元の水滴を拭い、たっぷりと息を吸い込んでもう一度深呼吸した。

「今日一日わたしが家に帰らなければ、それだけであいつの平安な生活は奪ったことになるわ。食事もない、着るものも見つからないで、あいつは家に籠もってもんもんとしているしかないの。いいえ、どうせあいつは今日も休日出勤なんだわ。そうよ。それできっと、あたふたして出社してくのよ」

 彼女は、ざまあみろよ、と意地悪く笑った。

 わたしはなにも言わなかった。

「さぁ、早く出発の準備をしましょう」

 彼女は手を叩いて自分の話に区切りをつけた。

 わたしは急き立てられるままにウォークインクローゼットに入ったが、気落ちして服をあさる手はしばしば止まってしまう。

 こんなことをされる旦那さんのこともそうだけど、それにも増してこんなことをする彼女を考えると、わたしはなぜだか悲しくなってしまう。

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