「大谷ハラスメント」に見る、神よりも信者の態度がウザさの原因であることについて。
今回はタイトルで、ほぼ全てを語り終えているが「教祖よりも信者がうざい」せいで、ハラスメントとなってしまっている社会現象についてを少々。
またしても、大谷フィーバーである。
地上波放送も消滅し、WBCはネトフリの独占となってしまったのにも関わらず、恥ずかしげもなく、トップニュースとして扱う民放各社。
昨日も、サウナでヤ○ザなおじさんに、開口一番「やっぱり大谷はすごいね!」としゃべりかけられて、唖然。ご機嫌に語りかけられたので、腰を折らずに、何があったのかと尋ねながらの会話となったが、何が彼らをそこまで熱狂させるのか。
おじさん自体は、悪い面をあまり見せなかったので、話にも付き合った。だが、中には、ひとを不愉快にさせるファンも存在する。いわゆる「性質の悪い信者」である。
大谷をご機嫌に褒めているだけなら、何の問題もない。だが、大谷を引き合いに出し、別の誰かや何かを貶めるために、大谷を利用するゴミどもが、我々を不快にさせる。
大谷を「絶対的な正義=神」とし、その権威を借り、「それに引き換え○○は ――」と誰かの誹謗中傷を始める。大谷の活躍に「同じ日本人として誇らしい」などという言葉を臆面もなく吐ける連中。これがこういった層の主軸にいる(大谷を応援しない者は「非国民」だー)。
大谷を「同じ」といい、「日本人というブランド」の価値を自己演劇で高め、「日本人である俺すげー!」と、「大谷本人とは互換性ゼロ」の人間が胸を張る。このような態度には「同じ日本人として恥ずかしい」と思っているひとも少なくはないだろう。―― これは単なる皮肉である。この思考パターンは、性質の悪い信者の間にしか存在しない。
対立勢力の同様の態度に対しては、罵詈雑言を浴びせかける連中が、鏡映しに踊り狂う。「自己客観性」という装置を母胎に忘れたまま産まれてきてしまったのか?とも疑いたくなる。
自分が好きな競技や分野に「神」が生まれるのは、基本的には喜ばしいこと。だが、こういった信者たちの振る舞いが「神の外部評価を下げる」ということにも、信者は留意すべきだろう(実際は信者本人の人間性でしかないのだが)。
不快な人間が「大谷スゲー!」と叫んでいたら、「不快な人間たちの信仰の対象には、ウザさしか感じない」となるのも、また人間。
サッカーにおいても、メッシ×クリロナ論争が長年語られてきた。しかし、自身の神を持ち上げるために、他者の神を無闇に落とす行為は、同じ神を信仰する者たちにとっても「不愉快」となりうるので、御用心。
―― ちなみに筆者は、クロリナ派である。
深く語り始めると、性質の悪い大谷信者と大差ない暴言も吐きかねないので、ここまでにしておく(おい)。
これは、スポーツに限った話ではない。
あらゆるエンタメ(政治も含む)において、同様の光景は少なからず見ることができる。しかし、その荒れ具合にも差があり、それがファンの質を現している。
楽しむのはいいことだが、そこに「不愉快な成分」を混ぜてくるのは、楽しみ方としてもマナー違反である。




