魔王2
「万物は流転する。この世に静止している物など存在しない。……かつての私は、その理を美しき循環だと信じていた。芽吹く緑を愛で、人の営みに涙し、この世界の輝きを永遠に留めたいと……そう、愚かにも切望したのだ。あまりに、無垢だった」
「だが……いつからだろうか。何かが……何かが、決定的に狂い始めてしまった。最初は、掛け違えたボタンのような、些細な違和感に過ぎなかった。だがその隙間から、取り返しのつかない毒が浸食してきたのだ。本当にわずかに、しかし、確実に。世界の輪郭が、私の知る色を失い、はっきりと脱落していった。もう、二度と止まることはなかった」
「知らぬ方が良かったのだ。 私の視界が、感覚が、あまりに広く、あまりに長く伸びすぎてしまったその瞬間から、世界は色彩豊かな楽園であることをやめ、終わりのない解体と腐敗を繰り返す地獄へと変貌した。瑞々しい歓喜は瞬く間に霧散し、ただ鋭利な痛みだけが長く居座る。どこを見渡しても、苦痛、苦痛、苦痛。——これは苦痛なのか? あれも、苦痛であったのか? 」
「貴様には、あの花が今咲いているように見えるか? 私には、それが土を割り、花開き、枯れ落ち、朽ちる様子が、ひとつの静止画として網膜に焼き付いて離れぬ。愛も、希望も、勇気も……そのすべてが、数秒後には塵へと還る無意味な震えにしか聞こえぬのだ。見ろ、この灰色の目を。私はもうすべてを見届けてしまったようだ」
「想像できるか? 救おうと手を伸ばした瞬間に、その相手が砂となって指の間をすり抜けていく無力感を。幾千、幾万回と繰り返される無意味な誕生と死の叫びが、私の脳裏に消えない傷跡として刻み込まれていく。私の精神はその奔流に耐えきれず、とっくに摩耗し、すり潰され、消失した。今ここに居るのは、その残滓……理という巨大な歯車に巻き込まれた、哀れな肉の塊に過ぎぬ」
「だからこそ、私は辿り着いた。この流転という名の永劫の拷問を終わらせるという、道に」
「貴様は私を悪と呼ぶ。だが、私から見れば、命を繋ごうとする貴様こそが最も残酷な加害者だ。貴様が守ろうとするその赤子は、やがて老い、病に侵され、愛する者を失う絶望を味わうことになる。貴様が平和を紡げば紡ぐほど、未来に生まれる魂たちは、この終わりのない存在という痛みを強制されるのだ」
「私は、彼らを救う。まだ見ぬ子らが、この地獄に産声を上げずに済むように。私が振るうこの破壊は、憎しみではない。母が子を寝かしつける、穏やかな子守唄だ。すべてを無という完璧な静寂へ帰すこと。これ以上の救済が、この呪われた円環のどこにあるというのだ? 」
「さあ、剣を取れ。そして私を殺して英雄になるがいい。だが、貴様が私を討ち果たしたとて、それは新たな悲劇の種を蒔くに過ぎぬ。英雄が新たな支配者となり、その勝利の余韻が次なる憎悪を育む。貴様が私を否定しようともがくほどに、貴様自身がこの呪われた円環を永らえさせる歯車と化していくのだ」
「皮肉なものだな。貴様の正義が、次なる地獄の土壌となるとは。百年後、貴様の末裔が民を搾取し、新たな『魔王』と呼ばれる日のために、今ここでその剣を振るうがいい。……そして、いつか気づくがいい。貴様が今、私に向けているその殺意と断罪の眼差しこそが、私への最も深い共鳴であり、次なる『魔王』への招待状であることを」
「案ずるな。すべては理のままに。因果は巡り、そして……等しく終わりへと至る。いつか必ず訪れる終焉こそが、安らぎなのだから」




