第61話 きっと、いつか
しばらく、見つめ合ったまま時間だけが過ぎていく。
部屋の中は、しんと静まり返っていた。
守兄がゆっくりと口を開く。
「それは……俺を選んでくれたって思っていいのかな?」
揺れる瞳。
その問いかけに、頷くことができない。
正直に言わなくちゃ。
「あのね、私、まだあきらのことが好き」
張り詰めた空気に、ぽつりと声が落ちた。
「でも、あきらとは別れる」
「……うん」
矛盾しているのはわかっている。
それでも、守兄は黙って受け止めてくれた。
「彼の邪魔になりたくない。あきらの夢の足かせになりたくないの。
好きだからこそ、離れなくちゃダメなの」
守兄は何も言わず、ただ静かに頷いた。
あきれるでもなく、笑うでもなく。真剣な表情のまま。
その姿に胸が熱くなり、涙がこぼれる。
頬を伝う雫が、ぽとぽとと床を濡らしていく。
「好きだから……だからこそ。
でも、このまま守兄と付き合うことは、やっぱりできない。
こんな気持ちを抱えたままじゃ、私は自分を許せない」
あきらへの想いを抱えたまま、守兄と向き合えば、いずれ彼を傷つける。
もうこれ以上、大切な人を傷つけたくなかった。
悲しませたくなかった。
ふたりの間に、また重たい沈黙が落ちる。
「……前にも言ったと思うけど」
守兄の低い声に、私は俯いていた顔をゆっくりと上げた。
視線が絡む。
彼の瞳には揺るぎない意志が宿っていた。
「俺は星が好きだ。
君が今、誰を想っていても構わない。
彼のことを忘れるまで、何年でも待つ。俺を好きになってくれるまで」
真っすぐな言葉が、心を震わす。
どうして、そんなふうに言えるの?
私は守兄を傷つけてばかりなのに。
また涙が込み上げ、頬を伝った。
守兄は困ったように微笑み、ゆっくりと近づく。
そっと頬に触れる手はあたたかい。
「……泣かないで。俺は君の涙に弱いんだ。
傷ついて泣いている星を、放っておけない。
ただ、愛しくてたまらないんだ。お願いだ、傍にいさせてほしい」
至近距離から注がれる熱のこもった眼差し。
こんなふうに愛を囁かれ、平然としていられる女の子なんているんだろうか。
視線を逸らせず、じっと見つめ返した。
次の瞬間、守兄の顔が近づき、唇が重なる。
「……っ」
抵抗なんてできなかった。というか、身体に力が入らない。
彼の想いがそのまま流れ込んでくるみたい。
抱きしめられたまま、口づけは次第に深くなっていく。
まるで、抑えきれない想いをぶつけるように、何度も唇を重ねられた。
ただ、このぬくもりにすがりたかった。
……疲れていたのかもしれない。
あきらのことが好き。
でも、どうすればいいのかわからない。
考えることから逃げているだけかもしれない。
私……ずるいね。
ごめんなさい。
頬を伝う涙は、止まらなかった。
長く熱い口づけが終わり、守兄の顔がわずかに離れる。
恥ずかしさで顔を上げられず、私は俯いたまま。
おそるおそる目を上げると、彼の頬がわずかに染まっていた。
……意外。こういうこと、慣れている人だと思っていたのに。
守兄だって、照れたり、緊張するんだ。
コホンと小さく咳払いをして、彼がつぶやく。
「あ、あのさ……今のは、その……受け入れてもらえたって思っていいのかな?」
どこか自信なさげな声だった。
憂いを帯びた表情と、揺れる瞳がまっすぐに私を見つめている。
その熱に、頬がじんわりと火照るのを感じた。
「そんなに見つめないでくれ……自制心がもたない」
「え? あ、ご、ごめん!」
意味を理解するより先に、慌てて視線を逸らす。
いったい、どういう意味なんだろう。
私が考えていると、守兄が口を開いた。
「俺は一生、君を想い続ける。
そして必ず幸せにする。
愛してる。だからお願いだ、俺を選んでくれ」
まるでプロポーズみたいな言葉。
彼の顔には一片の迷いもない。
嘘でしょ……ど、どうしよう。どう答えればいいの。
「まだ迷ってるのか?
彼のことで悪いって思ってるなら、それは違う。
あきらのことは、無理に忘れなくていい。……いつか忘れさせてみせるから。
星はただ、この手を取ってくれればいい。それだけで、幸せだ」
にこりと笑って、守兄が手を差し伸べる。
私はその手をじっと見つめた。
この手を取ってしまっていいの?
もう一度、彼の顔を見た。
真剣な瞳が、言葉以上に気持ちを伝えてくる。
その熱に包まれるように、胸がときめき、心が震えた。
ずっと憧れていた人。叶わないと思っていた恋。
そんな人が、今、目の前で真摯に想いを差し出してくれている。
あとは、この手を取るだけ。
覚悟を決め、そっと彼の手に自分の手を重ねた。
「……よろしくお願いします」
微笑みかけると、守兄の表情が一瞬かたまり、すぐに驚きへと変わる。
「ほ、ほんとうに?」
「うん」
頷くと、彼に勢いよく抱きしめられる。
「星! ありがとう、大好きだ!」
背中に、そっと手を添える。
「……私も、ずっと好きだった」
守兄はがばっと体を離し、目をまん丸に見開く。
泣き出しそうなほど嬉しそうな顔。
恥ずかしくなって、上目遣いでそっと見返す。
「そんな……俺をこれ以上喜ばせてどうするんだよ!」
感情があふれるまま叫んだ守兄が、そのまま私に覆いかぶさってきた。
「きゃっ!」
ソファへ押し倒され、至近距離から熱い視線を注がれる。
息が触れそうな距離。心臓が落ち着かなくて、呼吸が浅くなる。
「愛してる」
低く甘い声とともに顔が近づき、唇が触れそうになった。
ピンポーン。
部屋にチャイムの音が響き、甘い空気が一瞬で吹き飛んだ。




