第55話 選んだ道
デートの帰り。
玄関の前で足を止め、守兄に微笑みかけた。
「じゃあ、ありがとう」
そう言うと、彼は優しく笑い返してくれる。
その顔を見ていると、胸にふっと罪悪感が広がった。
……これで、いいんだよね。
最近、守兄と過ごす時間が前よりずっと増えてきた。
夕食の食材を手に、ほとんど毎日のように家を訪れてくる。
私はまだ、あきらのことを忘れられない。それなのに、こうして守兄と会っている。
じりじりと心に影が差していく。
そんな気持ちを見抜いているのか、守兄はよくデートに誘ってくれるようになった。
私を少しでも元気づけようとしてくれているのかもしれない。
休みの日にはこうして出かけることも増えた。
彼と一緒にいると、心が安らぐ。
気持ちも穏やかになり、安心できる。
でも。
まだ正式に付き合っているわけじゃない。
あきらにだって、はっきり別れを告げたわけでもない。
ただ、あの喧嘩を最後に、ずっと会えずにいるだけ。
マネージャーの小森さんからも「別れた方がいい」と言われてしまった。
本当に、その方がいいのかもしれない。
そう考える瞬間もある。
それは、あきらを嫌いになったからじゃない。
気持ちがなくなったからでもない。
あきらのために。
彼の未来を思えば、自然消滅という形も一つの答えなのかもしれない。
そんなことを思いながら、ぼんやり立ち尽くしていると、
「星?」
優しい声が降ってきて、顔を上げる。
守兄が心配そうに私を見つめている。
「あ、ごめん。ぼーっとしてた」
笑って誤魔化すと、彼は少し悲しげに笑った。
ぎこちないその笑顔に、気持ちを見透かされている気がした。
短い沈黙がふたりの間に落ちる。
「あのさ……俺たち、正式に付き合わないか?」
唐突な言葉に、目を丸くして彼を見つめる。
「え……」
私が、守兄と付き合う?
それは遠い昔に願ったことだった。
けれど今は。
視線を落とすと、守兄が静かに言葉を重ねる。
「いいよ。まだあいつのこと忘れられないんだろ?
こんな状態で、俺と付き合うことに引け目を感じてる……違うか?」
全部言い当てられ、うっと言葉に詰まる。
やっぱり私の気持ち、ぜんぶ見抜かれてる。
戸惑いながら、そっと彼を見上げた。
まっすぐに見つめ返されたその目は、真剣そのものだった。
彼の表情が、本気だということを物語っている。
ドキドキと鼓動が高鳴った。
「それでいい。まだ忘れられなくても、あいつのことが好きでも。
いや、本当は嫌だけど。
ずっと一緒にいたら、嫌でも俺のことを好きになる。
絶対に虜にさせてやるから」
自信満々に、にやりと笑う守兄。
その顔はどこか無邪気で、まるで昔に戻ったみたい。
いや、こんな表情はあまり見たことなかったかな?
彼の声が一段と低くなる。
「……あいつのこと、忘れさせてやる」
その瞳に、吸い込まれてしまいそう。
守兄は本気だ。
私のことを心から愛してくれてる。
すごく嬉しい。嬉しいよ。
だって、守兄は私の初恋で、ずっとずっと好きだったんだから。
一度は忘れた想いだったけど。この人となら、幸せになれるかもしれない。
あきらのことは、もちろん好き。
でも、彼の足かせになりたくはない。そう強く思う。
私が傍にいることで、彼が夢を叶えられなくなるなんて、絶対にやだ。
遠くから見守る愛もある。
傍にいられなくても、影からそっと見つめ続けることはできる。
私の選ぶべき道は、それなのかもしれない。
目の前にいる守兄をじっと見つめる。
私、彼に懐柔されてしまったのかな?
ううん、違う。絶対に。
あきらが好き。愛してる。
ただ、愛し方はそれぞれ。
きゅっと口を結んだ。
心に誓うように、覚悟を決めた。
「よろしくお願いします」
まっすぐに彼の瞳を見つめながら、小さく呟く。
すると、守兄はきょとんと目を丸くした。
まるで鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔。
その表情がおかしくて、思わずくすっと笑ってしまう。
守兄がはっと我に返ったように声を上げた。
「えっ、え!? 今、なんて?」
信じられないといった様子で迫ってくる。
私はぎゅっと手を握りしめ、もう一度気持ちを伝えた。
これでいい。これがいいんだ。
誰も悲しまなくて済む。
きっと、すべてうまくいく。
「もう、何度も言わせないでよ。私、守兄が好き。
付き合ってください」
はっきりそう告げる。
一瞬の静寂。
その直後、守兄が大きな声で叫んだ。
「やった、やった! 星、ありがとう!」
力強く抱きしめられる。
息ができないほどの熱い抱擁。
「ま、守兄っ」
あまりの喜びように、驚くとともに戸惑った。
そんなに、嬉しいの?
胸の奥にちくりとした痛みが走る。
……傷つけることにならないかな。
不安がよぎった。
でも、守兄は言ってくれた。
あきらのことをまだ忘れられなくてもいいって。
私の気持ちを大切にしてくれる人だ。急かしたりはしない。大丈夫。
それに、私も守兄が大好き。
彼の腕に包まれていると、心も体もじんわり温まっていく。
大きな愛が流れ込んでくるみたいで、涙がにじんだ。
その大きな背中をぎゅっと掴む。なにかを振り切るみたいに。
これからは、守兄と一緒に生きていくんだ。
そっと身体を離すと、視線が絡み合う。
彼の瞳は熱を帯びていて、
距離がゆっくりと縮まり、そのまま私たちは唇を重ねた。




