第43話 守兄の変貌
あきらと会った翌日、私はすぐに行動に移した。
守兄に連絡を入れると、その日の夜にはもう家に来てくれた。
「いやー、星から連絡もらえるなんて、嬉しいよ」
玄関に立つ彼は、にこにこと笑っている。
その顔を見た瞬間、胸がちくりと痛んだ。
これから口にすることを思うと、どうしても気が重くなる。
「あがって」
「うん、お邪魔します」
そう言って守兄が靴を脱ごうとした、そのとき――
「僕、ちょっと出かけてくるね」
太陽が、私たちの横をすり抜け、玄関で靴を履く。
「え? どこ行くの?」
「ちょっと」
軽く笑いながらも、太陽の表情はどこか真剣で。
もしかして、これから話すこと、察してるの?
「……気をつけるのよ」
そう声をかけると、太陽は手をひらひら振りながら出ていった。
本当に勘がいいというか、聡いというか。
弟ながら感心してしまう。
ふと視線を感じて振り返ると、守兄とばっちり目が合った。
にこりと笑う彼に、私は苦笑いで返すしかなかった。
居間でちゃぶ台を挟み、守兄と向かい合う。
部屋はしんと静まり返っていて、時計の秒針の音だけがやけに大きく響いていた。
「どうした? 話ってなにかな」
守兄の笑顔はもうなかった。
ただならぬ気配を感じ取ったのか、真剣な眼差しで私を見つめてくる。
気まずい。でも、言わなくちゃ。
ふぅと息をついてから、背筋を伸ばした。
「……守兄、ごめん。
私、あなたの気持ちに応えることはできない」
その言葉を口にした瞬間、守兄の瞳が悲しげに揺れた。
あ、傷ついてる?
胸がズキズキと痛む。
そうだよね。
想いを伝えてもらったあの日から。
彼が私に想いを寄せてくれていることはわかってる。
本当はこんなこと言いたくなかった。彼を傷つけたくなかった。
だって、守兄は大切な人だから。
重い沈黙がふたりの間を覆った。
守兄はしばらく黙り込んでいたが、突然、声を荒らげた。
「なんでっ、どうしてなんだ」
苦しげな息を吐きながら、鋭い眼差しを向けてくる。
その目は刺すように強いのに、迷うように揺れていた。
「あいつか。やっぱり、あきらが?」
哀しみとも怒りともつかない表情。
見続けるのがつらくて、私は顔を背けた。
そして、ゆっくりと頷く。
「そうか……」
守兄の声はかすかに震えていた。
「そうだよな。俺が浅はかだった。
星みたいに魅力的な子を放っておいたら、こうなるに決まってる。
そんなこと、簡単にわかるのにな……っ」
はあっと苦しそうに息を吐く守兄に、私は言葉を失った。
どう言えばいいのかわからない。
もっと早く想いを知っていれば?
そんなこと、口にできるわけない。
だって、私にはもうあきらがいるから。
それでも。
昔の気持ちはちゃんと伝えておきたい。そうしないと終われない気がした。
私はひとつ大きく深呼吸をした。
ずっと胸の奥に眠らせていた想いを、ようやく言葉にする。
「守兄……私ね、あなたに憧れてた。
初恋だったの」
その瞬間、守兄がはっと顔を上げる。
切なげに揺れる瞳が私を捉え、胸が締めつけられる。
「小さい頃からずっと好きで、憧れてた。あれは私の初恋だった。
でも、その恋はあの日に終わったんだよ」
ぴんと張り詰めた空気がふたりの間に広がる。
そう、守兄がアメリカへ旅立った、あの日から。
あの瞬間に、私の初恋は幕を閉じていた。
「そんなっ……そんなの。
俺のこと、好きだったんだよな? だったら」
「もう、おそいよ!」
言葉を遮るように、声を張り上げた。
これ以上、心をかき乱さないでほしい。揺さぶらないでほしい。
必死に気持ちを振り切るように、まっすぐ彼を見据えた。
「私には、いま大切な人がいる。その人を好きで、愛してる。
だから裏切ることはできない」
言えた。やっと言葉にできた。
あきらが好き。愛しい。これが本当の気持ち。
けれど、ほんの少しだけ初恋の名残が胸の奥をかすめる。
それもまた確かにあった想い。
でも、もう認めるわけにはいかない。
私が宙ぶらりんのままでいたら、ふたりとも傷つけてしまう。
だからはっきりさせなくちゃ。
今の私が選ぶのは、あきらだ。
守兄の体が急にふらりと揺れた。
「どうしてだ。俺がこの数年、どんな気持ちでいたか……」
かすれた声で力なくつぶやく。
その様子は、いつもの優しく冷静な彼とはまるで違う。
どこか狂気じみた気配すら漂っている。
傷ついた顔で、守兄は私を鋭くにらみつけた。
ぞくりと背筋に悪寒が走った。
鋭い眼差し。けれどその奥には、熱い想いと、抑えきれない愛しさが滲んでいる。
こんな守兄、初めて見る。
心臓がドクンと大きな音を立てた。
怖い。
耐えきれず、視線を逸らした。
「で、でも、私はあきらが――」
言いかけたその瞬間、守兄が目の前まで迫ってきた。
「え……?」
気づけば、私は押し倒されていた。
大きな体が覆いかぶさり、すぐ近くに彼の顔がある。
吐息まで感じられるほどの距離。
一瞬の出来事に、息が詰まる。
どうしていいかわからず、体を固めたまま、ただ茫然と瞬いた。




