第38話 ざわざわ、もやもや
守兄の真剣な眼差しに、心臓がうるさく鳴った。
ゆっくりと近づいてくるその姿から、目を逸らせない。
すぐ目の前で立ち止まった彼に見下ろされただけで、頬が火照り、胸がぎゅっと詰まった。
「ねえ、もうダメなのかな。俺たちに未来はない?
どうしてもあきらめきれないんだ。もう一度だけ、チャンスをくれないか」
射抜くような視線に、体が強張る。
心臓は早鐘を打ち、まるで時が止まったみたい。
……だって。本当は、守兄が好きだった。
あのとき。
守兄がアメリカに旅立った日、私の心にいたのは確かに彼だった。
でも。今の私の心にいるのは、あきら。
その想いもたしかなもの。
あきらが好き。大好き。
彼のことを思うだけで胸があたたかくなって、愛しさでいっぱいになる。
それでも。
守兄と向き合うと、胸の奥がかすかに疼く。
忘れていたはずの想いが、泉のようにあふれ出す。
嫌いになったわけじゃない。
ただ、あきらめていただけで。
なのに今さらこんな。
神様って、なんて意地悪なんだろう。
「ごめん。困らせちゃったな」
寂しそうに笑った守兄が、そっと身を引いた。
そして背を向ける。
「いいよ。どうしてもあいつの方が好きで、俺を選べないって言うなら、仕方ない。
本当は嫌だけどな。でも、星の幸せが一番だ。あきらめるよ――ただ」
振り返った守兄の瞳が、切なげに揺れる。
「少しだけでいい。ほんの少しだけでいいから……俺のことで悩んでくれ。頼む」
擦れた声が、心を震わす。
私は何も言えず、ただ立ち尽くしていた。
どれくらいそうしていたのだろう。
やがて、守兄がぽつりとこぼした。
「帰ろう」
***
そのあと、守兄に送ってもらって帰宅した。
玄関の扉を開けた瞬間、張りつめていた糸がぷつりと切れ、はぁっと大きなため息がこぼれる。
帰り道、私も守兄もほとんど無言で――めちゃくちゃ気まずくて、疲れた。
「ただいま」
気の抜けた声に、すぐ返事が飛んでくる。
「おかえり! 姉ちゃん遅いよ、腹減ったあ」
太陽がすたすたやってきて、ちょっとむくれた顔で私を睨む。
その顔に、思わず苦笑がもれた。
「ごめん、ごめん。すぐに支度するね」
声だけは明るく返して、急いで台所へ。
いつも通り夕食を用意したけれど、気持ちはずっと上の空だった。
食卓についても、胸のざわつきは収まらない。
太陽が楽しそうに今日の出来事を話してくれるのに、内容が頭に入ってこない。
返事をしているつもりでも、どこか空回りしているような。
あきらのこと。
そして、守兄のこと。
考えれば考えるほど、落ち着かなくて、箸を持つ手までぎこちなくなる。
「ねえ、姉ちゃん……なんかあった?」
夕食を終える頃、太陽がぽつりと呟いた。
やっぱり、この子は聡い。
私が気もそぞろだったのを、ちゃんと見抜いている。
「う、ううん。別に」
笑顔を作ってみせるけど、太陽はじっと私を見つめ、眉をひそめた。
「怪しい。姉ちゃん、どうせ隠し事できないんだから、言っちゃえよ。
僕が相談に乗ってあげる」
どこか誇らしげに胸を張る太陽。
ほんと、昔からこの子には隠し事ができない。
黙っていても、見透かされてしまう。
それに、誰かに話したら少しは楽になるかもしれない。
太陽なら、守兄のこともあきらのことも知っている。私の置かれた状況だって、きっと理解してくれるはず。
一人で悩んで堂々巡りするくらいなら、話してしまおうか。
もしかしたら、何かヒントが見つかるかもしれないし。
そう思った私は、覚悟を決めて深呼吸する。
守兄に想いを告げられたことや、あきらへの想いなど。
今の気持ちを、太陽に打ち明けることにした。




