第53話 暗く、寒い、夜の月
セレネが消えた。
ふっと、輪郭がほどけるみたいに。
「え?」
ほのかが一瞬、声を失う。
が、気配察知が反応した。
「後ろ!」
ほのかが叫ぶと同時に、しずくとミコトも振り返る。
さっきまで降りてきた坂のほう。
通路の少し上に、セレネがいる。
いつの間にか、そこに現れた。
ミコトが、息を取り戻しかけた声で呟く。
「瞬間移動…ですか」
認識が追いつかない。
ヒーラーと魔導士という違いはあれど、『魔法を使う者』としての格が違う。
セレネは、いつもの面倒くさそうな目でこちらを見下ろしている。
「これに耐えたら合格」
淡々と。
でも、はっきり試験の終わりを告げた。
小さな身体、その周囲に魔力が集まる。
明るい月光じゃない。
薄暗い光。
夜の底みたいな、青黒い光。
壁の発光が、逆に暗く見える。
懐中電灯の光が、薄まる。
空気が冷える。
冷えるじゃない、冷たさが降ってくる。
セレネの周りに、霜が降りた。
髪の先、ローブの縁。
そして、床に薄く白い霜が広がっていく。
ミコトが魔力の流れを読んだ。
「氷?いえ、これは…夜?」
セレネが、ぼそっと詠む。
「暗く、寒い、夜の月」
そして。
「いけ」
やる気のない声。
命令だけが、やけに重い。
その言葉と共に、暗い光が奔流になった。
波じゃない、濁流。
空間そのものが押し流されるような圧。
しずくへ向かって一直線に。
逃げ道がない。
盾で受けるしかない。
しずくは瞬時に判断する。
(これ…受けるだけだと死ぬ)
銀盾、パリィ。
呼吸を合わせる。
でも、これは攻撃の規模が違う。
パリィで逸らせる種類じゃない。
ほのかが叫ぶ。
「しずく!!受けきるな!流せ!!」
ミコトも必死に声を絞る。
「しずくさん、盾の角度を!真正面は駄目です!凍結が!」
しずくは盾を斜めに構える。
そして、はさみ剣を握りなおす。
盾だけじゃない。
二点で受けて、流す。
(盾で受ける、はさみ剣で逃がす)
暗い光が迫る。
霜が肌に刺さるほど冷たい。
しずくの心臓が跳ねる。
「来い!」
暗い光の奔流が、盾へ激突する。
空気が割れ、波が広がる。伝播した振動が通路全体を揺らす。
音が遅れてくるほどの衝撃。
腕が潰れるみたいに痺れる。
銀盾が光る、縁が月光を弾く。
しかし、冷気が侵食してくる。
指先が一瞬で冷たくなる。
呼吸が白くなる。
しずくは腰を落とす、足に力を入れる。盾の角度をさらに変える。
受けるじゃない、流す。
はさみ剣を前に差し出し、奔流の端を掴むように挟む。
ひび割れるような衝撃音。
刃が震える。冷気が刃を霜で覆う。
それでも、しずくは踏ん張る。
じすくのHPがじりじりと削れていく。
足が滑る。
床が凍り始めている。
ほのかが後ろから叫ぶ。
「しずく!一歩後ろ!滑る!」
ミコトが集中し、詠唱を始める。
「…ハイヒールは間に合わない」
「短く連続詠唱…」
《ヒール》
《ヒール》
淡い光がしずくを包むが、焼け石に水だ。
夜と冷気の浸食が速すぎる。
今は…耐えるしかない。
暗い光の奔流が、さらに強くなる。
セレネは坂の上で、半眼のまま。
「耐えて…あなたなら成し遂げられる」
声に熱はない。
でも、その目は試している。
しずくの盾が、軋むような音を立てた。
セレネの言うとおりだ。
『暗く、寒い、夜の月』
冷たさが骨まで削る。
床は凍り、足が滑る。
腕は痺れ、呼吸が白い。
しずくは、もう限界を感じていた。
(無理…これ…)
その瞬間。
銀盾がうすく光った。
淡い光。
でも、さっきまでの月光とは違う。
意志みたいな光。
それは、しずくの耳に確かに届いた。
『まかせろ』
誰の声か分からない。
でも、今はそれでいい。
しずくの身体が、勝手に動く。
声に導かれるように、
盾を流す。
受けない、弾かない。
真正面で受け止めない。
暗い光の奔流を、盾の面で滑らせる。
銀盾が、まるで水面みたいに光を受け流す。
冷たい闇が盾に触れた瞬間、盾の縁が淡く鳴った。
そして。
暗い光が、完全に逸れた。
しずくの身体の横を、すれすれに流れていく。
壁へ、床へ、通路の奥へ。
霜が舞い、月の匂いだけが残る。
しずくは、膝が笑いそうになるのを必死で堪えた。
ほのかが驚きで口を開ける。
「え、今の…全部流した!」
ミコトが息を呑む。
「盾が…応えた?」
視聴者が壊れる。
『銀盾SUGEEEE』
『これは神』
『暗い月光を流し切った!?』
『しずくと盾のシンクロやばい』
セレネの表情が、また少し変わる。
半眼が、ほんの少しだけ上がる。
眠たげな目に、わずかな驚きと…納得。
「ふーん」
相変わらず面倒くさそうに、でも確かに言った。
「合格」
暗い光が消える。
霜が薄れる。
壁の月光が、元の淡い白に戻っていく。
そして、通路の空気が少しだけ軽くなった。
しずくは盾を見つめる。
銀盾は何事もなかったように静かだ。
でも、さっき確かに。
(まかせろって)
しずくの胸が、熱くなる。
怖かった。
でも、守られた。
セレネがふわりと降りてきて、だるそうに言う。
「じゃ。契約、する?」
出口はまだない。
でも『合格』と言われた。
ここから先は、選択。
しずくは一歩前に出る。
盾を抱えるみたいに持って。
夜の月が消えて、通路に静けさが戻った。
凍りかけた床、白い霜の名残。
そして、浮かぶシステムウィンドウ。
放浪者専用クエスト【月の眷属】
進行:契約可否の選択
セレネは相変わらず、だるそうに立っている。
「契約、する?」
“どっちでもいい”みたいな声。
でも、こっちはどっちでもよくない。
しずく、ほのか、ミコト。
三人は少し距離を取って小声で相談する。
ほのかが最初に言う。
「契約しようよ」
即答。
目がキラキラしてる。さっきまで生理的嫌悪のカエルで叫んでた人とは思えない。
「だってさ、専用クエストだよ?月の眷属だよ?」
「あの子、飛ぶし瞬間移動するし…絶対やばい味方になるじゃん!」
ミコトは冷静に、でも慎重に首を振る。
「“契約”という言葉が危険です。代償がある可能性が高い」
「ユニーク職の大魔法使いの例もあります。ああいう“条件”があるかもしれません」
ほのかが少しだけ、頬を膨らませた。
「え?40歳まで処女、童貞ってやつ?」
視聴者が即、拾う。
『そういや、大魔法使いは制約やばかったな』
『しかし、クソ強いんだよな』
『あれ、それ以外にも条件かなり厳しいぞ』
ほのかは『ナイナイ』とばかりに、手を振る。
そして、少しだけ真面目な顔で言う。
「でもさ、合格したって言った」
「試験ってことは、条件提示があるはずじゃない?いきなり魂とか取られないでしょ…たぶん!」
「たぶん」で言うな、とミコトの目が言っている。
しずくは二人の話を聞きながら、セレネを見た。
だるそう。眠そう。でも、強い。
そして、自分にだけ聞こえた声。
あれが、ただの幻聴には思えない。
放浪者専用クエストが始まった今なら、なおさら。
(放浪者にだけ…見える何か)
(つまり…私のスキルに関係してる)
しずくが小さく言う。
「…どうしよう…正直怖いよ…」
ほのかが頷く。
「分かる、怖いのは分かる」
「でも今、出口ないよ?たぶん契約するか、何か別条件がある」
ミコトも同意する。
「現状、こちらから離脱できない以上、選択肢は約内容を確認して判断が最善です」
「そして、契約そのものより内容が重要です」
しずくが息を吸う。
(よし)
コミュ障だが、ここは言うべきだ。
「…内容、聞く…条件、代償、できること」
二人が頷いた。
しずくがセレネを見据える。
「…契約の内容…教えて…代償も」
セレネが半眼のまま、ため息みたいに言う。
「めんど…」
そして、淡々と告げた。
「じゃ、説明する」
月光が、少しだけ強くなった。
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