第40話 夜の終わり
リーダーが、咆哮を上げた。
月の剣で削られ、動きが鈍ったことを本能が理解したのだろう。
それでも止まらない。止まれない。
リーダーは、盾を捨てた。
盾が石畳に落ち、乾いた音が闘技場に響く。
両手で棘付きこん棒を握りしめる。
なりふり構わない。
ただ、叩き潰す。
一撃で終わらせる。
両腕の筋肉が盛り上がる。
こん棒がゆっくりと持ち上がり、月明かりを遮る。
振り下ろされれば、盾で受けても体ごと持っていかれる。
しずくは分かっていた。
(来る…!)
その瞬間。
《ホーリーロープ》
ミコトの声が、闘技場を裂いた。
膝をついていたはずのミコトが、震える手で詠唱を押し切っていた。
聖なる光の紐が、一直線に伸びる。
狙いはリーダーの腕。
絡んだ。
光がリーダーの前腕に巻きつき、ぐっと締まる。
筋力で引きちぎろうとするが、振り上げた姿勢のままでは踏ん張りが効かない。
振り下ろしが、半拍遅れる。
その半拍を、ほのかが見逃さない。
「今ッ!!」
弓が鳴る。
《ダブルショット》
二本の矢が連続で突き刺さり、リーダーの肩口を抉る。
衝撃でリーダーの重心がずれ、たたらを踏む。
月明かりの下、巨体が揺らいだ。
視聴者のコメントが、一斉に跳ねた。
『連携えぐい!』
『ミコト根性!!』
『ナイス追い打ち!』
『崩れた!いける!』
銀盾を前に。
そして右手の杖、その先で月光の刃が静かに揺れている。
月の剣。
淡い光は派手じゃない。
でも、闘技場の空気を支配する“冷たさ”だけは確かだった。
しずくは一歩踏み込む。
足音が、やけに大きい。
(最後の一撃)
リーダーが咆哮を上げ、無理やり体勢を立て直そうとする。
ホーリーロープが軋む。
矢傷から赤い血が滲む。
まだ倒れない。
でも、今なら。
しずくは杖を構え、月の剣をまっすぐに突き出した。
月光が、刃に集まる。
冷気が濃くなる。
刃が、ほんの少しだけ長く、鋭くなる。
しずくは目を細めた。
「…終わらせる」
そして、踏み込んだ。
月光の刃、月の剣を横薙ぎに振るう。
淡い光の線が、闘技場の夜を切り裂いた。
刃は、ゴブリンリーダーの胸を深く抉る。
…なのに、出血はない。
傷口が、音もなく白く曇っていき、次の瞬間には“凍りつく”ように固まった。
冷気が走り、リーダーの巨体が一瞬だけ硬直する。
「ギ…」
リーダーは最後に、しずくを睨んだ。
獣みたいな目。怒りでも憎しみでもない、ただの執念。
なのに。
ほんの少しだけ、口角が上がった。
まるで「面白い」とでも言うみたいに。
次の瞬間、膝が落ちた。
巨体が石畳に沈み、凍った傷がひび割れるように砕ける。
そして、光になった。
霧がほどけるみたいに輪郭が消え、月明かりに溶けるように、リーダーは完全に消滅した。
『勝ったああああああ!!』
『月の剣つええええ!』
『盾しずく復活からの逆転神回!』
『ほのか耐えたの偉すぎる』
『ミコトのロープとハイヒール神』
『ボス最後ちょい笑ったの怖いんだが』
しずくは息を吐いた。
足から力が抜けて、その場に座り込む。
ほのかも、そのまま尻もちをつく。双剣を膝の上に落とし、肩で息をしていた。
ミコトは杖を支えにしながら、へなへなと座り込む。顔が真っ白だ。
緊張が切れて、手が震える。
勝てた。
ほんとに、勝てた。
そのとき。
ぐにゃりと、空間が揺れた。
視聴者の画面も、ぶれた。
『え、今揺れた?』
『配信バグった?』
『演出?』
しずくたちも同じだった。
座り込んだまま、視界が一瞬引っ張られる感覚。
月明かりが、すっと薄くなる。
星空が、消える。
闘技場の外周が、ほどける。
そこは、見慣れた岩と土の洞窟だった。
湿った壁。狭い天井。
さっきまで確かにあった“空”も“月”も、どこにもない。
「…え」
ほのかが、乾いた声を漏らす。
「…戻ってる?」
ミコトも呆然と周囲を見る。
闘技場の石畳の感触は消え、足元はいつもの砂利混じりの地面。
あまりにも普通で、さっきまでの月夜が夢だったみたいに感じる。
しずくは、右手の杖を見る。
月の剣は、もうない。
杖先に残っていた月光も、すっと引いている。
でも。
ほんのわずかに、まだ温度が残っている気がした。
冷たいのに、優しい、あの光の名残。
そして耳元に、かすれるように小さな声。
「おしまい」
「ねむい…」
やる気のない、女の子の声。
しずくは喉を鳴らして、ほのかとミコトを見る。
二人は何も聞こえていない顔で、ただ息を整えている。
(…私だけ)
胸の奥がざわつく。
怖い、というより“知らない何か”に触れた後の、落ち着かなさ。
視聴者はまだ勝利に酔っている。
『洞窟戻って来て草』
『特殊ボス部屋だったのか!』
『神演出すぎる』
『月の剣なに!?ダンジョンの隠し要素?』
しずくは、銀盾を撫でる。
盾はいつも通りの重さで、いつも通り手に馴染む。
ただ、縁の淡い銀が、ほんの一瞬だけ、月みたいにきらりと光った気がした。
(…気のせい?)
しずくは深く息を吸って、吐いた。
勝てた。
でも、今日の“勝ち方”は。
たぶん、普通じゃない。
洞窟の湿った空気が肺に戻ってきて、闘技場の空が嘘みたいに感じる。
三人が座り込んだまま、しばらく誰も言葉を出せなかった。
勝てた。
勝ったのに、心臓だけがまだ戦場のテンポで鳴っている。
そのとき。
視界の端に、光の線がすっと走った。
あの、見慣れた演出。レベルアップの合図。
しずくの前にシステムウィンドウが開く。
【レベルアップ】
佐倉しずく:放浪者 Lv4 → Lv5
基礎ステータス上昇
固有スキル:ローグライク Lv3 → Lv4
ロック枠 +1(2/3)
数字が上がった、という事実が、じわっと遅れて現実味を持ってくる。
さっきまで「死ぬかもしれない」が、喉の奥にあったのに。
今は、たしかに進んだ。
しずくは震える手で、バックラーの縁に触れた。
(…三つ、持ち帰れる)
次に、ほのかの視界にも光。
【レベルアップ】
神宮ほのか:アーチャー Lv4 → Lv5
基礎ステータス上昇
アーチャースキル習得:マーキング
敵1体に刻印を付与。被ダメージ上昇、体勢を崩しやすくなる。
「これ…強い」
息が切れたまま、ほのかが呟く。
さっきまで震えてた手が、今は弓を握る形を思い出している。
削るだけ、じゃない。
崩すための一手が手に入った。
ほのかは、しずくの方を見て、笑おうとして失敗したみたいな顔になる。
「…次、もっと楽に勝てるじゃん」
言葉は軽いのに、声の奥にまだ怖さが残っている。
それでも、確かに前へ進んだ声だった。
最後に、ミコト。
膝をついたまま、息を整えようとして、うまくいかない。
魔力の使いすぎで指先が冷たい。
でもウィンドウは容赦なく開く。
【レベルアップ】
白澤ミコト:ヒーラー Lv3 → Lv4
基礎ステータス上昇
ヒーラースキル習得:ホーリーライト
アンデット・悪魔系に大ダメージを与える聖なる光。
それ以外の敵には目眩まし程度。
「助かります」
ミコトはそれだけ言って、杖を握り直した。
回復だけじゃ足りない場面がある。
今日の不意打ちで、それを骨の髄まで理解した。
倒すための光が、ようやく手に入った。
コメント欄は勝利の熱のまま、さらに燃え上がる。
『レベルアップきたあああ!』
『マーキング来たな、強スキル!』
『不死系に無双』
『ロック枠2/3は神、持ち帰り安定する!』
『でもさっきの月の演出何…?』
三人は顔を見合わせる。
勝った。
レベルも上がった。
なのに、さっき見た月だけが、現実の外側に残っている。
しずくは、言いかけて飲み込んだ。
今言えば、二人を不安にする。
それに、確証がない。
代わりに、しずくは小さく息を吐いて言った。
「…行こうか」
ほのかが頷き、ミコトも頷く。
三人は立ち上がる。
洞窟の天井は低い。空はない。月もない。
でも――
しずくの杖だけが、ほんの一瞬、淡く月光を残した気がした。
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