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第38話 終わらない夜

シャーマンは、うつ伏せのまま動かない。

小杖も転がったまま。

雷光も闘技場を覆う霜も、もうない。


残るのは、リーダーだけ。

空には星々。

そして、表の半月。

風はない、底冷えする空気、夜の世界。


ゴブリンリーダーは相変わらず、何も感じていない顔でこん棒を握り直す。

霜が消えたことも、月が戻ったことも。


仲間が倒れたことも。


ただ、戦士の勘か?立ち位置を変えた。

背後に柱を背負う位置。

遠距離からの強襲を防ぐ場所。


最後に残ったのは本能。

戦士として、部族の長として、ただ目の前の敵を叩き潰す。

それだけ。


ほのかは息を荒げながらも、すぐに“射線”を取る位置へ走った。

しずくの邪魔にならず、最適なタイミングで、いつでも弓で追撃できる角度。


「しずく、こっち周る!」


ミコトもスタンから解けた瞬間、即座に詠唱に入る。

冷えた指先が震える。でも迷わない。


≪ヒール≫


淡い光がしずくに降りて、体の芯に熱が戻る。

凍傷の名残が薄れていく。


万全。

立て直せた。


このまま押し切れる。


三人も、視聴者も、そう思った。


コメント欄も、勝ちの空気になっていく。


『よし、リーダーだけ』

『しずく耐えた、あとは削るだけ』

『ミコト回復えらい』

『柱が邪魔やな』

『ほのか、いい立ち位置だ』

『勝ったな(確信)』


全員の目が、リーダーへ向く。


しずくも銀盾を前に出し、杖を握り直す。

リーダーの動きに合わせて、ほのかの位置取りを確認しながら、しずくは滑るように動いた。

視線はリーダーから外さない。


(集中、集中しろ)


リーダーの右肩の筋肉が震えた。

棘付きこん棒が、振り上げられるのが見える。

狙いは読める。タイミングも分かる。


(いける…大振り、パリィ取れる)


そのときだった。


うつ伏せで倒れていたはずのシャーマンの指が、ぴくり、と動いた。


誰も見ていない。

誰も意識していない。

ゴブリンリーダーだけを見ている。


瀕死の、最後のあがき。

残った命を無理やり魔力に変える。

小さい、小さな魔力の流れ。

魔力調律を持つミコトですら認識できない、命の魔力。

指先から、小さな雷が弾けた。


それは、ほとんど“火花”に近い。

威力なんてほとんどない。普通なら避けられるはずの、ちっぽけな一撃。


けれど。


死角から来た雷は、しずくの視界の外で鳴って、ほんの一瞬だけしずくの時間を奪った。


指が固まる、足が遅れる、呼吸が止まる。

神経が情報を伝達できない、わずかな隙。


(…っ)


銀盾の縁が淡く光った。

危ないと告げるように。


でも、遅い。

ほんの一瞬が、致命になる。

命の魔力がその一瞬を生み出した。


ゴブリンリーダーは本能で理解した。

小娘の動きが止まった、と。


渾身の一撃。

棘付きこん棒が、空気を裂き、夜の世界を引き裂く音を立てる。


夜が割れた音がした。

大きくはない。

ただ、体の芯まで届く音。


鈍い衝撃がしずくの胴を貫いた。

視界がひしゃげる。呼気が肺から押し出される。


しずくの体が、ボロ布みたいに宙を舞った。


銀盾が手から離れかけ、杖が指からすべり落ちそうになる。

月明かりが回転して、闘技場の柱が迫る。


重い衝撃音。


柱にぶつかった音だけがやけに大きく響いて、しずくの体がずるりと落ちるように止まった。

口元から、赤い血が滴り落ちた。


夜の闘技場が、静まり返った。


時間が止まる。


ミコトも、ほのかも、視聴者も、何が起こったのか理解できない。

「勝った」と思った次の瞬間に、しずくが柱まで吹っ飛んでいる。


しずく本人すら、痛みの輪郭が遅れてくる。

息が、吸えない。

目の前が白い。


その沈黙の中で、シャーマンだけが、ほんの少し口角を上げた。


笑ったように見えた。

最後に、成すべきことを成した者の目。


次の瞬間、シャーマンは光になって消えた。


そして。


止まっていた夜が、動き出す。


コメント欄が、爆発した。


『え?????』

『しずく!!!!』

『今の何!?不意打ち!?』

『シャーマン生きてたのかよ!!』

『やばいやばいやばい』

『HPは!?生きてる!?!?』

『リーダーの一撃、直撃したぞ』

『ミコト!回復!回復!!』

『ほのか!!ミコト!!しずくを!』

『風呂行く前でよかった…』


ほのかの顔から血の気が引く。


「…し、ずく…?」


ミコトの喉が鳴る。

呼吸が浅くなって、足が勝手に震える。


「しずくさん!!」


闘技場の月明かりだけが、やけに冷たく、静かに三人を照らしていた。



ゴブリンリーダーは、止まらない。


瀕死の小娘を楽にしてやる。

そして次はあの小賢しい子供、最後にあの弓手の女。


棘付きこん棒を引きずりながら、

ずる…ずる…と、しずくの倒れた柱へ向かって歩いていく。


トドメを刺す気だ。


闘技場の空気が冷えきったまま、月明かりだけが淡く白い。

コメント欄は阿鼻叫喚のまま、でも誰も「次」を言えない。


その沈黙を破ったのは、ほのかだった。


誰よりも早く、我に返った。

体が勝手に動いた。考える前に足が前へ出た。


ゴブリンリーダーの前に立つ。


双剣を、ぎゅっと握りしめる。

握りしめすぎて指が痛いのに、刃の冷たさが震えを抑えてくれない。


怖い。

足が、笑いそうなほど震える。


(無理だよ、私…)


でも、思い出す。


しずくはいつも前に立ってた。

盾を構えて、当たり前みたいに。

私たちを守ってくれてた。


(今度は)


今度は、私が守る。


ほのかは喉を絞って叫んだ。声が裏返る。


「ミコト!!しずくを!!」


その一言で、ミコトの時間が動き出す。

はっとして、息を吸って、駆け出した。


「はい!」


ミコトはしずくの元へ走る。

柱の根元に崩れたしずく。ローブは擦れて、呼吸が浅い。

口から流れた血が、死の匂いを感じさせる。


ミコトは震える手で、しずくの胸元に触れた。


…温かい。

鼓動は弱いけれど、確かにある。


視界の端にステータス表示。


HP残り僅か。

でも、ゼロじゃない。


「生きてる…!」


ミコトの声がかすれる。

次の瞬間には、もう詠唱に入っていた。


(間に合え…間に合え…!)


言葉が途切れそうになるのを噛みしめ、詠唱を押し切る。

長い詠唱。いまほど長く感じたことはない。


コメント欄が一斉に“祈り”の色に変わる。


『ミコト頼む!!』

『間に合え!!』

『ほのか前出たの偉すぎる』

『しずく生きててくれ』

『ハイヒール通ってえええ』


ほのかは、しずくの前で構える。

棘付きこん棒が、月光を鈍く反射する。

一歩、また一歩。


ほのかは腰を少しだけ落とし、声を振り絞った。


「来いよ…!リーダー!」


その瞬間、彼女の中で何かが切り替わる。

怖いのに、逃げない。

“しずくが守ってきた場所”を、今だけは譲れない。


ミコトの詠唱が、終わるまで。

しずくが立ち上がるまで。

あと少し。あと少し。


ゴブリンリーダーは、ほのかを侮らない。

目の前に立つ戦士を倒す。立ちはだかる者は潰す。

闘技場の月明かりが、二人の影を長く伸ばした。


夜はまだ終わらない。

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