第21話 撤退戦
ゴブリンの囲みが崩れた。
最後の一体が倒れ、広場の空気が一瞬だけ軽くなる。
しずくは盾を下げずに、ほのかと視線を合わせた。
(今だ)
二人は一気に駆ける。壁際の少女へ。
小さな体が震えている。
杖を握ったまま、足が動かない。
しずくが屈み、目線を合わせる。
「大丈夫…?けが…ない?」
少女は涙目で頷いた。
「あ、あの…ありがとう」
ほのかがすぐに周囲を確認する。
弓を下ろさない。少女に視線を降ろさずに言った。
「名前は?歩ける?」
少女が小さく答える。
「み、ミコト…ヒーラー…です」
その瞬間、奥の巣から気配。
空気が押される。
足音じゃない。
たくさんの何かが、同時に動く圧。
ほのかの顔色が変わった。
息を小さく吐く、低い声で言った。
「…やばい」
しずくが背筋を固くする。
「なに…?」
ほのかの視線が巣の奥に刺さる。
「数が多い。…めっちゃ多い。今の戦闘音で巣が目覚めた」
コメント欄も一気に凍る。
『巣反応した』
『増援くるぞ』
『数多いって何体だよ…』
『ドロップ拾え!…いや無理!』
『撤退!!撤退!!』
しずくは反射で足元を見る。
倒れたゴブリン。
魔石。素材。キラっと光るもの。
(拾いたい)
でも…。
ほのかが、はっきり言い切った。
「ドロップ回収の暇ない。撤退!」
その声が背中を押した。
しずくは即座にミコトの腕を取った。
「歩ける?走れる…!」
ミコトが震えながら頷く。
「う、うん…」
ほのかが弓を構えたまま後ろへ下がる。
しずくが盾を上げる。
「…下がる、下がる…!」
自分で言って、自分の心が落ち着く。
合図は、魔法だ。
巣の奥から、甲高い声が重なって聞こえる。
「ギャギャギャギャギャ……!」
数が、来る。
10? 20? もっと?
足音が重なって地面が揺れる。
ほのかが歯を食いしばる。
「しずく、分岐——右!」
MAPの最短じゃない。
でも“逃げ道”の最短だ。
しずくはミコトを引いて走る。
軽業が効いて、足がもつれない。
ミコトは小柄な体躯で、必死でついてくる。
ほのかは走りながら振り返り、矢を放つ。
狙いは適当。だが当たる。
先頭のゴブリンが倒れる。
でも止まらない。後ろが押し上げてくる。
ほのかが舌打ちする。
「数が多すぎる…!」
しずくが盾を構え直す。
「…追いつかれたら…私が止める…!」
ほのかが即答。
「足を止めない!止めたら囲まれる!今日は逃げ切る!」
正しい。勇気じゃなく、判断。
コメント欄が叫ぶ。
『撤退判断えらい!』
『ドロップ捨てて正解!』
『ヒーラー連れて帰れ!!』
『巣エリアやべぇ!』
『しずく、盾で守りながら走れ!』
しずくは前髪の奥で息を吐いて、もう一度言った。
「…下がる、下がる…!」
撤退は、戦いだ。逃げじゃない。
三人は走る。
背後から、数の圧が追ってくる。
ゲートまで、あとどれくらい?
足音が、波みたいに迫ってくる。
ゴブリンの群れ。
声。笑い。石が転がる音。“数”の圧。
一本道に入った瞬間、しずくは理解した。
(全力で逃げたら、背中を撃たれる)
弓、投石。
そして、転んだ瞬間に終わる。
三人とも、同じ結論に辿り着いていた。
逃げるなら、戦いながら下がるしかない。
ほのかが振り返りながら矢を放つ。
先頭が倒れる。
でも、次が踏み越えてくる。
ミコトが震える声で詠唱する。
「…ひ、ヒール…!」
淡い光がしずくの腕を撫でる。
痛みが少し引く。息が通る。
しずくは盾を上げたまま、滑るように後退した。
(殿を務める)
言葉にしたら怖くなるから、言わない。
でも覚悟だけは決めた。
祖父の背中が脳裏をよぎる。
「腹が決まらん奴は話で負ける」
(腹は決めた)
コミュ障だが、武人の血は逃げない。
しずくが一歩後ろへ下がると、ほのかとミコトも同じだけ下がる。
三人の距離が崩れない。
ほのかが低い声で言う。
「しずく、無理しない。足を止めないで。少しづつでも下がる」
しずくは頷く。
ゴブリンの先頭が叫ぶ。
「ギャギャッ!」
矢が飛ぶ、石が飛ぶ。
狙いは足、転ばせる気だ。
しずくは盾を置く。
(石はいい、頭にさえ当たらなければいい)
(矢は弾く)
銀縁が矢を受け、弾く。
腕が痺れる。でも止まらない。
投石がしずくの肩に当たる。
痛みが走るが、無視する。
(止まったら飲まれる)
ゴブリンが三体、同時に突っ込んできた。
棍棒、短剣、槍もどき。
しずくは前に出ない、押し返すだけ。
銀盾で棍棒を流し、短剣を弾く。
受けきれなかった槍が、革鎧の上から突き刺さる。
《パリィ:成功》
《パリィ:成功》
成功表示が流れても、喜ぶ暇はない。
しずくは体に力を入れる、ゴブリンが槍を抜こうとするが抜けない。
そのまま、ゴブリンの腹を思いっきり蹴る。
ゴブリンが転倒し、後ろを巻き込む。
短剣をしまい、即槍を抜く。うっすら革鎧に血が滲む。
そのまま右手で槍を振る。こん棒と短剣持ちが下がる。
しずくは短いモーションで、槍を横にして投げる。狙いは足。
2体のゴブリンが槍に巻き込まれて倒れる。
ほのかの矢が追撃する。後方の波に向って。
《ダブルショット》
矢を受けたゴブリンが倒れる、体制を崩す。
でも、減らない。さらに後ろがいる。
ミコトが必死に杖を握り、涙目で言う。
「ご、ごめんなさい…私…」
しずくは、息を切らしながら言った。
「謝らない!」
その言葉が、自分で驚くほど強く出た。
(助けるって言った)
(だから、助ける)
ほのかがミコトに叫ぶ。
「ミコト!回復はしずく最優先!」
「う、うん…!」
冷たい指示。正しい指示。
コメント欄が阿鼻叫喚になる。
『数多すぎ!やばい!!』
『殿しずくうううう!!』
『背向けるな!背向けたら終わる!』
『矢飛んでる!投石やべぇ!』
『撤退戦が一番死ぬんだよ!』
『がんばれぇぇぇ!』
しずくは一歩、また下がる。
ほのかとミコトも下がる。
三人の動きが、ひとつの“型”みたいになっていく。
殿が止める。
矢が削る。
光が繋ぐ。
ゴブリンが苛立って叫ぶ。
「ギャギャギャギャ!!」
指示を出している個体がいる。
しずくが息を吸って、決める。
(ここで一回、折る)
「ほのか…お願い…!」
ほのかが、踊り子の双剣にスイッチする。
《ダンシングソード》
同時に放たれた風の刃が、小さな竜巻を起こす。
小石が舞い、砂埃が起きる。
少しだけ、波が止まる。
その少しが、生きるための時間。
しずくが叫ぶ。
「…下がる!下がる!!」
三人が一斉に、じりじりと距離を取る。
ゲートまでまだ遠い。
でも、さっきより確実に進んでいる。
しずくの腕は痺れて、足は重い。
それでも、盾は落ちない。
武人の血。
そして、友達を一人にしないという約束。
コミュ障だが、殿は務まる。
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