第13話 上げて落とす
石扉。
ここから先は別って、肌で分かる。
ほのかが一歩前に出て、静かに言う。
「ここが、1層ボス」
私は盾を握り直す。
杖を持つ手に汗。
(ワーラット。人型ネズミ。二刀短剣。速い)
受付嬢の言葉が頭をよぎった。
その時。
スマホの画面の数字が跳ねる。
視聴者:9,980 → 10,012
コメント欄が、悲鳴みたいに埋まる。
『一万人超えた!!』
『10,000!!解除!!』
『烙印どうなる!?』
『いけええええええ!!』
『しずく、歴史作ったぞw』
手首が、熱い。
烙印が脈打つのが分かる。
次の瞬間、ウィンドウが開いた。
《烙印:観測者》
《解除条件達成:観測者 10,000》
《烙印は消滅します》
「…え」
手首の“目”みたいな紋様が、ふっとほどける。
黒い線が砂みたいに崩れて、空気に溶けた。
熱が、消えた。
「消えた…」
ほのかが私の手首を見て、息を吐く。
「よかった…。これで強化個体増えない、たぶん」
コメント欄も安堵と興奮でぐちゃぐちゃになる。
『呪い解除きたあああ』
『これで難易度ブースト止まる!』
『でも視聴者は増えるwww』
『協会が動くぞ…(震え)』
『ボス前に解除は熱すぎる演出』
私は、胸の奥が少しだけ軽くなった。
でも同時に、別の重さがのしかかる。
(一万人に見られてる)
怖い。
でも、隣にほのかがいる。
ほのかがコンパウンドボウを構えて、短く言った。
「しずく。最後の確認。撤退合図は?」
「『下がる、下がる!』」
「OK。壺は?」
「ボスに投げる…!」
「OK。じゃ、行こ」
ほのかが扉に手をかける。
石扉が、重く開く。
腹の底に響くような音の向こうで、何かが笑った気がした。
石扉が開いて、空気が変わった。
ボス部屋は広い。
天井が高い。
柱が点々と立っていて、陰が濃い。
そして、床の中央に気配がある。
人の形。獣の匂い。刃の気配。
ほのかが弓を構えたまま、声を落とす。
「…ワーラット、いる」
私は銀盾を上げ、杖を握り直した。
前衛魔法使い、いつもの構え。
その瞬間。
手首が、熱い。
さっき消えたはずの場所が、じわっと燃えるみたいに疼いた。
私は思わず自分の左手を見た。
黒い線が、また浮かび上がってくる。
目みたいな紋様。
「…え」
烙印が、戻った。
コメント欄が、先に気づいて叫ぶ。
『烙印戻ってる!?』
『え、解除じゃなかったの!?』
『しずくの手!!』
『嘘だろ、仕様変更!?』
『演出が悪魔すぎる』
私の視界に、冷たいウィンドウが差し込んだ。
《ローグライク:条件達成》
《観測者:10,000超》
《ボス個体へ挑戦》
《強化ボス個体、出現します。》
無慈悲なアナウンスだった。
感情がない。
ただの仕様。
ただの達成。
「…は?」
声が出た。
ほのかが私の手首とウィンドウを見て、顔色を変える。
「ちょ、待って…強化ボスって…」
コメント欄がざわつきから悲鳴に変わる。
『強化ボス!?』
『あれ確率1%もないんじゃ!?』
『まさかのフラグ回収www(笑えない)』
『10,000超えがトリガーとか地獄すぎる』
『ローグライク、性格悪い』
『ボス前に解除演出→即再付与は鬼』
『逃げろ!撤退できるなら撤退!』
撤退。
頭の中で警報が鳴る。
でも、目の前のボス部屋は扉が重い。
背を向けた瞬間、二刀の短剣が背中に来る未来が見える。
ほのかが、息を吐く。
「しずく。いったん、落ち着こ」
彼女の声が、いつもより低い。
“狩り”の声。
「強化でも、やることは同じ。ワーラットは人型で、二刀で、速い。つまり」
ほのかが弓を少し上げる。
「止めたら勝てる」
私は喉が鳴った。
怖いのに、頭が冴えていく。ガンギマリの入口。
「盾で止める…」
「そう。うちは射程と命中で削る。コンパウンドボウ、ここで活きる」
ほのかが“どや顔”をする余裕はない。
でも、視線はぶれていない。
私の手首の烙印が、熱く脈打つ。
《効果:ドロップ率上昇(大)》
《効果:強化個体出現》
「ボスだけ…?」
小さく呟くと、ウィンドウが追記するみたいに文字が滲んだ。
《条件達成により、今回のみ適用》
“今回のみ”。
救いなのか、罠なのか分からない。
でも、少なくとも今この部屋で終わりだ。
中央の影が動いた。
金属が触れる音。
短剣が二本、光を反射する。
ワーラットが顔を上げる。
人の体格。
ネズミの顔。
歯を見せて笑っている。
目が赤い。血走っている。強化だ。
そして、短剣の刃が妙に長い。
ギザギザしている。出血が付与されるやつ。
ほのかが小声で言った。
「しずく。最初に壺、当てられる?」
私は頷いた。
声は出ない。
でも、意思はある。
「OK」
コメント欄が、応援と恐怖でぐちゃぐちゃになる。
『強化ボス来たあああ(終)』
『勝て!勝て!!』
『火炎壺!火炎壺!』
『コンパウンドボウ見せつけろ!』
『銀盾パリィで止めろ!』
『撤退合図忘れるな!』
私は盾を前に出し、一歩踏み出した。
「…行く」
ほのかが弓を引き絞る。
滑車が静かに回る。
機械みたいに安定した引き。
そしてワーラットが、笑いながら消えた。
消えた、ように見えた。
速すぎて、視界から消えただけだ。
背筋が凍る。
(来る!)
消えてない。
速すぎて見えないわけでもない。
滑っている。
床の上を、氷の上みたいに。
力を入れて走るんじゃなく、重心をずらすだけで距離が詰まる。
狂ってるような目をしてるのに、動きは冷静だった。
踊るみたいに、短剣が舞う。
『やべええええええええ』
『滑ってる!?』
『あれ人間の動きじゃねぇ!』
『強化ボス、別格だぞ!』
『しずく!盾!盾!』
私は銀盾を構える。
目で追うんじゃない。
来る角度を読む。
(ワーラットは二刀。左が牽制、右が本命)
そう思った瞬間。
左が本命だった。
強い金属音。
銀盾に、短剣が刺さるみたいに当たる。
衝撃が鋭い。重くない。鋭い。
腕の奥に針が刺さるみたいな痛み。
(うそ、フェイントが本命…)
一撃で、盾の角度がズレる。
次が来る。
右。下から。滑るように。
私は反射で盾を落とす、間に合わない。
代わりに、杖を出した。
「マジックブロウ!」
詠唱なし。
杖先に魔力を集めて、殴るというより押す。
ワーラットの肩に当たった。
でも止まらない。止まらないまま、短剣が私の太腿を抉る。
そして、姿勢が美しく戻る。
踊りが続く。
「効いてない…?」
太腿が疼く。こっちの足を潰しに来ている。
ワーラットも被弾したはず。
なのに、気にした様子すらない。
ほのかの矢が飛ぶ。
ワーラットの足を貫く。
ワーラットは痛がらない。
痛みを無視してるんじゃない。
痛みを“計算に入れて”動いている。
『当たっても止まらねぇ!?』
『ボス、冷静すぎる』
『狂ってるの目だけだろこれ』
『やべええええええ』
ほのかが叫ぶ。
「しずく、近い!足元!」
ワーラットが低く滑り込み、短剣が私の脛を狙う。
出血。あれは出血が来る。
私は盾で受ける、じゃない。
重心を落として、足を引き、同時に体を斜めにずらす。
刃が、ローブの端をかすめた。
布が裂ける音。
皮膚に届かなかった。ギリギリ。
「…っ」
息が漏れる。
怖いのに、頭が冴える。ガンギマリが深くなる。
(滑るタイプは、止まる瞬間がある。重心を変える瞬間)
その瞬間だけ、刃の軌道が“固定”される。
(そこを取る)
私は半歩、前に出た。
盾を出しすぎない。
ワーラットの刃の“戻り”に合わせる。
銀盾が短剣を弾く。
《パリィ:失敗》
違う。
タイミングが早い。
弾けてない。流せてない。
ワーラットが笑った。
口だけが吊り上がる。目は冷静。
次の刃が、喉に来る。
(死ぬ)
ほのかの矢が割り込んだ。
血しぶきが舞う。
ワーラットの手首に刺さって、刃の軌道がわずかにズレる。
たった数センチ。
でもそれが命だった。
「しずく!壺!!いま!」
ほのかが叫ぶ。
矢で作った隙。
私は盾で押し込む。
銀盾の縁で、ワーラットの顔面を横にずらす。
踊りのラインを崩す。
そして、右手で腰の火炎壺を掴んだ。
(当てる。絶対当てる)
投げる距離じゃない。
でも置く距離ならある。
私は壺を、ワーラットの胸に押し付けるように、叩き込んだ。
爆ぜる音。
火が咲く。炎が広がる。
足を滑らせるように、私は下がる。
《火属性ダメージ(中)》
《状態異常:やけど》
ワーラットが、初めて止まった。
一歩、止まった。
それだけで、世界が変わる。
『壺きたああああああ!!』
『止まった!!今だ!!』
『やけど入れ!!頼む!!』
『やべえええええ(歓喜)』
ほのかがコンパウンドボウを引き絞る。
滑車が回る。リリースが機械的に安定する。
《ダブルショット》
矢が、炎の中へ飛ぶ。
胸に二連。
貫通する勢い。
ワーラットがよろけた。
私は杖を構える。
「……マジックアロー!」
近距離。誘導なんて要らない。
光の矢が、燃える体の中心へ吸い込まれる。
ワーラットの踊りが、崩れた。
でも。
ワーラットは倒れない。
火に包まれているのに、短剣はまだ舞う。
むしろ、動きが激しくなる。
炎の熱を避けるためじゃない。
刺しにくるラインを変えてきた。
冷静すぎる。
『まだ動く!?』
『強化ボス、しぶとい!!』
『しずく、下がる合図忘れるな!』
『やべええええええ』
ほのかが息を吸って、短く言った。
「しずく。次、決める。いける?」
私は震える手で銀盾を上げた。
怖い。
でも、今は止められる。
「…いける」
コミュ障だが、戦場では言える。
ワーラットが炎の中から滑るように消え、
次の瞬間、私の右側面に現れた。
短剣が、踊る。
踊りの最終章が始まる。
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