第12話 ほのかの新弓お披露目
朝の教室は、いつも通りうるさい。
でも私の周りだけ、いつも通り静かだ。
私は席に座って、前髪の奥から机の上を見つめる。
空気。透明。
それが私の通常運転。
のはずだった。
教室の入り口が開いて、ざわっと空気が動く。
神宮ほのか。金髪サイドポニー。ちょいギャル。
クラスの中心が、笑い声を連れて入ってくる。
私は反射で視線を落としかけて、
ふと、目が合った。
ほのかが一瞬、にっと笑った。
そして、はっきり。
「おはよう、しずく」
私の世界が止まった。
え?
いま、私の名前?
一瞬の静寂のあと、教室がわずかにざわめく。
「え、今…」
「神宮、佐倉に挨拶した?」
「佐倉って、あの…いつも静かな子?」
「え、知り合いなんだ」
カースト上位の神宮ほのかが、空気の少女に挨拶。
その事実だけで、教室の温度が変わる。
私は息ができなくなって、喉が固まって、声が出なかった。
返したいのに、返せない。
でも完全に固まる前に、体が勝手に動いた。
小さく、会釈。
ぺこ。
たったそれだけ。
でも私にとっては、教室の真ん中で盾を構えるくらいの勇気だった。
ほのかは、私の会釈をちゃんと“返事”として受け取ってくれたみたいに、満足そうに笑って、自分の席へ行った。
それがまた、教室をざわつかせる。
私は机の下で、指をぎゅっと握りしめた。
(できた…会釈)
言葉は出なかった。
でも、“無”じゃなかった。
一時間目が始まる前。
スマホが、机の中で震えた。
L〇NE。
神宮ほのか:おはよ。
今日、1層のボス。行く?行っちゃう?
私は画面を見つめたまま固まった。
(ボス…)
昨日の強化ネズミであれなのに。
烙印もあるのに。
でも。
(ほのかと、行く)
それだけで、怖さが半分になる。
ちょろい自分が、また顔を出す。
同時に、胸の奥が熱くなる。
(ほのか、私に「行く?」って聞いてる)
(一緒にが前提なんだ)
私は指を動かす。
文字を打つのは、声より簡単だ。
ネット越しの私が強いのと同じで。
でも送信ボタンの前で止まる。
(行きたい)
(怖い)
(でも行きたい)
そして、教室のざわめきがまだ耳に残っている。
神宮ほのかが、私に挨拶した
その出来事が、背中を押した。
私は、短い返事を打った。
いく。
でも、無理そうなら帰る!
送信。
送った瞬間、心臓が跳ねた。
でも、後悔はなかった。
(また明日、って言ってくれた)
(明日も友達、って言ってくれた)
だから今日も、友達。
協会のロビーは、平日の夕方でも人がいる。
装備ケースを引く音、受付の呼び出し、売却窓口のざわつき。
私は壁際の椅子に座って、膝の上でスマホを握っていた。
ほのか:ごめん!ちょい遅れる!
「ん…待つ…」
声に出すと落ち着く。
でも待ってるだけだと、余計なことを考えてしまう。
1層ボス。
烙印。
視聴者。
10,000。
手首の“観測者”の紋が、じんわり熱い気がした。
(…情報、集めよう)
昨日までの私なら、待つだけだった。
でも今日は、違う。
ほんのちょっとだけ、“自分から”動いてみたい。
視線を上げると、例の受付嬢がカウンターで暇そうに端末をいじっている。
忙しい時は声をかけられないけど、今なら…。
(行け。会釈できたんだ。今日は、質問くらいできる)
私は立ち上がって、カウンターへ近づいた。
喉が固い。足が変。心臓がうるさい。
「あ、あの…」
受付嬢が顔を上げて、すぐに気づいたみたいに眉を上げる。
「あ、佐倉さん。今日も神宮さんと一緒?」
「はい…ちょっと遅れるって」
「なるほど。待ち合わせね」
受付嬢は声を柔らかくしてくれた。
助かる。私はちょろい。
私は、言葉を絞り出す。
「きょう…1層の、ボス…行く…かも…で」
「ボス?」
受付嬢が端末から視線を外して、少しだけ真面目な顔になる。
「レベルは?」
「…3です…二人とも」
「3か」
受付嬢は一瞬だけ考えて、それから肩をすくめた。
「まあ、行けるかな?」
その“行けるかな”が、軽いのに重い。
「行ける」じゃなく「行けるかな」。現場の言葉。
「1層ボスはね、ワーラット。人型のネズミ」
「人型…」
「二刀の短剣使い。素早いよ」
二刀。短剣。素早い。
嫌な単語が三連続で来た。
昨日の狂犬でさえ速かったのに、短剣で二刀って、刺しに来るやつだ。
「や、やば…」
「うん、やばい」
受付嬢が即答して、私は少しだけ救われた。
私だけがビビってるわけじゃない。
「あと、ワーラットは距離を詰めるのが上手い。後衛狙いで回り込む個体もいるから、弓の子は特に位置取りね」
「ほのか…」
ほのかの顔が浮かんで、胸がきゅっとした。
受付嬢がふっと声を落とす。小声。
「それと佐倉さん。最近、協会の上がちょっとザワついてるのは…知ってる?」
私の手首の烙印が、気のせいじゃなく熱くなった。
「え…」
受付嬢はそれ以上は言わず、いつものプロの笑顔に戻す。
「変に怖がらせるつもりはないけど。目立つなら、なおさら“基本”を守りなさい。撤退基準、合図、あと…配信の映る範囲」
「はい…」
私は深く頷いた。
そして、ふと気づく。
(私、いま…ちゃんと会話してる)
声は小さい。言葉は途切れる。
でも、逃げてない。
その時。
「しずくーー!!」
ロビーに明るい声が響いた。
振り向くと、神宮ほのかが小走りで来る。
防具はいつものレンタル装備。プロテクターと革手袋。腰に矢筒。背中にリュック。
でも、弓が違った。
黒くて、機械っぽい形。
両端に滑車みたいなものが付いている。
「弓…それ…」
ほのかが胸を張る。若干どや顔。
「えへへ、奮発した!」
「なに…それ…すごい」
「コンパウンドボウ!」
言い方もどやってる。可愛い。
「滑車で引く力が補助されるから、威力上がるの。あと負荷が減るからエイムが安定する。リリースも機械的に安定して、命中精度が上がる!」
威力、エイム、安定、命中精。
全部、昨日の私たちに足りなかった単語。
受付嬢が横で「お、いいの買ったわね」と頷く。
「ボス行くなら、なおさら正解。短剣の二刀は速いから、止める火力が大事」
ほのかが一瞬だけ表情を引き締める。
「ワーラット、だっけ。ネットで調べた。素早いんでしょ?」
「うん…人型ネズミ、二刀…」
私が言うと、ほのかが「こわっ」と笑った。
笑ってるけど、目は真面目。
「しずく、今日は魔術型なら、アローで削って、近づいたら盾で止める。うちは射程で削る。後衛狙いの回り込みだけ、絶対ケア」
私は小さく頷く。
「合図…決めよ」
「うん。“下がる”は二回言う。『下がる、下がる!』って。言われたら即撤退方向」
“即撤退”って言葉が、心強い。
戦うための言葉じゃなく、生きるための言葉。
私は、ほのかの新しい弓をもう一度見た。
(かっこいい…)
そして、ほのかの顔を見る。
(かわいい…好き…)
ちょろい。
でも、それでいい気がした。
ほのかがにっと笑う。
「よし。行こ。1層ボス、行っちゃう?」
私は一瞬だけ怖くなって、でも、会釈できた朝を思い出す。
「また明日」を思い出す。
昨日の30万円を思い出す。
それと、目の前の相棒を。
「行く…! でも無理なら帰る…!」
「それでよし!」
二人でゲートへ向かう。
虹色の膜が、すぐそこにある。
手首の烙印が、また脈打った。
(観測者が増えるほど、世界はきつくなる)
でも。
(友達がいるほど、私は前に出られる)
ゲートを抜けた瞬間、見慣れた石畳と湿った空気。
そして、
《職業:放浪者》
《本日の型:魔術型》
《初期装備:杖/ローブ》
《補正:INT↑/STR↓》
《使用可能魔法:マジックアロー/マジックブロウ》
「今回も、魔法使い…だと…」
ほのかが横で吹き出す。
「前衛魔法使い、定着してきてるの草」
「草って言うな…」
左手に銀のバックラー。右手に杖。
盾持ちメイジ、今日も爆誕。
ほのかが協会で受け取ったMAPをスマホで開いて、最短経路を指さす。
「ここ真っすぐ。分岐は右。迷わない。今日、ボス直行」
「うん…」
道中、犬っぽい影とラットの群れが何度も出る。
でも。
ほのかの新弓が、別次元だった。
コンパウンドボウ。
滑車で引く力が補助されるせいで、引き絞りが軽い。
軽いのに、矢が重く飛ぶ。
「撃つ」
ほのかが引く。離す。
リリースが機械みたいに安定してる。
ズンッ。
犬が、走る前に沈む。
『新弓!!』
『コンパウンドボウTUEEE』
『エイムぶれないの強すぎ』
『ダブルショットの精度上がってね?』
『弓が別ゲーになったwww』
「えへへ、奮発したからね!」
どや顔。かわいい。好き。
私はちょろいので、胸がふわっとする。
私は前に出て、盾で万が一だけ潰す。
ほのかが落としきれない個体にだけ、マジックアローで追撃。
「……マジックアロー」
誘導弾が曲がって、逃げるラットの首に刺さる。
ほのかの矢が、残りを処理。
正直、余裕がある。
ラットが消えた後、床に落ちたのは魔石だけじゃなかった。
《ローグライクドロップ:低級ポーション》
《ローグライクドロップ:火炎壺》
「ポーション!」
ほのかが「おっ」と声を上げる。
【火炎壺】
当たると爆発する壺。火属性ダメージ(中)。確率でやけど。
コメント欄が爆発する。
『壺キターーーーーー!!!』
『火炎壺はボスに刺さるやつ!』
『ポーションは命』
『ローグライク、今日は機嫌いいなw』
私は壺を腰に括り付け、ポーションをほのかに渡した。
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