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生きている?

作者: キリュン

 考えても無駄なことというものがある。例えば、人間と動物の境界をどこに置くかという議論は、議論そのものがナンセンスだとされる。ナンセンスは「無意味」という意味だが、「センスが無い」という意味で使われることが珍しくない。言語そのものに意味などない。我々は無意味な意味付けの中で生活している。


 死について考える。人間と動物の違いは死に自覚的であるか否かだとされる。

 豊かな時代になった。人間はみな生きる事に意味を求め、価値を見出す。人間の定義、意味に権力が与えられ、死を直視する必要がなくなった。我々は死を感じることなく、瞬間を生きることができる。

 これは動物への退行だろうか?


 動物が瞬間を生きるのは、単に死との距離が近いからだ。こう言い替えることもできる。死に自覚的だからこそ、動物は本能を生きる。死を生きている。


 死との距離が近い動物に対して、人間は様々な知恵を絞って距離を取ることに成功した。人生100年時代。これも無意味な意味付けと言っていい。自覚的であろうがなかろうが、生物は必ず死ぬ。

 意味の飽和、霧散する言語が不意に意味を孕む。その生成過程を愛でる。


 死を感じずに生きるということと、死そのものを生きるということに、どんな違いがあるのだろうかと。



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― 新着の感想 ―
距離とは他との比較ですから種で分けるのは違うかもしれませぬ。人間の一年と猫の一年は同じでないみたいなことです。 不治の病にかかって死を感じずに生きられる人は少ないとして、死んだように生きるか迫る死に抵…
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