54話 こぼれたミルク
――朝の爽やかな空気が駆ける。このクェンターレでは珍しく、涼しいと言える時間帯である。
炎砲が目を擦りながら降りてくる。一階には既に天賦たちが集まっていた。
「おはよう。みんな起きてたのか」
「おォ兄ちゃん、記憶の方は?」
「えーっと……うん、大丈夫だ。昨日のことも覚えてる」
「そうか」とカルメは軽く言う。それ以上の会話は無かった。机には既に料理が並んでいる。調理した人間が誰かなんて言うまでもない。
「えっと、勝手に作っちゃいましたけど大丈夫でした?」
「もちろん。ファティの料理は美味しいからな」
「はは、ありがとうございます」
ファティはコップに口をつけ、水を一口飲んだ。目が細いので目線が分かりにくいが、それは階段の先を捉えている。
普段は天賦や再生師が元気に会話をしているものだが、今日は穏やかな時間が流れていた。風が吹く音が聞こえる。
「炎砲」
ふいに、天賦が実を食べる手を止めた。いつもならまず先に肉に手をつける彼女が、小さな木の実をちまちま食べている。
「なに?」
「妹ってどう思う」
炎砲は右上を見上げ、泣きぼくろを掻いた。
「うーん、もしいたら可愛いだろうな」
キシャも寂しくないだろうし、と笑う。天賦は床に目を落とした。
「そうだ、皆んなはきょうだいとかいるのか?」
「私はいない」
「オレも、多分いねェな」
カルメの多分、という言葉に炎砲は首を傾げる。そこにすかさず再生師が間に入った。
「私は姉が1人いるぞ! 滅多に会うことはないがな!」
「確かに、姉ちゃんには姉ちゃんいそう」
「ファティは?」
「……一応、兄がいますね」
再生師とカルメが驚きの声を上げた。彼に上の兄弟がいるイメージはあまりない。
「意外」
「俺も子供の時以来会ってないですけど。今何してるかも知らないし――」
「おはようございます」
天賦たちの動きが止まった。そして、視線だけをそちらに向ける。茶髪を一つに結びながら現れた青年――キシャを見つめて。
炎砲はにこりと笑い、キシャに体を向けた。
「おはようキシャ。良く眠れたか?」
「今日はちょっと、まあまあかな」
キシャはカルメを睨んだ。昨日の夜のことを言っているのだろう。カルメは立ち上がり、大袈裟におどけてみせた。
「なァんだよ"弟"。たまには外出た方が健康的だろ? まず体力つけなきゃ始まらねェぞ」
カルメは「弟」をかなり強調してキシャに近づいた。彼は僅かに後退りをして、眼鏡に手を伸ばした。
「そういうものじゃないんですけど」
「それもいいかもな。ずっと家にいたらすっきりしないだろ? 夜に少し歩くとか」
「ええ……まあ、お兄ちゃんが言うなら」
キシャは唇を尖らせて腕を組んだ。
天賦は"相棒"のグリップを握り、木の実を飲み込んで立ち上がった。
「じゃあ行く」
「え? どこ行くんだ?」
「ちょっと、歩く。2人はここにいていい」
炎砲とキシャは視線を交わした。天賦は「ゆっくりする」「相棒と過ごす」と言っていたのに、カルメたちも連れてどこかに行くというのだ。
「もしかして、なんかあったとか」
「いや、まあ少し、調べたいことがあってな。」
再生師の尾の先が円を描く。
「呪源のこと?」
「そんなトコ。ちょォっと事情が変わってな、今日のゆっくりはナシだ」
既に、ファティが空になった皿を片付けている。卓上に残ったのは炎砲とキシャ分の料理だけだ。
「じゃ、行ってく――」
「あの」
天賦がドアノブに手を伸ばした時、キシャが声を発した。彼女のポニーテールがするりと揺れる。
「……何?」
キシャの穏やかな橙色の目が、天賦をまっすぐ見据える。呼吸の音がしなくなった。
皆がその光景に注目していた。
「――呪源に近づかないで下さいよ」
それを聞くと、カルメが「そんなことか」と言って肩の力を抜いた。
「念押ししておこうと思ったんです。放っておくと勝手に行きそうだから」
「イルネとの約束を破ったりはしないさ! なあ?」
「も、もちろんですよ」
キシャは眼鏡をかけ直した。それ以上彼が何も言わないのを確認すると、天賦はドアノブを捻った。
「じゃ、ちょっくら散歩してくんね」
「ああ、いってらっしゃい」
――――――――――――――――――――――――――
――炎砲の家から出てすぐ、再生師とファティの笑顔が消えた。天賦は元より無表情である。
ファティはポケットの中から炎砲の手帳を取り出した。そして、苦い顔をしながらページを数回めくった。すぐにそれを閉じる。
「「妹」には反応ナシ」
「……ちょっと、吐きそうだ」
口を押さえながら、手帳を天賦に手渡した。ボロボロで、ある種の魔道具のような雰囲気さえ纏っているそれは、持っているだけで気分が悪かった。
理解できない気味悪さも加わって。
「その、誰かに聞いてみるか? ニーデン傭兵団とかに。」
「傭兵は町の調査中だろォ」
天賦たちの予定は変更されたが、彼らは計画をそのまま実行している。こちらに合わせてもらうのは難しい。
ただ、炎砲の親がニーデン傭兵団なら、彼らも何かしらの情報を知っているかもしれない。再生師の提案自体は良いものだ。
「あの。誰かに聞いたとして、一体どうするんですか?」
「どういうこと?」
「もし、もしですよ。キシャ……さんが、炎砲くんに何かをしていたとして、俺たちに何ができるんですか? これを思い出させたとしても、それから? 彼にとっていいことが起きるとは思えなくて……」
ファティが言っていることも一理ある。
炎砲にとって、家族はキシャ1人だけ。心の支えである。その世界を天賦たちが破壊した後、炎砲にとって「いいこと」とは何だろうか?
弟を失うこと? 孤独になること?
"相棒"を一時的に失うだけでも苦痛だった。孤独とは魔物よりも恐ろしい。
ただ、天賦には一つ気がかりなことがあった。手帳を開き、該当のページを探す。天賦に字は読めないが、それの意味を成す記号がどれかは教えてもらった。
「妹」
手帳の後半は支離滅裂で、字にすら見えなかった。ただ、前半の方はこの単語が沢山記されていた。詳しい内容は分からずとも、そこに込められた想いは相当のもののはずだ。
「いなかったことになってる、のは、つらい」
ファティはうなじを撫でた。再生師は悲しそうに眉を下げている。
「それは、そうかもしれませんけど……」
「まだ決まったワケじゃねェけどな。前は狂ってたけど、今になって治ったって説も一応あるし」
「炎砲は覚えていないだろうし、だから他の人間に聞くのがいいと思ったのだが……。」
普通なら一兄弟の詳しい話なんて、町の人間に聞いても出てこないだろう。
しかし、クェンターレは普通の町ではない。5年も封鎖されているのに加え、炎砲は町でも比較的有名人であるはずだ。炎砲とキシャの謎についての手がかりが見つかるかもしれない。
そう思って――なあなあではあるが――町の人々に彼ら兄弟について、「妹」について聞いて回った。しかし、
「きょうだいがいるのは覚えている」。
「見かけないので詳しく知らない」。
「弟だった気もするし、妹だった気もする」。
答えが何もかも曖昧だった。
町の人間皆顔見知り、ぐらいまで来ていると思っていたので、この答えは予想外である。
炎砲の話が正しければ、彼らは生まれた時からこの町に住んでいたのではなく、後から傭兵団の前のボスに連れられてここに来たのだ。
移住して来た幼い兄弟なんて人々の記憶にこびりついてもおかしくないと思ったのだが。
「ここまで知らないなんてありえるのか?」
「……一概には言えませんね。周囲の人間に気を配っている余裕が無いってのも普通ですから」
外部からはまともな情報を得ることはできなさそうだ。
日が落ちて来て、辺りが涼しくなり始めた頃だった。それでも、天賦たちが新しく知ったことは「なんとなく変」ということだけ。
天賦たちは炎砲の家に帰るでもなく、人気のない場所に留まっていた。なんとなく、皆あそこに戻りたくないと考えていたのだ。
「……どうします?」
「いっそソレ見せてみっか」
カルメが指したのは炎砲の手帳だ。手っ取り早く「異常」を知らせるには1番の手段だが、その後に起こりうることを憂慮した。
「炎砲がこんがらがったら、大変」
「そうですよね。でも、記憶がおかしくなってる人の適切な処置なんて聞いたこともないし……」
天賦たちには、彼らに何があったのか探ることには限界がある。実際に体験したことではないし、そもそも調べてどうにかなる問題ではないからだ。
天賦がどうしたものかと頭を悩ませていると、意外な人物が声を上げた。再生師である。
「その、もし炎砲の記憶に【保存】が関わっているのなら、私がどうにかできるかもしれん。」
「どうして?」
「私が炎砲に【再生】を使ってみれば、なんとか……。」
天賦は拡張袋を撫で、ディービがメイスの鉱石について説明していた時のことを思い出した。
『【治癒】とか【再生】をこの武器にかけんじゃねーぞ。【保存】はそいつらと反発して消える』
確かに、彼女の魔法を炎砲にかければ【保存】が解けて記憶が戻るかもしれない。……数多くの「仮定」が合っていればの話だが。
「アリかもなァ。やるだけやってみたらどうだァ?」
「大丈夫ですかね」
ファティにはまだ心配事があるようだった。
「まだ考えてるの」
「だって、仲良い家族っていいものじゃないですか……」
彼は、炎砲たちの生活を壊してしまうことをずっと気にかけていた。その理由は天賦には分からない。確かに良好な家族仲は平和で尊いものかもしれないが、炎砲とキシャの関係がそれに分類されるとは思えなかったのだ。
だって、あんなものを見てしまったから。
「でもやる」
「そうそう。どっちみち呪源に関係ありそうなヤツらを放っておくなんてありえないだろ」
ファティは特に答えることはしなかった。
「じゃ、兄ちゃん連れてくるわ」
「帰ってしないのか?」
「弟に見られたらマズイだろ」
なるほど、と再生師が言う。いつものように「頭がいいな!」とか言うと思っていたが、今日はそれをしなかった。
しばらく待った後、カルメは炎砲を連れて帰って来た。もう空も暗くなり始めている。
天賦はカルメに近づき、小声で聞いた。
「キシャにはなんて言ったの」
「寝てるらしいわ」
ということは、特に何も言わずに連れて来たのだろう。炎砲は来た道を何度もちらちらと見ていた。
「なあ、本当にすぐ終わるんだよな?」
「そんな心配すんなってェ。赤ん坊じゃあるまいし」
炎砲は泣きぼくろを掻いて、階段の上に座った。そして、再生師が彼の目の前で膝をつく。彼女は手のひらに数秒目を落とし、炎砲の顔をまっすぐ見据えた。
「炎砲、目を瞑っていてくれ」
「わ、わかった」
炎砲は言われた通りに目を閉じた。それを確認すると、再生師は炎砲の額に手を当てた。彼女の指が光を帯び始めたのと同時に――バッと手を離した。
「うわっ!?」
「ど、どうしたの」
再生師は目を丸くして炎砲を見た。彼も困惑した表情をしている。
「ほ、本当に【保存】がかかっている! 」
今まで【保存】による記憶混濁は推測でしかなかった。その他の可能性もあり得ると。
だが、再生師はかかっていると言った。天賦には魔法のことは分からないが、彼女が言うからには確かなのだろう。
天賦は思わず身震いした。
「なんのことだ? 一体何の話を……」
「あ、ああいや、なんでもないのだ。すまない、続きをしよう。」
再生師は一つ咳払いをして、再び炎砲の額に触れた。【再生】の輝きがやけに目につく。
静寂が訪れた。皆が2人を――何かが起きるのを期待して――見つめていた。
そして、変化は前触れなく訪れた。
「――いっ、あ、だっ!?」
突如、炎砲が暴れ出した。足をバタバタと動かし、再生師の腕をがむしゃらに掴み出したのだ。
頭を振り、再生師の手から逃れようと背中を逸らす。天賦は、天賦たちは大いに混乱した。
「まっ、再生師さん! 一旦やめましょう!?」
「駄目だ。中止した方が危険だ。」
はっきりとした口調だった。
彼女は暴れる炎砲をしっかりと押さえ、彼を離さないように尻尾を巻きつけ、額から目元に手をずらしていく。
天賦は炎砲の手を握った。
「頑張って。大丈夫だから」
その手は力強く握り返された。手のひらには脂汗が滲んでいる。ずっと弱い力だが、彼が苦しんでいることがありありと伝わってくる。
ファティはその光景から目を逸らした。
「ゔぅ……ふう、ふぅ……」
しばらくすると、炎砲の体から力が抜け始めた。気を失ったのではなく、安らぎを取り戻し始めたのだ。
ゆっくり深呼吸をする。未だに再生師は手を当てていた。よく見ると、彼女の額にも汗が流れている。
「オイ、大丈夫か兄ちゃん」
「だい、じょうぶ……」
見た目では変化が分からない。一体どうするのかと見守っていたら再生師と目が合った。
すると、彼女は尻尾をするりと解き、優しく、ゆっくりと炎砲に語りかけた。
「炎砲、一つ弟との思い出話でも聞かせてくれないか?」
「思い出……思い出……」
炎砲の頬に汗が伝う。
彼は呼吸を整え、肩を大きく揺らしながら、「思い出話」を始めた。
「あいつは……小っちゃい頃よく走り回ってた。周りを見ないから、どっかに服を引っ掛けて思いっきり破いたんだ。それで……裁縫の仕方とか知らなかったけど、俺がそれを縫ったんだ。」
「ガタガタだったけど、あいつは「かっこいいスカートになった」って……俺は、あいつに……」
――空気が凍った。
「キシャは弱い。走れない」
「スカートと言ったのか?」
炎砲の口が小さく動く。
キシャは生まれながらにして病弱だったはずだ。彼の話を聞く限りでは。それに加えて、この町でスカートを履く男性は見たことがない。独自の文化というわけでもなさそうなのに。
「…………スカート。あいつは弟なのに、変だな。そんなの買ってやるわけ、ないのにな」
はは、と炎砲は微かに笑った。未だに再生師は手を離さない。やがて彼の口から笑みが消えていく。小さな八重歯が見えなくなって――
――「あ」と、声を漏らした。
「……あ、あ、ああ、あ、」
「だっ、ど、どうしたの」
「炎砲くん、どうか落ち着いて」
再生師の手が光を失い、炎砲から離れていく。彼は限界まで見開き、虚無に目を奪われていた。
「オイ、兄ちゃ――」
「殺せ」
――何だ、今彼は何と言った?
天賦は思わず動きを止めた。炎砲の言葉をを理解する前に、炎砲が天賦の肩を掴んだ。――そして、
「殺せ! あれを殺せ! 殺せ! クソ、忘れる! おい、なあ!殺せよ今すぐ!」
動転する、なんて程度ではなかった。
彼は顔を真っ青にして、目を剥き、喉を焼いて叫んだ。
「落ち着け兄ちゃん! 一体何があった!?」
「あれを生かしちゃ駄目だ! ああ、クソ、クソ!」
炎砲は頭を抱えた。ガシガシとがむしゃらに掻きむしり、彼の指から髪の毛が溢れる。
彼の目の端からは涙が滲んでいた。
「俺、なんで忘れて……! ゔ、ううゔっ……」
「大丈夫、大丈夫だから」
何が「大丈夫」なのかは自分でも分からない。ただ、とにかく彼を落ち着かせないとと思っていた。
「炎砲くん。殺すべき、というのは何のことですか?」
「……あれだ、あの弟とか言うあれ。あれ、あれを……!」
分かってはいた。分かってはいたのだ。
やはり、キシャは「弟」ではないのだろう。しかし、あれだけ大切だと言っていた彼の口から「弟を殺せ」なんて出たことが信じられなかった。
「教えてください。彼は何をしたんですか?」
何を、と炎砲の口がはくはくと動く。彼の目からひとつ涙が流れた。
「あれは……何した? ああクソ、忘れる。俺の……俺の、俺の、クソ、駄目だ」
彼の記憶は未だに不確かだった。
「でも、これだけは。あれは、あれは化け物だ。あれの中身は……!」
――直後、天賦は後悔した。
ああ、なぜ私は気がつけなかったんだ、と。
――ぱしゃん。
「あ」
炎砲の頭に水が落ちて来た。赤毛に、スカイブルー。
彼の指が、唇が、瞼が停止した。
「……は?」
ぽたぽたと彼の髪から水が滴る。天賦を、再生師を、カルメを、ファティを視界に捉えた。
心の中で誰かが言う。
あーあ、やらかした。
「……えっと、どなたですか?」
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