44話 孤独に溺れろ
「ごめん。それは断固拒否」
「えっ?」
次の日、波の調査のために天賦たちはイルネを連れて行こうと考えていた。彼女はニーデン傭兵団のリーダーなので、不測の事態が起こっても対応してくれると思ったからだ。
しかし、彼女はそれだけは嫌だ、といった様子で、首を縦に振ってくれなかった。
「どうして」
「……私1人じゃ、無理。他の人に聞いて」
イルネは何故だか怖がっていた。
彼女から「波をどうにかしてほしい」と言われたのに、イルネは波の元に向かうことには消極的だ。
そうして、イルネは拠点の奥に行ってしまった。
「どうしたんだろ」
「リーダーがビビる姿なんて住民に見せられたモンじゃねェからな、だからオレらにどうにかしてほしいんだ」
彼女が「波」でどんな経験をしたのかは分からない。深く印象づくような何かがあったのかも、ぐらいしか。
「ではどうする? 他の傭兵に聞くか?」
「……頑張って、話しかける」
天賦は見知らぬ人々に話しかける決心をした。
しかし……
「や、俺はちょっと……」
「君たちみたいに強くないからさ」
「流石に嫌だよなぁ」
「流石に嫌」
ここで誰よりも戦闘をしてきている傭兵団たちが、皆揃って天賦の話を断った。「波が」と話した途端苦い顔をするのだ。よっぽどのことがあったに違いない。
「嬢ちゃんよォ、このままじゃあこの呪源タウンの「波」とやらを拝むことができねェぞ」
「そんなの分かってる」
せっかく自分たちが解決しようと行動しているのに、当の傭兵団たちがこの様子では流石にこたえる。もう少し良くしてくれてもいいだろうに。
「誰かクェンターレの人間を……」
「私が連れてこようか!?」
再生師が張り切って尻尾をぶんぶん振った。無理矢理は勘弁してほしい。傭兵団に嫌われたら大問題だ。
「あの、「波」の調査をしてくださるんですよね?」
すると、年のいっていそうな傭兵の男性が天賦に声をかけた。手には何かの袋を持っている。
「よければこれを持って行ってください。それがあればアレは反応するはずですから」
「え、ありがとう」
思いがけない提案だ。これなら「波」の調査もできるし、他の人間の目を気にしなくてもいい。何が入っているのだろうと紐を解こうとした時、
「あ、それは見ない方がいいかもしれません」
「え? どうして?」
「……アレは、住民の身体に反応するんですよ」
天賦と再生師はキョトンとした顔をしていたが、カルメが「あー」と言って、紐を解こうとする天賦の手を止めた。
「とにかく、コイツでオレたちは安全な調査ができるってこったな。あんがと」
「いえ、むしろ私たちのために、ありがとうございます」
天賦たちの中では呪源退治のために行動しているのが大きいのだが、その言葉に軽く頭を下げた。
「とりま、これで準備はできたけどよォ、や〜っぱり不穏だよなァ?」
「ああ。彼らがあれだけ怯えるのには明確な理由があるはずだ。出た瞬間殺されるとか。」
「そういうのなら、もうちょっと忠告してほしいモンだけどな」
どうして彼らが「波」を恐怖するのか。見てみないことには始まらない。
「いざとなったらその袋投げろよォ。オレたちは襲われないらしいからな」
「おお! カルメは賢いな!」
「それくらい、私もわかる」
「おお! 天賦も賢いな!」
再生師にそれを言われ続けていると、なんだか自分が賢くなったように思える。もう少し考えてくれ、と言いたくなる時もあるが。
「では、外を目指してみようか。」
「うん」
天賦たちは強い日差しを浴びながら、クェンターレの町から一時的に脱出した。
「ずっと砂漠……」
「暑いな! 暑い、本当に……。」
町を離れてまだ少し。「波」はまだ現れない。ただただ太陽が天賦たちを照らしていた。やりすぎなほどに。
「お二人さん辛そうだなァ。あ、姉ちゃんって【水滴】使えンのか?」
「ああ! 飲み水が欲しくなったら言ってくれ!」
再生師の手のひらの上にマーマレードのものよりも小さな水の塊が浮いた。彼女は優秀なことに、【再生】だけでなく常用魔法も身につけている。
「まあまあ歩いたけど、波とやらが出てくる気配がねェなァ。……や、ただオレの目がおかしくなってるだけか」
「カルメ、どう見えてるの?」
「景色にボヤ〜って呪いが被さってる感じ。気持ち悪ィ。オレの羽食うか?」
「いや」
ルチカナイトとの戦いではカルメの目が役に立ったが、今回はそういうわけにもいかなさそうだ。
「あ、思い出した。嬢ちゃん、夢見たか? 英雄の夢」
「いや……あ、見た」
苦しむシュルトカ。謎の「金眼」の女。
あれも"相棒"の特別な力で見た夢なのだろうか。
「どんな英雄だった?」
「えっと、女の明人。紫の髪。あと――」
天賦は口をつぐんでしまった。あの女性の瞳が、何か触れてはいけないもののような気がして。
「女の明人の英雄は……アベンとチュリマーだな。"勇者"は不確実だが。」
「なら次はそのどっちかかァ? 今回の呪源の夢を見るって信じるなら」
シュルトカの夢を見たのは偶然だったのか、それとも近くにいた呪源だったからなのか、そんなことは天賦も分からない。
「どちらも魔法系だな。白魔術師と魔術師」
「それは困る。魔法は不得意」
天賦は魔法を使うのも、使われるのも苦手だ。ベスランの一撃をモロに喰らってもそこそこ耐えられる自信はあるが、スルの【砲撃】には自信がない。
なんせ、天賦には魔法の知識がない。使われる前に倒せばいいだろう、の心持ちでやってきたからだ。
攻撃は予備動作を見れば避けられるが、魔法にはそれがない。実はあるのかもしれないが、天賦には判別不可能だ。
「結構離れたけど、まだ来ないんかねェ」
「その袋が違うのかも」
「えェ? アレ、ヤギとは違ったと思うんだけどなァ」
カルメはおかしなことを言う。
これだけ離れても出ないならそれに問題があると思うのだが。
「……ん?」
「どうした天賦?」
「……湿ってる?」
砂が水を含んで暗い色になっていた。雨上がりの大地のように。しかし、雨なんて降っていない。
それは境界線のように、大きな、とても大きな円を描いていた。町を十分に囲めるくらいの。
「あー、これだな。ここから出るの禁止ーってこったろ」
「思ったより広いな!」
町に出た瞬間アウト、ということではないようだ。思っていたよりずっと余裕がある。
そして、ふいに気がついたことだが、天賦たちの足跡が綺麗さっぱり無くなっていた。風に消えるにしても早すぎる。しかし、それに気がついたのは彼女だけだ。
「じゃあその……出て見るか?」
「これ。これだけ」
入ったら消し飛ばされるとかは無いだろうが、とりあえずちょっとだけ。
恐る恐る袋を持った右手を伸ばし――濡れた砂の上に出した。
周囲を警戒する。砂が風にさらさらと流される音の中に――別の音が混じる。
泡のような、聞きなれない音。魔獣どころか、生き物らしくもない。どこから鳴っているのか把握できない。
「……下」
砂が小さく飛び跳ねた。湿った地面から噴き出るように、ぽつ、ぽつと数が増えていく。だんだんとそれが高くなっていき、噴き出る砂の壁のようなものができていく。
ばしゃ、と天賦の足に冷たいものがかかった。驚いてそれを見ると――水だ。それもただの水ではない。透明ではなく、半透明の水色。自然物のようにはとても見えなかった。
砂の中から、どばっと水が溢れ出す。天賦たちの足にまとわりつきながら、それはどんどん形を成していく。
そう、これは――海で見た「波」そのものだ。
しかし違う。波はただ風に流されているのでは無い。自ら立ち上がり、脱出を拒んでいる。
「うっそ……」
目の前に現れたのは――液状スライム。
ムーナウーヴァの森で見たそれより、ずっと大きく、ずっと高い。
武器が効かない、天賦たちの宿敵だ。
「これは……困ったな……。」
「……大丈夫だ、ゆっくり下がれ」
天賦たちはそれを見ながら、じゃり、と音を立てて後ずさる。その時、天賦の心は「どうすれば斃せる」で満たされていた。
今回は見に来ただけ。だが、いずれ斃しに行くのは確定している。どうにかしないといけない。
しかし、どうやって?
天賦では、再生師では、カルメではどうにもできない敵だ。いくら天賦が強くとも、魔法しか効かない液状スライムには手も足も出ない。
直感的に、天賦は分かっていた。
これがクェンターレの呪源だ。
イルネはこれに怯えていたのか。魔法が効かないから?あまりにも大きいから?
違う。そんなものじゃない。ルチカナイトのような、ロジャヴェルズのような常軌を逸した「異様さ」が答えだ。
砂の中からぼこぼこと音を立ててにじり寄ってくる。
それには目も口もない。なのに、天賦は分かっていた。
これは私を見ている。
「天賦!」
目の前の呪源の姿に気を取られ、足元から湧き出た液状スライムに囚われた。さっきまでずっと暑かったのに、今は涼しい。寒いくらいに。
息が苦しい。
傭兵から渡された袋を投げる。しかし、それでも天賦は解放されなかった。他の部位は袋を追うが、それはそれとして天賦も同時に取り込んでいる。
足をばたつかせても脱出できない。天賦を中心にして液状スライムも動いているのだ。これが30分ほど続いたら死ぬかもしれない。
「知能
知能
知能
知能知能知能知能知能知能知能知能知能知能知能知能」
途端、声がこだました。同じ言葉を何度も繰り返し、天賦の頭をガツンと殴る。鋭い頭痛がした。
何か、本能的な恐怖を感じた。精神も薄寒くなる。
なんとか抜け出すための打開策を見つけようとした時、視界がぐるりと回った。じゃぼじゃぼと空気が混ざる音が聞こえる。同じ声がこだましている。
天賦の体が軽くなった。
それは精神的な問題ではない。明確に、なにより鮮明に、天賦の体からなにかが引き抜かれる。
声がしない。
ただの海を泳いでいるような錯覚に陥る。そして身震いした。いきなり、天賦の心が抉られたような、ぽっかり穴を開けられたような、そんな、寂しい感覚がしたから。
ぐん、と天賦の腹に何かがめり込んだ。黒い物体は天賦の体を押し出して、ざばんという大きな音と共に身体が重くなっていった。ずぶ濡れのカルメが天賦のジャケットをクチバシでつまんでいる。
「……っぶねェな、クソ!」
宙に放り出され、そして大きなものに巻き付かれた。再生師が尻尾で天賦を受け止めたのだ。
「天賦! 無事か!」
「げほ、げほ、だ、だい……」
大丈夫、と言おうとした時、気がついた。気がついてしまった。
水中で体がいきなり軽くなった理由。
言いようもない「寂しさ」を感じた理由。
――天賦の腰にかけられた"相棒"が、いない。
"相棒"を固定していたベルトだけが天賦の腰にかかっている。黄金の輝きはどこにも無い。
ドッ、と、天賦の体がいっそう大きく脈打った。
「わっ! て、天賦?」
すぐさま再生師の尻尾から逃れ、周囲を確認する。地面には――ない。カルメが――持ってない。
液状スライムを見る。どこも薄い水色だ。……しかし、一箇所だけ、いっとう輝く部位があった。
――天賦の"相棒"である。
あれは金色に光る剣を取り込み、天賦を吐き出した。
「――返して!!」
天賦は顔を真っ青にして、叫んだ。
"相棒"がいないと困る。"相棒"がいないと。
無我夢中になって走った。しかし、再生師の腕に引き留められてしまった。
「おい! また近づくのは危険だ!」
「離して! 相棒が! 私の相棒が!」
天賦の力は信じられないほど強い。再生師でも全力で押さえ込まないといけないほどに。
"相棒"を取り込んだ液状スライムの部位は、そこだけ、ゆっくりと砂に沈んでいった。満足した、と言わんばかりの動きで。
「駄目、駄目! 相棒! 相棒!」
再生師の尻尾が邪魔で肘を入れられない。武器を持たない天賦の身のこなしは特別優れたものではない。格闘は苦手だからだ。
天賦はもはや周りが見えていなかった。砂の中に沈む"相棒"に向かって、必死に腕を伸ばした。しかし届くわけがない。
「嬢ちゃん、とりあえ……うおッ!?」
カルメにも液状スライムが飛び跳ねた。カルメの足に取り付けられている指輪を狙って。
幸い、カルメは小さく身軽だったので、飛んで避けることができた。
「ンだコイツ、金ピカマニアかよ……ッ!」
「カルメ! 私はどうすればいい!」
「撤退だ! 全力で押さえ込んどけよ!」
ぎゅう、と天賦に巻きつく尻尾がさらに強くなった。足をバタバタ動かしてもどうにもならない。
消えてしまう。私の心の支えが、人生が、どこかに行ってしまう。
天賦は親を求める子のように、友の手をつかもうとするように、砂漠の大地で叫んだ。
しかし、それは叶わない。
だんだんと遠のく黒い砂。頬をきる無慈悲な風。
天賦は人生で初めて、「孤独」に恐怖した。




