39話 悪夢
世界が形を成していく。
ここはどこだろう。どうなっているんだろう。
天賦は起き上がった。そして直前にあったことを思い出す。
自分たちはロジャヴェルズに遭遇した。そのまま何もできず、気がつけば風の中に、嵐に巻き込まれていたのだ。恐らくあの後カルメが守ってくれたのだろうが、詳細はわからない。
辺りを見回す。しかし、得られた情報は「暗闇」だけ。自分の姿はしっかり捉えられるのに、それ以外のことが分からない。明るいような、暗いような。
もしかして、自分は死んでしまったのだろうか。ここはあの世なのだろうか。考えても真実はわからない。とりあえず、彼女は歩いてみることにした。
しばらく歩くと、あるものを見つけた。
黄金に輝く盾だ。"相棒"と同じような輝きを放っている。確か、このような道具は英雄の特別な遺産のはずだ。盾を持っていたというのは、シュルトカだ。
その時、天賦はこれは夢なのではないかと思った。鮮明だが、不安定な。
「――で」
天賦のものではない声が聞こえた。ゆっくりと振り返ると、そこにはさっきまでいなかったはずの黒髪の少年、シュルトカがいた。やはり、これは夢だ。
シュルトカはその場にうずくまり、頭を抱えて何かを呟いている。天賦はそれを聞き取るために、慎重に彼に近づいた。そして――
「なんで」
……彼は、それをずっと繰り返していた。
「なんでなんで、なんで、なんで、なんで」
頭をぐしゃりと引っ掻き、シュルトカの髪の毛がプチプチ抜ける。彼の指は少しずつ赤くなっていて、出血するほど掻きむしっているのだと分かる。あまりに傷ましくて見ていられなかった。
「や、やめてシュルトカ、やめてよ」
天賦はシュルトカの腕をぐいと引っ張った。理由はなんであれ、ここがどこであれ、自傷する彼の姿は見たくない。
すると、彼は呟くのをやめて、ゆっくり、ゆっくりと天賦を見た。目は血走っていて、涙をぼろぼろ流している。
「ひっ」
天賦は思わず手を離した。いつもの姿とは全く違う彼が衝撃的で、ショックを感じたからだ。
彼は天賦を見ると頭から手を離し、床にぺたんと手をついた。そして、何かを探すようにそれを動かし始める。
「シュルトカ……」
「ねぇ」
シュルトカは天賦を見て、一言かけた。思わず天賦の体が震える。彼はどうしてしまったんだ。
「なんで殺してないんすかね? あの時殺せたのにね? 自分何やってんすかね?」
彼が言っていることはわからない。「なんで殺してない」?「あの時殺せた」? 一体なんのことだ。天賦は未知の恐怖に震えた。
「は、はは、ほんと、今まで何してたんだよ。はは、ははは」
シュルトカは、その場に頭を打ちつけ始めた。「どうして」「なんで」を繰り返し、ゴン、ゴンと鈍い音を立てる。
天賦は……何もできなかった。命の危険や、身体的な恐怖は何度も経験したが、こんなのは初めて味わう。得体の知れない、理解し難いなにか。
その場で震えて困惑するばかりだ。
シュルトカが頭を打ちつけていた場所がパキンと割れた。そのヒビはどんどん広がっていき、天賦の足元にまで迫る。――そして、瓦解した。
世界が崩れる。
天賦の四肢は宙を舞い、ただ落ちる。その中でもがいている時、次々と声が頭の中に入ってきた。
「――うは――だね」
「――が――ったんだよ」
「かく――なにか――」
間髪入れず入り込んでくる声を、天賦は判別できなかった。男の声も聞こえる。女の声も聞こえる。温かい何か。いい匂いがする。
奔流に流され続けた後、天賦がいたのはどこかの森だった。
どこにでもあるような景色だが、何かおかしい。空が真っ暗なのに、木々は太陽に照らされているかのように輝いている。
少年の叫び声が響いた。
振り返ると、そこには何かにもがき苦しむシュルトカがいた。のたうち回って、何かから逃れようとしている。
そして、いっとう大きく叫ぶと――背中から鉱石が突出した。天賦が見慣れた鉱石である。
そして、腕からも、足からもそれが飛び出す。パキパキと美しい鉱石に囲まれていき、シュルトカの面影がなくなっていく。思わず、天賦は"相棒"を握った。
――しかし、次の瞬間、シュルトカは、ルチカナイトはどこにもいなかった。ただ、静かな森があるだけ。幻を見ていたようだった。
天賦は何もない森を歩く。ここには何かがあるはずだ。天賦は直観的にそう思っていた。
"相棒"を撫でながらひたすら歩く。10分、1時間、一日、一年歩いたかもしれない。時間の感覚がおかしくなる。
そして、開けた場所にシュルトカの盾が、また。変わらぬ輝きを放っている。
――その盾が宙に浮いた。
それを持ち上げている人物がいる。美しい女性だ。紫色の長い髪が揺れ、その盾を儚気に見つめている。
そして、天賦は気がついた。
彼女の目は「金色」だ。ただの金ではない。それに紫の瞳孔が良い塩梅になっていて、美しい。天賦は「楽園教」とかいう集団を思い起こした。
金眼を持つ彼女は天賦を見据えた。そして、ふわりと笑う。今にも消えて無くなってしまいそうな、そんな雰囲気を纏っている。
「彼を斃してくれたのね」
透き通った声が森に響く。彼女は明らかに天賦を見ていた。そして、天賦に話しかけている。
「これでようやく眠れるわね。ありがとう。彼の苦しみを断ち切ってくれて」
「……あなたは誰」
金眼の彼女は困ったように笑った。もしかしたら、名前を名乗れないのかもしれない。呪われた者と同じように。
「誰だっていいのよ、今は」
いつの間にか盾が消えていた。そして、彼女は少しだけ天賦に近づいた。
「あなたは、全ての呪源を静めてくれるのね」
「……うん」
天賦は"相棒"を握りしめる。それを見て、彼女はふふと笑った。何かを知っているみたいに。
「気をつけて。あなたたちが斃す最後の呪源は、他のものとは全く違う。世界の厄災そのものよ」
「なんで知ってるの」
彼女は天賦の質問には困ったように笑うばかりだ。
彼女が何を伝えたいのか分からない。ただ、敵意がないことは理解できる。天賦を友好的に見ていることも。
「それを静めるためにも、どうか私を見つけて。そして、斃してね」
木々が強い光を放つ。彼女の姿が光にのまれ、世界の形が無くなっていく。ああ、目が覚めるんだなと思った時、体に温かいものが触れた。柔らかい指が天賦の肩を優しく掴み、耳元で囁かれた。
「私の指輪、うまく使ってね」
彼女に手を伸ばした時――天賦はその手を天井にかかげていた。




