34話 まもるもの
ルチカナイトの内部に入り込んだ瞬間、天賦は自分の血の匂いをより濃く感じた。暖かな木の匂いがする。
秋の涼しい風が吹いていた。季節外れの枯葉の匂いが、やけに天賦の鼻腔を刺激した。
先程までの苛烈な戦いがまるで夢だったみたいに。
身体中がじんじん痛む。だが、天賦は歩む。その村に向かって。
どこからかスープの匂いがする。きっと鶏肉と野菜のスープだ。天賦はすこぶる腹が減っていた。戦いから静寂に包まれて今更それに気がついた。あれだけ動き回って、あんなものを食べて……
「う」
そういえば、あのカルメの羽を食べたのか。口の中に残る強烈な味を思い出してしまい、吐き気が込み上げる。
「ゔえぇ……」
天賦は思わずその場に吐いてしまった。草の上には黒い羽が落ちている。やってしまった、と天賦は後悔した。これがあるから呪いが見えたのに。
急いでそれを再び口にしようとするが、どうしても飲み込めない。仕方がないが、諦めるほかない。幸い、まだ人の姿は見えている。口を拭って立ち上がった。
家の形や地形が、という訳ではないが、どことなく雰囲気がルチカナイト近郊の村に似ていた。
村の人間の中に、天賦をぎょっとした目で見る者はいなかった。こんなに血まみれなのに、誰も天賦を気にかけない。
「あら、こんな小さな村に何かご用ですか?」
初めて話しかけてきた女性のような呪いの塊も、天賦の姿を見て驚かない。もしかしたら、彼女たちには天賦が全く別の姿に見えているのかも知れない。
「……いや、特に」
女性は軽く微笑んですぐにどこかに行ってしまった。
天賦はどうしたものかと考える。家の破壊は自らが提案したことだが、この人の形をした呪いを見ると、なぜだかそんなことをする気概がなくなってしまう。
天賦はあまり気が進まないが、村人にシュルトカの家を尋ねることにした。
その過程で、こんな言葉を聞いた。
「シュルトカがいつも守ってくれるから安心なんですよ」
「おう! 奴には毎日感謝してるさ!」
「シュルトカが守ってくれなかったらって考えるだけで怖い」
元々調べていた評価とは全く違う。シュルトカは「守りたい対象が守らせてくれないこと」、「感謝してくれないこと」を憂いていた。だが、村民の人々は皆彼に感謝を伝えている。守られることも受け入れている。
これは本当にあったことなのか、はたまた彼の理想なのか。そんなことは天賦が考えたって分かりやしない。
村人に教えられて、天賦はシュルトカの家族の家に到着した。特別目立つ訳でもない、普遍的な小屋である。
その扉をノックする。他人の家に訪れるときはノックをするものだ。何かで得た知識なので心得ている。
ただ、待っても扉が開くことはなかった。てっきりここにいるのかと思ったが、どうやら留守のようだ。
彼の世界の中では彼自身は存在していないのかと思ったとき、ふいに声をかけられた。
「こんなとこで何してんすか?」
聞き馴染んだ声だ。それが誰かなんて考えるまでもない。
くるくるした黒髪に青い目の少年。
英雄だった人間、シュルトカだ。
彼の隣には、彼とよく似た顔の女性と、体格の良い男性が立っている。シュルトカはいくつかの荷物を持っていた。
「珍しいっすね。あんたがここに来るなんて」
彼は家に入り、荷物を置いてから天賦に向き合った。彼の両親らしき人は天賦に会釈をして帰っていく。そこで天賦は、シュルトカも生活を持つ人間だということを知った。
「で、自分に何の用すかね」
「……話してみようと思って」
シュルトカはきょとんとした顔をした。
天賦はあれを吐いてしまったから、そのうち彼らは見えなくなってしまう。その前に、彼がどんなことを考えていたのか知りたかった。
「本当にどういうことっすか? 話そうなんて言う人じゃないでしょあんた」
「……なんとなく」
2人は並んで村を歩いていた。行き交う人々は皆彼の顔見知りのようで、通り際に「やあシュルトカ」なんて声をかけられている。それが何回も、何回も。
シュルトカには天賦はどのような姿で見えているのだろう。もし、万が一、再生師の憶測が合っているのなら、天賦は彼にとって"勇者"の姿に見える、のかもしれない。
「シュルトカ」
「はい?」
「村の人、守れてる?」
「いや、どういう質問っすかそれ……」
シュルトカは目を細めて、大きくため息をついた。
「守れてるっすよ、別に。いつもみんな感謝してくれるし。ま、自分ほど強い人間は弱い人間を守るのが当たり前って言うかー」
シュルトカの口元は緩んでいる。どことなく、それが年相応の姿に見えた。
天賦は混乱していた。あんなに村のことについて悩んでいたシュルトカが、こんな軽口をたたけるようになっているなんて。実は、あの夢はよりずっと前の記憶で、実際には解決していた悩みだったのかも知れない。
しかし、そうではないことはすぐにわかった。
「……なんすけど、変っすよね。元々自分こんな感じでしたっけ。なんか、ちょっと、幸せすぎるっていうか。何言ってるかわかんないと思うんすけど、こうじゃなかった気がするんすよ」
シュルトカの笑顔に陰りが生まれる。
この世界に彼が感じている違和感。それは天賦も、なんとなくではあるが察しがつく。
例えば、遠くに見える森は木の形がぼやけている。天賦は目が特別いい。そんな風に見えるはずがない。それが村から離れるほど悪化している。
広大に見える世界は嘘だ。この村だけで完結しているのだ。
「ねえあんた、これって、なんか間違ってるんすかね?」
きっと、ここで天賦が何を言っても無駄だ。相手はただの呪いの塊。「これは違う」とか「間違ってる」とか言ったとして、何かが変わるとは思えなかった。
きっと彼は本物のシュルトカではない。ルチカナイトが生み出した幻影のようなナニカだ。
だから天賦はこう答えるしかなかった。
「分からない」
シュルトカは目をぱちくりとさせた。その後、いつもの気だるげな顔に戻る。
「いや、あんたに聞いたのが間違いでした。自分、今日はちょっと変かも知れないっす」
「そう。じゃあ守るためならどこまでやる?」
シュルトカは目を閉じて呻る。真剣に天賦の質問の答えを考えているようだった。
「……大体、なんでもっすね。もし自分の家族や村が、あとまあ、一応あんたらが。傷つくっていうんなら、自分は何としてでも助けてやるっすよ。あんたらは一応っすからね!」
何としてでも、守る。
天賦はルチカナイトの外を思い出す。魔獣の呪いなんかにかかって化け物になる人や、天賦のように大切なものを奪われて苦しむ人が、きっと天賦が知るよりたくさんいる。彼らは、シュルトカが言う守る対象に入っていない。一体、何がそこまで彼を突き動かすのだろう。
「なんでそこまで守りたいの」
「……イイこと聞くっすね」
シュルトカはふっと笑った。しかし、その顔は明るく見えない。
「魔王のせいで、この世界はぶっ壊れたも当然でしょ。みんないつ死んでもおかしくない。この村だって、自分が瞬きした間に消滅してるかもしれないじゃないっすか。誰だって安心して眠れない。自分のこと育ててくれた人が、シュルトカがいるなら安心だって思ってくれれば、ずっとマシになると思わないっすか」
彼は魔王の脅威を語る。だからこそ、みんなを安心させてやりたいと。彼の目に悲しみは見えない。むしろ、強い決意を宿した目だ。揺らがないそれはまさしく、英雄のものに違いない。
「……は、はは。こんなこと言うなんて柄じゃないっすかね」
「いいと思う」
「え……あ、そうっすか」
シュルトカはうつむいて頬をかく。
「まあ……自分も、できるかもって思ってるんすよ。自分らなら魔王を倒して、平和な世をもたらすことができるんじゃないかって」
彼は強く拳を握りしめた。きっと夢物語を語っているのではない。本当に成し遂げられると思っているのだ。
そのとき、天賦は彼の体が透けていることに気がついた。足の先からすうっとモヤになっていく。
シュルトカが消えかかる。もう呪いを見る力が無くなってしまうのだ。その前に、天賦にはどうしても聞かなければならないことがあった。
「魔王を斃した後は、守る?」
シュルトカの口がはく、と動いた。そして少しした後、それは弧を描いていく。
「守りたいっすよ。いつまでも。……でも、もし、魔王がいなくなったら……」
「それよりも、みんなで幸せに暮らしたいな」
その言葉を最後に、シュルトカは消えた。見えなくなった、が正しいのかもしれない。
天賦は誰1人として残っていない村を歩く。シュルトカの言葉を思い出しながら。
彼は間違いなく、守ることに固執していた。でも、その本質は「幸せに生きること」だった。独りよがりの欲求でもなんでもない、彼が本当に願っていたこと。
彼はその願望を捻じ曲げられたに過ぎない。ますます、彼が呪源になってしまった理由がわからなかった。
古い木の匂いがする。
シュルトカの家だ。幸せな未来、幸せな生を望んだ彼の宝物。何よりも、彼が「守りたいもの」。武器を持つ手が汗ばむ。彼を構成する最も大事なものをこの手で壊すのだから。思わず"相棒"のグリップを握る。天賦の癖だ。
しかし、それら全ては過去の話。もう全て、終わってしまった。時に流されてしまったのだ。
彼は未だに願いにとりつかれている。自分が守らなくてはと、それだけを思って呪いを振り撒いている。
ここで、彼の使命を終わらせなくては。
メイスを握る手に力を入れる。
それを大きく振りかぶって――
「『おやすみ、シュルトカ』」
木が崩れる。
そして、世界に亀裂が入った。青い空も遠い芝生もガラスの破片のように砕け、冷たい空気が入り混じる。
瓦解する、彼の美しい世界。家だったものは鉱石になる。草木だったものは鉱石になる。
空から鉱石の塊が落ちてきても、天賦の心は不思議と凪いでいた。
天賦を、黒いものが包んでいった。
――――シュルトカが何よりきらったものは、大切な人がきずつくことでした。




