32話 証明せよ
漆黒に染まった洞窟は随分寒かった。
ルチカナイトの左目の辺りは溶けた。だが、こんなものでルチカナイトの動きが鈍くなるとは到底思えない。それどころか、きっとここからが相手の本気だ。
「さァて、何をしてくっかねェ」
カルメは再生師の背を叩く。その意図は天賦には分からない。
「絶対変なことしてくる。魔法とか」
「重戦士が? それはガチのインチキだな」
そして、ルチカナイトが鼻息を漏らした。
地面から黒い鉱石がゆっくり生える。天賦に一瞬不安がよぎった。なんせ、どこもかしこも輝きのない真っ黒。どこから鉱石が生えているのか知覚がしづらくなった。それに加えて、光源もルチカナイトの巨体だけだ。
目がいい天賦でも、高速で突き出るそれらを完璧に捉えるのは簡単なことではない。困難だ。
……ただ、量が少ない。鉱石と鉱石の合間に広く間が空いている。天賦が容易に避けられそうだ、と思うくらいに。
「オイ、油断すンなよ」
「分かってる」
黒の鉱石が連なり、それは横に一体になって広がっていく。壁ではない。天賦ほどの身体能力がない人間だって超えられる高さだ。
それが端から端まで広がった時、動きを止めた。
天賦はそれを見て、ルチカナイトが何を伝えたいのか理解した。
――「ここより先は死地である」と。
「天賦、これは……。」
「超えたら攻撃される」
「アララ、怖気付いたワケ?」
ルチカナイトの、シュルトカの勝利条件は「倒す」ことではない。「守る」ことだ。戦わずして勝つ術があるのならそれは願ってもないこと、なのだろう。
だが、天賦たちの勝利条件は「斃す」こと。互いの願いはどうやったって相容れない。
「再生師、傷なくして」
「あ、ああ。」
身体の傷をリセットするために、再生師に一度落としてもらう。鉱石に潰されるのではなく、彼女が処置をするから痛みは全く無い。
四肢が無傷の状態に戻った時、天賦は歩み始めた。
「姉ちゃん、魔力はあるか?」
「半分ほど残っている。……先ほどの攻撃で使い過ぎた。」
そう言って腕をさする。あれは精神的にもキツい攻撃だった。
「大丈夫?」
「ああ、もう平気だ。任せてくれ。」
再生師はいつもの顔で笑った。
天賦たちは既に「ライン」の目の前にいる。一歩踏み出せばそれを超えられるだろう。
ここから次の局面だ。天賦はできる限り、起こりうる異常事態を想定する。岩が飛んでくるとか、上からプレスされるとか。
「行くよ」
「おう」
「ああ。」
線を、超えた。
ルチカナイトは愚かにも戦いを挑んだ3人の姿を見て、咆哮した。再生師はそれに思わず身構えるが、あの声とは全く違う。それに、天賦は明確な意思を感じた。
そして、天賦はようやくそれを見ることができた。
ルチカナイトの、山のような胴体の中身。
――まるで、世界をひとつ閉じ込めたようだった。
「天賦! 後ろ!」
攻撃か、と思い振り向くと、線の役割をしていた鉱石がみるみる伸びていき、天井にまで届いた。それは天賦たちを出口から分断するためのもの、檻だ。天賦のメイスでも脱出には時間がかかるだろう。
踏み込んだからには、もう生きて帰さない。そんな気概を感じた。
"相棒"を軽く撫でた時、カルメの様子がおかしいことに気がついた。辺りをキョロキョロ見渡して、なんだか落ち着きがない。
「カルメ?」
「オイ、コレ……オイオイマジか!」
カルメは何かに気がつくと、すぐさまそこから飛んだ。
「クソ高く飛べ! 下からだ!」
天賦と再生師は「下から」を聞いてすぐ垂直に飛んだ。
一体何が起きるのかと、さっきまで立っていた地面を観察する。そこは――数え切れないほどの穴が空いていた。
落とし穴?いや、なら「下から」とは言わないはず。「下だ」で充分だ。
なら、そこから何かが出て――
「いだっ!?」
右足に、鋭い衝撃が走る。
飛んできた破片が刺さったのかと思った。だが、違う。
足が空中で、何もないのに貫通している。そのまま天賦は宙に逆さ吊りの状態になった。
「な、何が……あっ」
ふと違和感に気がついた。
天賦の足から噴き出した血が、空中にべったりとついている。返り血が浮いている。
まさか。
天賦は目をよく凝らした。そして――何もないはずの空間が歪んだ。水面のように、空気が揺れる。
その正体は案外簡単で、ずっといじわるだった。
「透明の鉱石!」
天賦でも、注意深く観察しないとその形を捉えることができない。ただの空気でしかない。
なのに、そこに確かに存在する。あんな図体をしているくせに、こんな搦め手さえ使ってくるのか。
再生師は腕を固められていたが、すぐにそれを切って治療した。カルメは空を飛んでいたため無事だ。
「再生師! 右足!」
叫ぶと、すぐに再生師が声に反応して向かってくる。まるで空を飛んでいるようだ。
巨大な尻尾で見事に切断してくれた。再生師がいなければ詰みだった場面ばかりである。
伸びた知覚不可の鉱石は地面に再び潜っていく。その形が完全に見えたわけではない。浮いた天賦の血が下へ降りていったから分かった。
再び地面に帰ってくる。天賦の指先がじんじんと熱を持つ。
「不味いな……これは、どうしたものか。」
「大丈夫、地面を見ればわかる」
「……あ? 一体なんの話を――オイ、待てって!」
天賦は駆け出した。再生師も天賦に尻尾が届く位置で走る。透明だからどうした。結局は同じような攻撃ではないか。自分の感覚に頼れ。五感は人よりもずっと優れている。
「ここ!」
天賦は空にメイスを振る。それは一点で硬く止まり、それから何かを破壊した。大丈夫だ、きっと同じように進める。
前に数歩進み、目の前に穴が開く。それを横切って、また数歩進む。
「なんか、慣れた?」
天賦には少しの違和感があった。透明でそれが見えないというのに、どうしてずっと避けやすい。体を犠牲にしなくとも回避できる。何度も攻撃を見て慣れたのかと思ったが、それとは少し違う。
天賦自身を攻撃する、というよりも、天賦をこちらに来させないような動きなのだ。いわば、守りの動き。だから四方から鉱石が飛んでこないのだ。
進みにくいが、同時に死ににくい。
ほぼ状況は膠着している。3歩前に進めば2歩下がる。牛歩も牛歩だった。
「天賦! 強行突破は難しい!一歩ずつ進むんだ!」
「分かってる!」
激しい鉱石の動きとは反対に、ルチカナイトは動かない。鉱石と鳴き声の二重攻撃をしてこないのはなぜなのだろう。顔が焼けて、あの呪いを進行させる声が出せなくなったのか?
「嬢ちゃん、前みろォッ!」
「えっ」
すると、天賦の前方から目につくものが飛んできた。
黒の鉱石、短剣である。
透明ではない、知覚できるもの。どうしてここでそれを出してくるのだ。
とにかく、あれを回避しなくては。
メイスで弾くこともできるが、それは腕に負担がかかるし次の透明な方を防ぐ手段がなくなる。ならば自分の体を大きく移動させないと。
右はダメだ。再生師がいる。かち当たったりしたら2人とも死だ。
なら、左。
地面に開く穴をかいくぐり、黒の短剣が届かない位置まで移動する。前進はできないが仕方がない。
前を見る。短剣は天賦の一つに結んだ髪をさあっと通過して、後ろの壁に突き刺さった。回避に成功した。なら次は――
天賦に閃光が走った。
思い切り半身を殴られたような衝撃。
左半身が何かに押されてつんのめる。
天賦は壁にぶつかったのだ。何もない場所で。
足運びが大きく崩れ、くらりと頭が一瞬揺れる。このままでは他のに当たる。一旦、右足を元の位置に戻して――
「――っ!」
それに追撃するように、虚無に足をすくわれた。
やられた。天賦は思った。
あの黒い鉱石、あれはブラフだ。
さっきよりも避けやすい軌道?それは天賦を誘導するためだ。
守るような動き?天賦たちの退路を塞いでおいて、殺すつもりがないわけないだろう。
まずい、そんな賢い動きができるのか。さっきよりも数段頭がいいじゃないか。
最初のポーションを食らった時さえブラフ?
だめだ。落下する自分の体を制御できない。漆黒に落ちてしまう。考えないと、かんがえないと――
トン、と、冷たいものに押された。
そんな、落ちてしまいそうな天賦の体を支えてくれたみたいだ。倒れないように、天賦を固定して――
「あ」
しくじった。やらかした。
天賦はそれを見て、形容し難い後悔に襲われた。
……血がべったりついた空気。
込み上げる吐き気。
…………天賦の下腹部に、空気が貫通していた。
身動きが取れない。痛い。身体の力が抜ける。
前方に新しい穴ができる。だめだ。横には逃げられない。体に楔をうたれている。
動けない。逃げ場がない。
思考が鈍くなり、不思議な解放感が脳を駆けた。
これが、死か。
「――うああああっ!」
叫び声、いや、雄叫びが天賦の脳を揺らした。
そして身体が後ろへ移動していく。腹の中が鉱石に引きずられる感覚がした。痛い。
天賦をそれから抜いたのは、再生師の尾だ。
なんで、あんなに離れたところにいたのに。
「すまない! ひ、引き抜いてしまった」
腹から大量の血が流れる。体が熱いのか、冷たいのか。
"魔獣の呪い"のときの頭の怪我とは全く違う。これ、多分死ぬ。
よりにもよって腹。最悪。最悪だ。
もっと自分が賢ければ、勘づいていれば……
……治る自信がない。
「オイ嘘だろ? 嬢ちゃん!」
「あ、あま、まずい。腹部は、私は……」
カルメと再生師の顔が曖昧になる。ピンクブロンドと、黒いなにか。冷や汗か、脂汗が絶えず身体中から溢れる。
「時間は稼ぐ! なんとかしとけ!」
カルメはポーションを取り出して、それをわざとらしく地面に投げた。
「オラァ、クソ呪源! これが怖いって知ってンだよ!」
形態を鳥に変えたり、人に変えたりを繰り返してカルメは逃げる。
再生師は天賦の穴ができた腹部を押さえようとして、手を離した。その手つきは震えている。
彼女ができるのは「部位の再生」だ。怪我の治療ではない。彼女は治す手段を持ち得ないと考えているのだろう。
天賦の心は不思議と落ち着いていた。確かに腹は痛いが、想像していたよりはマシだった。腕や足を潰されたり引きちぎってきたから慣れていたのかもしれない。
「て、てて天賦、ど、どうしたらいい!?」
天賦は一つ考えていた。無茶かもしれないが、いや、無茶だ。無理そのものだが、やるしかない。思考できなくなる前に口を動かす。
「きって」
腹にすっと指を伸ばした。腕が震えるのがわかる。
「は……ど、胴をか? 待て、だが、私の【再生】では、腹を直したことは一度も――」
「やって。はやく」
再生師は動かない。「あの」とか「でも」とか言っている。そんなのいいから、はやくやってほしい。
「ど、胴体は……専門外で……」
「「人になりたい」でしょ」
再生師の瞼がぴくりと動いた。
「わたしが、しんだら……なれないよ」
天賦のそれは、少しきつい言葉だった。しかし、その言葉で再生師の瞳が大きく見開かれた。
人になれない。
それは、再生師にとって酷く印象づく言葉だ。彼女はぐっと拳を握りしめ、その場に立ち上がった。
「……………………わかった。」
再生師の尾が――――振り下ろされた。
ごん、と天賦の脳に衝撃が走る。
「成功しろ、成功しろ、成功しろ……!」
顔に何かの水滴が落ちた。それは焼けてしまうほど熱い。
体がぽかぽかする。湯の中にいるようだ。
ずっと軽い。
深く。
上に。
相棒、いる?
私のそばにいてくれて、いつもありがとう。
わたしは、ずっと――
「――――天賦!!」
目の前に、太陽が落ちてきた。――いや、違う。これは再生師の瞳だ。
もやに包まれた思考が涼しく、さっと開けていくにつれて、天賦は上体をおこした。……上体をおこせた。
目の前に自分の足がある。足の裏が綺麗だ。自分の腹を触る。肉の感触がする。ぐちゃっとした触感はどこにもしなかった。ふう、と熱いため息をついて"相棒"を撫でる。
再生師は全身に汗をかいていて、髪がぺったりと額に張り付いていた。だが、左目に涙を浮かべて笑っている。心の底から安堵したような顔だ。彼女は息をぜえぜえと切らしながら口を震わせた。
「わ、私、できたぞ!」
「…………ありがとう、再生師」
どこにも異常はない。完璧だ。彼女には常軌を逸した才覚がある。「努力」では形容できないほどの。
天賦は自分の下半身だったものからショートパンツを剥ぎ取り、それを履いた。その時初めて衣類が血まみれだったことに気がついた。真紅の服だ、と説明しても納得できるくらいに。
「……再生師、どうしたの」
「その……感謝をさせてくれ。」
天賦はその「感謝」とやらに覚えがなかった。むしろ天賦が感謝する側だ。
「その、怖かったんだ。天賦を、私が殺してしまうのではないかと思って。……ためらった。」
再生師は自らの尾をそっと撫でた。彼女の尾も真っ赤だ。
「だが、天賦が「切れ」と迷わず言ってくれた。あのままだったら、私は天賦を殺したも同義だった。……ありがとう。」
「うん」
「それと、私を――」
その時、黒く大きいものが2人の間を物凄い勢いで通り過ぎた。「うべェ」なんて声をあげながら、それは地面に放り出された。……カルメである。
カルメは顔から床に叩きつけられ、でんぐり返しのような体勢でずずずと床を滑った。目立つ怪我はないが、骨が折れていそうで心配になる。
「割り込んでスマン。よけりゃ協力してくんね?」
その格好のままモゴモゴと言葉を並べた。そういえばまだまだ戦闘中である。
「ご、ごめん」
天賦は大勢を立て直して、再びルチカナイトに向き合った。攻撃が透明な上に、相手はちゃんと頭を使って攻撃してくる。本体は動かないのに。これでは彼の掌の上で踊っているだけだ
ふと、天賦は冷静になった頭で考えた。
そして、思い起こす。
『鉱石の気配がしなくなった。ヤツ、何かして来るぞ』
『クソ高く飛べ! 下からだ!』
カルメ。
カルメはなぜか、鉱石の気配がするとか、まだ天賦も知覚できていなかった鉱石の突出まで当ててみせた。本来、添付の方が五感が優れているはずなのに。
さっきもそうだ。カルメの反射神経と身体の使い方じゃ1人で十分に時間を稼ぐなんてできやいはずだった。
どうしてそんなことが分かるんだ。天賦と再生師が見ているものとは、何か違うものが――
まさか。もしや……
「カルメ、鉱石見えてる!?」
立ち上がったカルメは「え」と天賦を見た。
「えッ、だって見えるだろ! 呪いがぎっしり詰まったやつが」
「は!? 呪いだと!?」
天賦の頭の中でものが繋がっていく。
相手は呪源。呪いそのもの。
カルメは魔王。呪いが見える。
呪いは当たり前のように、そこにあるように見える。
天賦は髪留めに挟んでいたカルメの羽を取り出した。そして唾を飲み込む。鉱石が呪いなら、これを食べればそれが見えるのではないか?
「オイ、ソレマジで食うの!?」
「これで、見えるなら……」
もし違ったら、なんて考えない。可能性があるならやるしかない。
天賦はそれを、震えながらも口に入れた。
想像を絶する味だ。普段なら飲み込むなんて考えたくもない。苦しい。息ができないような気さえした。
「う、ぐ……っ」
それを無理やり喉の奥に押し込んで、飲み込む。
どくん。
身体が波打った。
熱い。いや、寒い。視界がぐっと歪み、そして形を成していく。口の中に後味が残るが、今は気にしている場合ではない。
パッと目の前を見る。すると、天賦はすぐに気がついた。
地面の中に、形容し難い、もわもわとした塊が山ほど埋まっている。
そして、地面の穴が空いた所に、それが出てきた。
間違いない。透明だった鉱石が見える。最初からそれが当たり前だったみたいに。
「鉱石が見える!」
「本当か! でかしたぞ!」
再生師はそれを聞くと、迷いなく羽を口にした。食べるのはここが初めてだというのに、天賦よりもずっと思い切りがいい。
「はは、ひどい味だな! だが成程、確かに見える!」
再生師はいつものように笑った。
「マジかよ、そんなパワーあったワケ?」
「これなら、突破できるはず」
ぐっと足に力が籠る。
「天賦、行くぞ!」
「ん!」
待ってろルチカナイト。今そこに行ってやる。




