31話 「ルチカナイト」
早朝。
黒い森は全く静かである。鳥の鳴き声も、風が木を通り過ぎる音も聞こえない。
ルチカナイトの巣の前に天賦たちは立っている。
これから始まるのはただの魔獣討伐ではない。世界の命運を左右する「呪源退治」だ。
「最後にそろってるか確認する。まずメイス。ある」
「魔力は万全だ。」
「ポーションは使い切れねェほど」
「一応、カルメの羽」
「持ったぞ。」
「使えンのかよそれ」
大まかな作戦は決めている。
ポーションは生物を溶かすもの。だが鉱石を溶かすことができた。つまり、ルチカナイトの縄張り内の鉱石は全てルチカナイトの体の一部と言っても良いのだろう。
そのポーションでルチカナイトの身体を溶かし、天賦たちが家を破壊する。
完全にうまくいくとは思っていないが、無計画で挑むよりもずっとずっといい。
「いいか、【再生】を使って欲しい時は大声で部位を言ってくれ。そうしたらすぐに対応しよう。」
「わかった」
「りょーかい」
天賦は今回腕や足を大きく露出した軽装をしている。腕が一度や二度飛ぶことは明白なのだから、防御を固めるよりも切断しやすくした方がいい。カルメは服ごと本人認定されるようなのでいつもの服装だ。
「まず嬢ちゃんが入って、あの幻覚が見えたらもっぺん回収するからな」
「わかった」
"相棒"を撫でる。
大丈夫。もうすぐ終わるから。
「天賦、やるぞ。」
「うん」
天賦は左手にメイスを持つ。そして、洞窟の外からルチカナイトを見据えた。
身体は熱を持っているが、強張ってはいない。
天賦は闘技場の門をくぐる時を思い出した。あの時と感覚が似ている。今から戦うのだと、自分で自分を鼓舞するような気分。その時と違うのは、再びこの門をくぐることができる保証がないことだ。
一歩、一歩と戦場にエントリーする。
歓声はどこからも聞こえてこない。
そこにそびえ立つのは城壁のような怪物。怪物のような城壁。門をくぐるものを大きな眼でしかと見る。
大地そのものの雄大な足が、ゆっくり、ゆっくり立ち上がっていく。
ルチカナイト。かつてシュルトカだった呪源。
足が震える。だが、恐怖はそれほど大きくない。
相手は"魔獣の呪い"と同じ元人間だ。ただそれが英雄になっただけ。14年と200年を生きた人間だ。
「いってェ! どうせなら切断しろよなァ、クソ野郎!」
カルメが左腕をさすりながら入ってきた。再生師はいつのまにか隣で腕の治療をしている。入場時の"しかけ"は無事に突破できたようだ。
「ンじゃいくか、アイツを殺すぞ」
「うん」
地面が激しく揺れる。
天賦は足元に意識を集中させた。
そして目を、耳を凝らす。
揺れの中に混じる違和感を探して――
「……来る!」
足元が裂けた。
天賦たちの命を刈り取るための剣が現れる。
再生師は天賦の声に合わせてその場から退く。
瞬時に出てきたそれを目で捉え、足を安全な場所に運ぶ。
右足で踏み込む。左足で飛ぶ。
背後から鋭い音が伸びた。
反射で振り向き、左手を振る。鉱石が砕かれる音が耳を打った。
カルメの姿は見えない。だが、気に留めることはしない。何をしているかは分かっている。
「ッハ! 呪源でもお空は攻撃できねェだろ!」
カルメは高く飛んでいる。そのままルチカナイトの体までいくつもりだったが――そんなことが許されるわけもなく、上から鉱石がカルメめがけて突き出た。
「痛ってェ、クソ、このバカクソ野郎が!」
カルメはそれを避けることはできなかったが、羽を打撲される程度で済んだ。
それにしても、呪源の領域に入った時からカルメは妙に口が悪い。やはりかつて斃された側として思うところがあるのだろうか。
「再生師、家はどこ」
「胴だ! だがここからでは見えない!」
顔目掛けて飛んできた破片を防ぎ、目を凝らす。
視力に自信はあるが、ここからでは光の反射で見えない。何にしても、ルチカナイトに近づく必要があるのには変わらない。
ルチカナイトは洞窟の最奥にいる。天賦の直線上にいるのだが、まっすぐ目指すと鉱石にぶち当たって頭が弾けてしまいそうだ。牛歩であるが、仕方がない。
「いくよ」
「把握し――避けろ!」
途端に視界が暗くなり、暗所が広がっていく。いや、これは上から何かが落ちてきている。
すう、と息を吸って後退する。――その瞬間、目の前に巨大な鉱石が現れた。
「いっ――!」
右足に電流が走る。ぐっと体が重くなりその場に倒れてしまった。土の匂いがする。
右足が落石に巻き込まれたのだ。まずい、剣に刺されてしまう。
「右足切って!」
風が天賦の髪をもっていき、体が軽くなった。
自らの足を確認する。既に光を帯び始めていて、すぐにそれは形となった。優秀な手腕に感動だ。
新しい足で飛び、剣を回避する。足の裏に硬いものが当たる感覚がする。裸足での戦闘は慣れていないが、それを解決する方法はない。その程度の覚悟くらいできている。
下からの刺突。上からの打撃。
再生師とカルメはそれに加えて鉱石の凍結も気にしなくてはいけない。
想像していたよりも接近することが困難だ。天賦の心に不安が生まれるが、"相棒"を握ることはできない。自分でどうにかせねばいけないのだ。
――「近づくな」。そう言われている気がする。
「天賦、少し無茶をするぞ。」
「……わかった」
天賦は再生師の言葉を聞くと、口にメイスを咥えた。両手両足をいつ失ってもいいように。
無茶――つまり、強行突破だ。
「……今だ!」
再生師の声に合わせて大地を蹴る。
鉱石。壁のように天賦の行く先を防ごうとする。
右。左。上、それから下。
右足。右腕。両足。
視界の端に自分のものではない腕が見えた。飛んでくるそれを顔を傾けて回避する。
再生師の声が聞こえた気がするが、それどころではない。
ひたすら前に進む。
胴が切れそうになれば腕を突き出す。部位が串刺しになってしまえば無理やり引きちぎる。動きが止まるのが何よりもまずい。
息が乱れる。
まだ再生していない場所さえ痛む。経験したことのない激痛に叫びそうになる。
それでも止まってはいけない。止まった方が死ぬ。
涙で視界が滲まないように必死に顔を振る。その涙の一滴が飛んだ時――異変が起こる。
ルチカナイトが頭を回した。
そして、何もかもを飲み込めてしまいそうな口をがぱりと開いた。口内の色は紫である。
そこから――白色が飛んでくる。ヒュンと風を切る音がして、終わった、と思った。
これは飛び道具だ。
なんでそんな物を持っている。
顔が潰れる。もっていかれる。
世界がゆっくり、ゆっくり動く。
せめて、腕を、腕を前に――――
「――っぶねェ!」
頭にものが当たった。しかし、思っていたよりも随分軽い。横から殴られて身体のバランスが崩れた。再生師を巻き込んで大きく倒れてしまう。
待て。これは――カルメの足だ。
ビュン!
顔のすぐ横で耳が切れるような風切り音がする。そして直後、巨岩が落ちたような轟音が鳴り響いた。
妙に辺りの時間が遅く流れていた天賦は、たった今何が起きたか理解した。
「カルメ!」
思わずメイスを落としてしまった。
目を向けた先には――白い岩に下敷きになったカルメがいた。これは流石にまずい、と駆け寄ろうとした時、その長い味が羽毛となって、下から何かが転がってきた。鳥のカルメである。
「何してんだ、行け!」
「天賦、だいじょ――」
「いい、行く!」
メイスを咥え直し立ち上がる。
ルチカナイトはまだ口を大きく開けたままだ。
咄嗟に天賦は両手で拡張袋を漁った。出てこい、出てこいと祈りながら。
右手で掴んだものは――ナイフだ。ダメだ。これじゃない。
頼む、出てきてくれ。頼む、頼む――
「――っ!」
急いでそれを構える。
両手に握ったそれは――槌だ。
ルチカナイトの口から目にも留まらぬ速さで岩が飛んでくる。回避なら無理な速さだ。
腕の力を振り絞って、槌を振る。
「ぐ――ッ!」
手首が折れそうだ。だが、いける。
岩は槌に叩かれて、洞窟の壁まで飛んでいった。壁はルチカナイトの鉱石でできているのでビクともしていない。
そう、これだ。ルチカナイトは鉱石ではなく岩を吐き出した。ならば槌で対処が可能になる。
もう一つ、風を切った。
天賦はすかさず手を返し、今度は反対方向へ吹き飛ばした。筋肉が千切れるような思いである。
ルチカナイトは弾き返される岩を見て、再び岩を吐き出すことをやめた。知能はやはりあるのか。
天賦は槌だけを拡張袋に入れて走り出す準備をした。ナイフまでもを拾っている時間はない。
――しかし、今度はまた違う。
地面に注意を払ったが、何かが現れる気配はない。これは隙だ、と思う人間はこの中にいなかった。あれだけ近づかれることを嫌がるルチカナイトが「疲れた」なんて理由で攻撃を止めるわけがない。
突如訪れた静寂。
困惑する2人の元にカルメが羽をはためかせてやってきた。羽根は乱れているが戦闘不能といった様子ではない。
「鉱石の気配がしなくなった。ヤツ、何かして来るぞ」
「……なんで、鉱石の気配ってわか――」
「おい、見ろ!」
ルチカナイトが、上を向いた。
そのまま鉱石の天井を見上げている、というよりは、もっと上のなにかを見ているような気がした。カルメが壁越しにルチカナイトの姿を捉えられたのと同じように。
そして、鳴き声を上げた。
それの声は美しく、神性を帯びていた。まるで世界を救済する存在のようだった。
その声が遠く遠くまで反響し始めた時――異変は起きた。
「ぐぅ!?」
「再生師!」
再生師の手足が、凄まじい勢いで鋭くなる。毛が生える。鱗が生える。ぱきぱきと変形する。
再生師はすぐさま手足を切って、【再生】をかけた。だが、治った場所からまた怪物のように形が変わる。
あの魔獣の呪いが、明らかに早く進行していた。
「な、なんだ、なんだこれ」
再生師は明らかに同様していた。彼女のこんな顔を見るのは初めてだ。まるで、子供が怖がっているみたいな顔。
「い、嫌だ! こんな、化け物になりたくない!」
「落ち着け! 大丈夫だ、大丈夫だから今は治し続けろ!」
その間もルチカナイトは鳴き続けている。あれが声を上げ始めた時、再生師の呪いが加速した。
こうなった原因は明白である。
「嬢ちゃん、これを!」
そう言ってカルメが渡してきたのは数個の黄色のポーションだ。生き物をなんでも溶かすという、あれ。
「オレは姉ちゃんを運ぶ! お前さんはそれでクソ呪源にちょっかいかけてきてこい!」
再生師は自分の処理で手一杯だ。さっきまでみたいな無茶な進み方はできない。しかも近づけば近づくほど鉱石は苛烈になる。腕を取られたらそのまま「死」だ。
天賦は"相棒"に手を伸ばした。今はどうか頼らせて欲しい。どうしたら上手くいく?最善の策はなんだ?
"相棒"、もう一度私に答えを教えてくれ。
「……待ってて。やってくる」
天賦は拡張袋に手を入れて、そこから槌――ではなく、スリングショットを取り出した。
「あ? それでどうやって……」
「任せて」
"相棒"の考えに任せて、天賦はルチカナイトの知性に賭けることにした。
彼は再生師を狙って呪いを進行させ、岩の吐き出しが効かないとなるとそれをすぐにやめた。魔獣並みか、それより上の知能があるはずだ。
スリングショットを手に持ち、ルチカナイトに駆ける。だが、これはあくまでフリだ。本当に向かおうとは思っていない。
ルチカナイトは鳴きながらも天賦に気が付き、刺し殺すために再び剣や槍の鉱石を次々と出現させた。天賦は落ち着いてそれを避ける。もちろん、意識を惹きつけるだけが目的ではない。
天賦はスリングショットを――何もセットしていないスリングショットをルチカナイトに向かって弾き絞り、手を離した。
それを見て、ルチカナイトは身を守るため、咄嗟に天賦と自身の直線上に鉱石を飛び出させた。思った通りの動きである。
天賦の真左から槍が飛んできた。無理やり上体をくねらせてそれを避ける。脇腹に触れる風に冷や汗を流した。
そして、天賦は再びそれを引いて、離した。
同じように、ルチカナイトも鉱石を突出させる。
「次こそ……!」
天賦1人に集中する鉱石は激しい。それに加えて天賦は一撃でもまともに食らったらアウトだ。いつもよりも感覚を研ぎ澄まさせ、鉱石の間に隙間を探す。
そして、相手によく見えるようスリングショットのゴムを引いた。特別強くそれを引き、わざとらしくそれを外す。
――ルチカナイトがなにもしなかった。
天賦は思わず笑ってしまう。目論見が完全に上手くいった。彼はこの行動に「意味がない」と判断した。あれはただのブラフだと。
ならば。
鉱石が特別遅く見える。まだ勝利には程遠いというのに、なぜか体が高揚していた。想像外の怪物が、特別頭の良いわけではない自分の思い通りの行動をしたのだ。
天賦は軽い動きで鉱石を掻い潜る。そして、スリングショットを再び構えた。
今回は空ではない。3本の瓶もセットである。
上手く当たれ、と願いながら、それを――離した。
ルチカナイトはなにもしなかった。しかしすぐに異変に気がついて鉱石の壁を作ろうとする。――だが、天賦が本気で引いたスリングショットの速度には僅かに、追いつかなかった。
瓶が、ポーションがルチカナイトの顔に、直撃した。
「――!」
鉱石と同じように、ルチカナイトの顔はじゅうじゅうと溶け始めた。すると鳴くのをやめて、ルチカナイトは顔をぶんと振る。
もしカルメと同等の頑丈さがあったら、という懸念があったが、思ったよりもうんと激しく溶けている。
「うし……っ!」
致命傷には至っていないが、初めてルチカナイトに明確なダメージを与えた。
これなら、これなら。
思わず、天賦の口角が上がる。
――「勝てる」。
「はぁ、はぁ…………あ?」
「止まった、嬢ちゃん! 姉ちゃんの呪いが止まったぞ!」
カルメが天賦に叫ぶ。
良かった。これでまた【再生】が使えるようになる。腕を犠牲にできるのは想定していたより大きい。
「さいせ――」
「――――――!!!」
ルチカナイトが叫んだ。
神々しさのかけらも無い、獣の悲鳴。その巨体から出す絶叫は、天賦の耳をおかしくさせるのには十分だった。
「うっ!?」
ぐら、と眩暈がする。耳鳴りがひどい。いや、耳鳴りではなく叫び声だったかもしれない。
洞窟全体が生き物のように鼓動する。揺れが酷すぎて立っていられない。吐き気が込み上げてきたように感じる。
「――て――天賦!」
耳鳴りの中に、よく通る声が横切った。
再生師の声だ。
再生師の顔を見ると、彼女は何かを指さしていた。 その先を見ると――
ばき。
ばきばきばき。
美しい鉱石が、そんな音を立てて変色していく。
空を閉じ込めたような青は、この世の「負」を煮詰めたような黒色に侵食されて、天賦の足元にまで迫る。元の姿よりも、ずいぶん冷たく感じた。宝石のようだった洞窟は、一瞬にしておぞましい空間へと変わった。
ただ、その中で一つだけ。
燦然と輝く、巨大な怪物がいる。
変わらぬ輝きを放つそれは、確かこう呼ばれていた。
「世界で最も美しい鉱石」。
天賦はその意味を、改めて知ることとなった。




