11話 人間離れ、人間、ニンゲン、元人間
カルメが立ち上がり、天賦の顔を覗き見た。ベスランの次ぐらいに背が高く、クチバシの形をしたマスクを傾げている。
天賦は不思議と受け入れ始めていた。
カルメが人間になった、と。
天賦はカルメを指差した。カルメはそれを不思議そうに見ている。
「ン?嬢ちゃん、どうし――」
カルメは恐らく、自身の羽を見ようとしたのだ。しかし、カルメの目に映ったのは長い手だった。それから身体中を確認して、絶叫した。
「うっわ!? ンだコレ、気持ち悪ィ!」
先程まで難なく地に足をつけていたというのに、自身の体の異変を理解した瞬間、膝が変に力み、腕をばたばたと動かし始めた。よく見ると、カルメの左の人差し指に金の指輪がはまっている。
「嬢ちゃんコレどうなってンだ! 元に戻せ!」
「分からない!」
カルメが戻せ戻せと懇願していると、槌を投擲されて転倒していた"魔獣の呪い"が起き上がった。天賦はカルメの腕を引き、再び家の隙間に身を隠した。
槌は魔獣の足元に放り出されている。生身で取りに行くのは難しい。それに加え、金の指輪でカルメは人間の身体になってしまった。飛べはしないだろう。
頭から流れる血はおさまってきたが、思考は未だに不明瞭なままだ。カルメの状態変化にどうこう言っている余裕はない。
「カルメ、残りの頭は?」
「え、えっとォ、ワイバーンとドラゴンだ」
天賦は考える。"相棒"の鞘では恐らく突破が難しい。しかし槌を取りに行くのは至難の技だ。策をぐるぐると考えるが、碌に形になりそうな案が浮かばない。
天賦は、もはやヤケクソだった。
自身の指を見ているカルメの足首を掴み、引きずる。あの槌よりもよっぽど重いが、今の天賦にとっては大したものではない。
カルメは天賦の行動に困惑の声をあげていたが、車輪に挟まれたときのことを思い出したのか、何かを察したように脱力した。そして、なるべく真っ直ぐになるように自ら姿勢を整え始めた。
きっとカルメの頑丈さも失われたわけではないだろう。鳥の状態でヘルハウンドの頭をあんなに容易く貫けるなら、きっとこの状態のカルメは良い槌になる。
ふらつく足にぐっと力を込めて、ワイバーンの頭を目指す。"魔獣の呪い"も同じく、全身から血が溢れていて、比喩抜きに肉塊のようになっていた。それでも天賦に反応して、ワイバーンの頭で吠える。
人体を武器にしたのはいくら初めての経験だったが、使用に手間取ることはなかった。なぜなら、彼女は"天賦"であるから。
カルメの足をぐっと掴み、風を切って向かってくる尾を弾き返した。尻尾の大半が弾け飛び、肉と皮がカルメにかかる。カルメはひたすらに静かだった。
頂上のドラゴンが、再び牙を天賦に向けて飛ばす。天賦はあまり自信がなかったが、カルメの襟を引っ張り上げ、盾のように構えた。
「エ、待って、それは怖いッ」
カルメは顔を腕で塞ぎ、ささやかな抵抗をした。大量の牙や角がカルメに降り注ぐ。カルメは「ヒィ」と怯えた。
ガキンッ、と金属がぶつかり合ったような音が一度響いて、その音が次々に増えていった。人体から想像つかないような金属音で、なんというか、少し面白い。
牙の雨が降り注いだ後、天賦はすぐさま移動を再開した。
ワイバーンの眼前に迫り、カルメを大ぶりに振る。決死の咆哮は歯牙にもかけなかった。
カルメのマスクがいい具合にワイバーンの頬に突き刺さり、顔の左半分を抉り取ることに成功した。脳ごと破損したことが確認できたので、これ以上追撃しなくてももう死ぬだろう。これで、残りはドラゴンだけだ。
それにしても、ヘルハウンドに突進したときと言い、カルメは顔面から生き物の内部に入りこむことに不快感はないのだろうか。その考えが頭をよぎった時、少しだけ、カルメがさらに重く感じた。
"魔獣の呪い"は、近くで見るとそのグロテスクさに気がつくが、遠目に見れば、今や巨大なドラゴンのように見える。天賦はこれほどドラゴンを追い詰めたことに歓喜していた。さてもう一息、と脛を掴んだ時、「オイ」とカルメから声がかけられた。
「もう良くねェか? ほら、取り返してきたぞ」
カルメが握っているのは、天賦が放り投げた槌だ。先程カルメの重みが増したと思っていたが、それが槌分の重みだとは思わなかった。カルメから手を離し、銅の槌を受け取る。やはり戦うために作られた武器は人体よりも振りやすい。
「てか見ろよアレ」
カルメはドラゴンを指差した。屋根よりもずっと高い位置にあった頭は地につき、石レンガの上を獣臭い血で汚していた。天賦に恐れをなして這う這うの体で逃げようとしているようには見えない。
目に闘志は宿ったままだが、カルメのように、身体がうまく動かせないといった様子だ。
「どうしたの、あれ」
「脳一つであんなたくさんの足を動かせるワケねェだろ」
そういうものなのか、と天賦は思った。ドラゴンの足は10よりも多い――天賦は10以上を数えられない――ので、どの足を動かしたら前に進めるか、どの足を曲げたら倒れるか分からなくなっているのだろうか。
這いずって暴れ回る姿はなんとも見苦しい。
「じゃ、終わらせる」
天賦はドラゴンの頭に近づいて――槌を振り下ろした。頭頂部から血が流れる。もう一回槌を降ろす。黒い角の先端が欠けた。もう一回、もう一回……
天賦は生き物を苦しめる趣味はない。ただ、ドラゴンがあまりに頑丈すぎるだけだ。一度叩きつける度に足が一つずつ力を失っていく。この戦闘は、天賦に悔いが残るものとなっていた。
勝利に越したことはないが、それでも、最後まで互いが全力を出し切り、それに勝つ――そんな結末を想像していた。天賦の記憶に残るドラゴンはそれほど強かった。
「作業」のようにトドメをさすことは、あまり天賦にとって好ましくない。英雄ならば、劇的で、感動的で、驚異的な勝利をするものなのだろう。
そして槌を降ろした回数を数えなくなった頃――"魔獣の呪い"は動きを止めた。
それが死んだのを確認した時、天賦にどっと疲れが押し寄せた。足が鉛のように重く、肺が激しい呼吸を繰り返したせいで痛い。側頭部は特に痛みを増し、目に映る色が形を崩して、混ざっていった。
そして、天賦はその場に倒れた。
「オイ嬢ちゃん! クソ、この身体どうしたら……あァクソ、なんとか上手くいけ……!」
カルメは自身の肩に巻くように天賦を抱えた。街や事後処理よりも、自分の生命線であろう仲間を優先した。
セールムの街から少し離れたところに退避していたファティの元へ走ることにしたが、その試みはあまり上手くいかない。慣れない人間の身体に戸惑い、一歩を踏み出すのに少し時間がかかる。
「クソ、なんで人間は飛べねェンだよ!」
カルメは四苦八苦しながら、森を抜け、術力車にたどり着いた。車の戸を頭で開け、天賦を横たわらせる。ファティは血まみれの天賦を見て驚き、知らない男が入ってきたことにさらに驚いた。
「だっ、はぁ!? あんた誰だよ! あいつらの仲間か!?」
「落ち着けファティ、オレだよ、カルメ!」
「カルメさんは鳥だよ! "魔獣の呪い"は、いや、それより早く出てけ!」
「だァクソ、声聞けよ声! オレもよくわかってねェの!」
カルメはファティを無理やり説得し、車を走らせた。
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天賦は気がつくと、川のほとりにいた。せせらぐ音が耳に心地良い。暖かい光に包まれて、心が安らいでいた。
初めて見る場所のはずだが、どこか懐かしさがある。天賦はこの川に既視感を感じていた。
「起きたっすか?」
ふいに声をかけられた。すぐ後ろに、寝転がって空を見上げる少年がいた。黒髪に青い目をしていて、眠たげに瞼を下げている。全く馴染みのない人物だった。
「あなた誰?」
「……どしたんすか。頭でも打ったっすか?」
「ええ」
少年は、まるで天賦がおかしなことを言っているとばかりに冷ややかな目を向けた。
「シュルトカっすよ。シュ、ル、ト、カ!」
はっきりした声で、彼が自分の名前を告げる。名乗れるということは、彼は呪われていない人間だ。シュルトカはわざとらしいため息をつき、その場でゴロンと寝返りを打った。
「そんなにいい村だったんすか?自分の村」
「え」
脈略もなく、天賦はそう聞かれた。「自分の村」と言いながらシュルトカは彼自身を指していたので、彼の村の話をしているのだと分かった。しかし、天賦は彼の村など見たことない。そもそも彼が誰かもわからない。
「確かに悪いやつはいないっすけど、でもあんなベタ褒めするほどじゃないって思うんすよ。だって、特別目立つものなんて何も無いし」
シュルトカは唇を尖らせた。天賦が知っている前提で話し、天賦が質問する度に訳がわからないという顔をされたので、彼に話を合わせるしかなかった。
「いい人だった。村の人も、あなたの家族も」
シュルトカは「家族」に反応して、天賦に向かって身を乗り出した。
「自分の家族、みんな変なんすよ! 自分がいくら「村を守ってやる」って言っても、ずっと子供扱いしてくるんすよ! 自分の腕っぷしなんてあんた知ってるでしょ? なのに、本当に意味がわかんないんすけど!」
シュルトカは鬱憤を晴らすように捲し立てた。一通り言い終わると、重いため息をついて再び草の上に転がった。
「もう子供じゃないのに……」
「いくつなの?」
「は? 14っすけど」
天賦は驚いた。見た目通り、全然子供ではないか。
しかし、「自分の腕っぷしなんてあんたも知ってるでしょ」という言葉が引っかかっていた。単に強がりたい子供から出る発言にしては違和感がある。
「……まぁ、別に分かってるっすよ。家族が自分を大事に思ってくれてるのは。でも、自分らがなんとかしないとみんな死んじゃうんすよ?「守る」ぐらいは言わせて欲しいんすよ」
「待って。みんな死んじゃうってどういうこと」
シュルトカは再び顔を顰めた。それでも、天賦には無視できなかった。「みんな死ぬ」。それを当然のように言い放った彼はやはり普通の存在ではない。
「そんなの分かりきってるでしょ。はぁ、今日の――さんはなんかおかしいっすよ。疲れてるんすか?」
天賦は今、自身の名前を呼ばれたような気がした。しかし、シュルトカの声にモヤがかかってしっかり聞き取れない。「待って」と口にする前に、シュルトカが立ち上がった。
「んじゃ、そろそろ行きましょっか。皆のとこに」
その言葉を最後に、天賦の意識は途絶えた。
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「あ、良かった! 目が覚めたんですね!」
意識が戻る。
天賦がいた場所は川のほとりではなく、ベッドの上だった。天賦の視界に人が入ってきた。黒い髪が写り、思わず目を見開く。
シュルトカ、と口にしかけたが、そこにいたのはウィルヒムパーティの僧侶、ノートだった。
「ベス、カルメさんたちに伝えてきて」
鎧が動く音が聞こえる。天賦には見えなかったがベスランも部屋にいたようだ。
「天賦さん、分かります? 【治癒】と【睡眠】をかけたので、問題なく動けると思いますが……」
天賦は勢いよく起き上がった。ノートは「わっ」と小さく驚く。身体中をぺたぺた触り、側頭部にも触れるが、どこにも傷は残っていない。むしろ快調だ。やはり、ノートは優秀な【治癒】の使い手である。
「ありがとう。ここどこ? ムーナウーヴァ?」
「えっと、ここはヘイリンです。ソエルソスの王都……」
ヘイリン。ソエルソス。
天賦たちが出発した場所ではないか。なぜ自分はここに戻っているんだ、と混乱した。
その時、部屋の外からドタドタ足音が聞こえてきた。
顔を出したのはウィルヒムパーティの面々、ファティ、そして、人間のようになったカルメだった。カルメは何故か気まずそうにマスクを掻いた。
あの後、カルメたちはムーナウーヴァよりヘイリンに戻る方が近く、より安全だということで、元の道を辿ってきたらしい。その際、ヘイリン付近で仕事を終えたウィルヒムパーティに出会い、ノートに治療をしてもらった、という流れだそうだ。
それより、天賦はカルメの存在をどう説明したのかが気になった。見た目は人間だが、鳥のマスクや黒づくめの格好がどうみてもただものには見えない。
「それにしても、私カルメさんみたいな羽人初めて見た」
「僕もびっくりしました。こんなタフな羽人もいるんですね」
「羽人」?
天賦は初めて聞く言葉に首を傾げた。分かっていない天賦を見て、ファティがこっそりと耳打ちした。
「自立ができない人間種です。明人や獣人に仕えて生きてるんですよ」
カルメは勿論羽人ではない。嘘をついたのというのは分かるが、何故他の人間種に奉仕する種族だと偽ったのだろうか。
「いンやァ、偶然嬢ちゃんに助けてもらってね、それから旅についてってるワケ」
カルメは不器用にピースサインを作った。この家のイスは、カルメには窮屈そうである。
「……そうだ、天賦さん。聞きましたよ。呪源を斃す旅をしているって」
ウィルヒムは神妙な顔をして天賦に話した。なにやら真面目が話が始まるのかと思ったが、すぐにスルとノートが入りこんで、元の柔らかい顔に戻った。
「そう! まさか天賦ちゃんがね〜」
「だからムーナウーヴァを目指してたんですね。それにセールムで"魔獣の呪い"を倒したんでしょ? 天賦さんが来ていなかったら、もっと酷いことになってたでしょうね」
ノートは少し俯いた。天賦はてっきり、市民は全て殺されてしまったのだと思い込んでいたが、実は一部の人々は教会に避難しており、全員には程遠いが、少なくとも100人は生きていたようだ。天賦はそれを聞いて、少し安心した。
「魔獣の呪いにかかってしまった人が完全に魔獣になってしまうなんて、今までどこに隠れていたんでしょう」
魔獣の呪いはあまりに危険すぎるので、かかった人間は人間のうちに命を断つことが決まっている、ということだ。そのため、魔獣の呪いにかかった者が"魔獣の呪い"に成り果ててしまう事例は極めて少ない。あの街のどこかで隠れていたのか、それとも外部からやってきたのか。
「でも、魔獣の呪いって言ったらムーナウーヴァに頻出してるイメージがあるなぁ。あそこってまあまあムーナウーヴァに近いし、向こうから来た可能性もあるよね」
スルたちは頭を悩ませていたが、いくら考えても答えが出るわけではない。それより、天賦はいつムーナウーヴァに行けるのか気になっていた。
「ねえ。私いつムーナウーヴァに行ける?」
「あのルートを使うのは今はやめておいた方がいいかも」
「となると……遠回りになるので5日ほどかかりますね」
「5日!?」
天賦は大いに落胆した。




