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渓谷の底で


 渓谷はまるで地表の裂け目のようには遥か彼方まで続いている。

幅50メートルほど。数百メートル下の谷底まで、ほぼ垂直の崖となっている。

 渓谷の底は黒色の岩肌と少しの水たまり、そして中央に渓谷に沿うように小川が流れている。地面に緑は存在せず落下した動物の白骨や大きな倒木が存在している。

谷の底は既に日光が当たらず影になっており、周囲の温度も低くなっている。

そんな荒んだ静寂の中で唯一小さな焚火がパチパチと音を立てて燃えていた。


「はぁ」


 溜息をついた後、スーツのポケットからスマホを取り出す。

ロック画面の時計は17時10分を指す。パスワードを入力しロックを解除する。

電子書籍「アウトドアでの応急手当」を開く。


「いたたたっ」


 至るところに切り傷ができて、足首も捻挫し筋も痛めてしまって歩くだけで激痛が走る。

回復魔術が使えない地球での非常事態の際に利用するために購入したものだったが、こちらで役に立つとは思わなかった。備えあれば憂いなしというところだろうか。

 書籍を確認しながら、応急手当をしていく。幸いにも谷底には幅5、60センチほど、跨げる程度の小川が流れていた。

 近くにより傷口の泥や砂利を洗い流す。

まるで凍りのように冷えた川の水が傷口を刺す。

肌着の裾を破って、にじむ血液と周りの水分をふき取る。

幸い出血が止まらないほどの切り傷は無いようだった。それでも足の裏と二の腕にできた大きい切り傷に破いた裾と肩に巻いていたテーピングをガーゼ替わりに巻き付ける。

 その後、捻挫や打撲への対処も行うが、持ち物が少ないこともあり、冷やして安静にするなど最低限の対応しかできなかった。

足を引きずりながら、先ほど焚いた焚火の近くに向かい腰掛ける。


「ふう」


そうして私、アルマ・シルリアは森で目を覚まして以降、初めて一息ついたのだった。


「あの男の意識は抜けてよかった」


そんな独り言が声に出せることに安堵しながら、先ほどまでの出来事を振り返る。

 あの時、そうこの渓谷に転がり落ちた時、ここで死んでしまうと確信し唖然としてしまった。体をよく知らない男に乗っ取られたまま死ぬのだと。

 しかし次の瞬間、なぜか体を取り戻すことができていた。なにが起きたかに思考をもっていかれそうになったが、即座に落下への対処に思考をシフトした。

 最も生存率が高いのは浮遊魔術を使うことだが、今の魔力量では発動は不可能だった。

 そのため、地面にぶつかる直前に風魔術を放ち衝撃を吸収した。地面に向かって打った風魔術が跳ね変えって体に大きな衝撃がかかったが、落下死は免れた。

 そのあと、集めた小枝に残り僅かになった魔力を使用し、火をつけた。

魔力が枯渇したため回復魔術はあきらめて、最低限のケガの手当をして今に至る。

ケガだけでなく魔力枯渇による倦怠感もあるため、少し休息したいところだ。

思い返すと、運がよかっただけで、死ぬ状況はいくらでもあった。

あの男がそれなりに私の言うことを聞いてくれたことも幸いだっただろう。

そんなことは体を取り戻したか言えるのだが。


 目を覚ますと体を一切動かすことができないにもかかわらず、自らの手が自らの胸を揉んでいるときには、この世の終わりかと思った。

そのあと、何とか体を取り戻そうとして唯一ができたのは、話しかけることだけだった。

話を聞くとどうやら、日本人で意図的に体を乗っ取ったわけではないようだった。

少し思い当たる節があったため、本人の特徴を確認しそれは確信に変わった。

 彼には悪いことをしたが、そのことは話さないほうがよかっただろう。

しかし、あの時は強く当たりすぎたかもしれない。私も動揺していたとはいえ、彼の発言を否定ばかりしてしまった。相手の性格によっては自暴自棄になって私の体で好き勝手される可能性もあっただろう。

 いや、なんだかこちらが危機的状況にも関わらず、この状況を楽しもうとしている節もあったから彼への対応はあれでよかったかもしれない。


 「今更、そんなことを考えても意味はないでですが。」


もう会わない人間への対応を考えるより、今の状況の打開が優先だろう。

最優先はケガを治すことだろう。周囲を探索するにしても、この足ではどうにもならない。

本来なら、魔力はもっと早く回復するのだが、地球にいた時間が長いせいか回復速度が1/10にも満たない。

(あーあー)


転移してきたのが日中だったと考えるとそろそろ日が暮れてきてもおかしくない。

一晩、ここで過ごすことは確定として朝までに最低限のケガの治癒と地上までの浮遊魔術を発動する魔力が回復するだろうか。

(あーあーあー)

・・・いや、そこまでの魔力は回復しないか。ケガを治して歩いて登れる場所を探すべきだろうか。

(あれ?これも聞こえてないのか)

・・・・とりあえず、火の近くを離れるのも危険だし・・ここで休息し日が昇った後に確認しよう・・

(おーい。聞こえてませんかー。アルマさーん。アルマさーん)

「はぁ、噓でしょ」

脳内で聞こえる男性の声。最初は悪い幻聴かと思ったがそうではない。

幻聴で片付けられたらどれほど楽だっただろうか。しかし、そうはいかない。なぜなら心当たりがありすぎる。脳内で語り掛けるなんて、先ほどまで私がやっていたことなのだから。

状況が逆転しただけ。


(聞こえてますかー)

「・・・はい、聞こえてます。」


私の悪夢はまだ終わっていなかった。


最後まで呼んでいただきありがとうございます。

今回はアルマ視点でした。 


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