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一年前の再演(12)

『――解呪はできた』


 ジュリアンが私にそう言ったのは、数日前のことだった。


『でも、戻らない』


 姉とテオドールの目を盗み、言葉を交わす王宮の奥。

 ジュリアンの紫の瞳に、憂鬱そうな影が落ちる。


 姉にかけられた魔術の解析は早々に終えていた。

 常に姉に張り付いていたテオドールも、ひと月を目前にして気が緩んだのか別行動が増えていた。

 だけど、テオドールの隙をついて解呪を仕掛けた結果は芳しくない。

 考え込むように、ジュリアンの眉間に皴が寄る。


『魅了のかかりが深すぎるのか、かかっていた時間が長すぎるのか。それとも――今のルシアには、魅了に抵抗する力がないのか』


 いつだったか、ジュリアンが言っていた。

 魅了にかかり続けると、だんだんと『魅了されている自分』が本当になると。

 魅了に抵抗するには意志の力が必要で、気をしっかり持たなければいけないと。


『今までみたいに完全にテオドールの言いなりってことはないだろうけど……。ルシア自身の気持ちをなんとかしないと、僕にはもうどうすることもできない』


 ――……お姉様。


 姉はいつも怒らず、声を荒げず、冷静なふりをして感情を抑えてきた。

 自分が孤立しても嘆かず、平気な顔をして、誰もいないところで泣いていた。

 馬鹿みたいに強情で意地っ張りで、国外追放を言い渡されてもなお、本心を明かせなかった。


 本当は失意の底にいた姉に、魅了はどれほど深く入り込んでしまったのだろう。




 大広間を風が吹き抜ける。

 強風に巻かれて、集まった重臣たちがざわめいた。


 離れて立つ私さえ思わずよろめくほどの風だ。

 壇上では、テオドールが立っていられず尻もちをつく。ジュリアンも膝をつき、側近の背にかばわれている。

 息を呑む人々の視線の先で、姉は悲鳴を上げ続ける。


「――テオドール様、どうしてですか! どうして、()()私を捨てるのですか!」


 魔力はなおも、濃さを増していく。

 魔術にもならない力が姉の周囲で渦を巻き、壇上の装飾をなぎ倒していく。

 テオドールが這うように後ずさりをし、誰もが姉を恐れて距離を取った。


「――――様……いや、いや! 聞き分けなんてよくないわ! 私、そんな女じゃない!」


 だけど姉の手は、誰かを求めるように宙をさまよう。

 遠い幻影を探すように、失った過去に追うように。


「本当は引き留めてほしかった! 泣いて縋りつきたかった! 捨てないで、って、言いたかったのに――――」


 絶叫じみた声が響き渡る。

 姉の感情に呼応するように、渦は大きくなっていく。


 壇上は今や、魔力の渦と壊れた装飾の飛び交う危険な場所だ。

 誰にも止めるすべはなく、誰もが恐れるように足を引く中――。


「――――だったら」


 飛び出した影がある。

 リオネル殿下の控えていた扉の奥。誰も近づけない魔力の渦へ、恐れずに駆けていくのは――。


「だったら! どうして言わなかった! どうして貴様は縋りつかなかった!」


 刺客を警戒し、道中の護衛として役立たせるために、ジュリアンがヴァニタス卿のもとへ送った男。

 この国の未来を歪めた姉を誰よりも憎む――『王太子』専属護衛騎士ライナスだ。


「あのとき! 貴様がその意地さえ張らなければ! ()()()()は今も王宮にいたというのに!!」


 己を切り裂く渦にも、ライナスが怯むことはない。飛び交う破片を避けながら、まっすぐに向かう先は渦の中心である姉のいる場所だ。

 宙をさまよう手は掴まない。ライナスは暴走する姉の体を押さえつけ、強引に引き倒した。


 頭を打つ、痛々しい音が響く。

 わずかに魔力の渦が弱まるけれど、姉の目はまだ正気を失ったままだ。誰かを探すように、縋るような視線が周囲を巡る。


「――――テオ、ドール様…………」


 姉の視線を受け、テオドールが悲鳴を上げた。

 困惑と恐怖に竦むテオドールに、ライナスは視線を向けさえもしない。


「まだ正気に戻らないのか! まだ見えていないのか!」


 彼は姉だけをきつく見据えたまま、一年前から今までずっと、褪せることのない怒りを込めて叫んだ。


「まだ、あのお方がわからないのか! ずっと探し続けていたくせに!!」






「――――ライナス」


 ライナスを止めたのは、静かな呼び声だった。

 ひどく落ち着いていて――同じだけ、悲しい声だ。


「ライナス、いい。もういいんだ」


 声はやはり、リオネル殿下の控えていた扉の奥から。

 武骨な鎧をまとい、腰に剣を下げ、かつては涼しげな美貌と称えられた顔に無精ひげを生やし――。


 青みがかった黒髪を雑に束ねた、ヴァニタス卿が歩み出る。


 この王宮に来てからずっと繰り返していた、姉の『誰かを探すような視線』が、卿の前で止まった。


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