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美奈子の幸せな一生

作者: 某千尋

 大好きな晴人が死んだ。


 決められた速度も赤い停止の合図も無視した鉄の塊は、一瞬にして彼の命を刈り取った。


 茫然自失なまま参列した人生初の葬式で、みんなは晴人にさよならをした。涙を流しながら、思い出を語りながら。


 でも、私はさよならするつもりなんてなかった。私の大切で大好きな恋人。彼に別れを告げられたわけでもないのに、なんでさよならしないといけないの?


「晴人、大好きよ」


 私は毎日晴人に愛を伝える。それは二人でデートした時に撮った写真だったり、晴人の骨が入ったお墓だったり、晴人の実家にある仏壇だったり。


 幼馴染の私は両家公認の恋人だったから、私が行くとおばさんはいつも快く迎えてくれる。


「美奈子ちゃん、ありがとうね」


 目尻に光るものを携えて心から嬉しそうにしていたのはいつまでだっただろうか。


 晴人が死んだのは高1の夏。今は高3の夏。

 最近は私がお線香を上げに行くと、おばさんは少し困ったような顔をする。


「美奈子ちゃん、いつまでも晴人のことを覚えてくれているのは嬉しいけど、貴女はまだ若いんだから、先に進んでもいいのよ」

 

 それはつまり、どういうこと?

 首を傾げると、おばさんは言いづらそうに口を開く。


「私はもうこの歳だもの。余生は晴人を偲んで生きていくつもり。けれど貴女は違う。まだまだ先の長い貴女が死んだ晴人に縛られてはいけないと思う。貴女には幸せになってほしいの」


 いったいなにを言っているのだろうと私はますます首を傾げる。


「私は幸せよ?」


 そう言うと、おばさんはそれ以上なにも言わなかった。






 私が物語の主人公なら、晴人の魂が入った猫が私に会いにきてくれたり、晴人の生まれ変わりが会いにきてくれたりするのかもしれない。

 もしくは、私が異世界に飛ばされて、その世界に晴人の生まれ変わりがいて再会するとか。ああ、それがいい。そんなストーリーがいい。

 異世界とは時間の流れが違うから、同い年で再会するの。

 最初は晴人が私のことを覚えていなくて私のことを邪険にして。私はめげずに晴人にアプローチする。

 なんやかんや苦難を乗り越えて、ついに晴人は前世を思い出して。

 そうして二人は永遠に幸せに暮らしましたとさ、ちゃんちゃん。


 そうなったら素敵。そうなったらきっと今以上に幸せなんだろう。


 でも当然そんなことは起こらず、私はそこそこ苦労してそこそこの大学に合格してこの春から大学生になった。


「美奈子ー! このサークルの新歓一緒に行こうよ」

「んー? なにそれ、ジャグリング? 私そんなのできないよ」

「初心者大歓迎って書いてるから大丈夫でしょ。このパンフ配ってる先輩がめっちゃイケメンでさー」

「えー? ミーハーなんだから……」

「いいじゃん美奈子も出会いがあるかもよー?」

「私には晴人がいるもーん」


 同じ大学に進学した高校の同級生のまどかは、私に恋人がいることを知っている。それなのに、なんてことを言うのか。


「また晴人くん……忘れろとは言わないけどさ、新たな出会いを拒否しなくてもいいんじゃないの?」

「なによ、浮気しろって言うの?」

「そうじゃなくてさー……美奈子に幸せになってほしいのよ」


 まただ。おばさんもまどかも、なんでそんなこと言うんだろう。


「私は幸せよ?」


 私は幸せなのに。大好きな人と恋人でいられるのだから幸せに決まっているのに。どうして私が不幸であるかのように言うのだろう。


「うーん……まあいいや、とりあえず新歓は絶対一緒に行こうね!」

「もー、仕方ないなぁ」


 出会いなんて求めてないけど、まどかのために一肌脱ぎますか。なにかしらのサークルには入ろうと思っていたし。

 晴人、安心してね。私、浮気なんて絶対しないから。大好きよ、誰よりも。


 





 ああ、神様それは違う。そのストーリーは私が求めているものじゃない。そうじゃないの、解釈違いよそんなの。


 まどかと参加した新歓で、私はひどく驚くことになった。

 一個上の先輩に、晴人そっくりの人がいた。

 隣にいたまどかも目をまんまるにして、私の肩をバシバシ叩く。ちょっと、痛いんだけど。


「見た!? 美奈子見た!? あの先輩晴人くんそっくり!」

「見た見た。それがどうしたのよ」


 あまりにまどかが興奮するものだから、私は逆に冷静になる。


「これ、運命じゃない? ほら、こっちくるから話しかけなよ!」


 彼が運命? ふざけないでよ神様。

 亡くした恋人にそっくりな人が現れて惹かれあって結ばれる? そんな物語、私望んでいないんだけど。

 私が晴人の顔が好きで恋人になったと思っているのかな。そりゃあ顔も好きよ。でも、私は「晴人」が好きなの。晴人じゃない人が晴人の顔をしていたって、なんにも惹かれない。


「どう? 楽しんでる?」


 晴人にそっくりな笑顔で話しかけてきた彼をつい睨みつけてしまう。


「え? なに? 俺なんかした?」

「ちょ! なんで睨んでんのよ! すみません、ちょっと体調悪いのかな?」

「んー……疲れたかも。帰る」


 私の晴人への愛を侮らないでほしいものね。

 顔が似てるだけの男を運命として用意したんだとしたら、神様手抜きが過ぎるわよ。


 けれど、物語は神様の望むままに進もうとする。

 ジャグリングサークルに入る気なんてなかったのに、結局まどかに懇願されて断れなくて。

 あれよあれよと彼と親しくなって、夏のサークル合宿で私はなぜだか彼とペアで肝試しに参加している。


 ねえちょっと、手抜きが過ぎるわよ。


「あのさ、美奈子ちゃん」


 眉間に皺を寄せていた私に彼が話しかけてくる。


「聞いたんだ、まどかちゃんから。その……美奈子ちゃんの亡くなった恋人が俺にそっくりだったって」


 まどかめ、余計なことを。


「今もその恋人を想ってるって。……俺じゃ代わりになれないかな?」

「なれませんね、というか、私は今も晴人の恋人なので。浮気はしません」


 ここで彼の胸に飛び込めば、チープなドラマはクライマックスを迎える。

 そんなのくそくらえ。神様、あんたの思い通りになんてなってやらない。


「今も恋人って……彼はもう亡くなってるんだよね?」


 まさか断られると思っていなかったのか、彼は戸惑いをその目に浮かべて言い募る。


「……先輩、遠距離恋愛ってしたことありますか?」

「遠距離? ないけど……」

「私と晴人はこの世とあの世で遠距離恋愛してるんです。私が死ぬまで」


 そう言うと、先輩は気持ち悪いものを見るような目で私を見る。


「本気で言ってる?」


 私はそれに返事をせず、目的地にあったお札を手に取って踵を返す。

 帰り道には彼と一言も言葉を交わすことはなかった。

 晴人、大好きよ、私の愛は貴方だけに。


「もう! あんな人だと思わなかった!」


 彼はあの後私のことを頭のおかしい女だと吹聴した。居心地が悪くなったサークルはやめたけど、相変わらずまどかとは友達だ。

 

「まどかが余計なこと言うからでしょ」

「だって……美奈子に幸せになってほしくて」


 きっとまどかに悪気なんてない。

 でも、少しは私の話を聞いてほしい。


「私は幸せよ?」


 私は何度この台詞を言えばいいのだろう。







「ねぇ美奈子、恋人とかいないの?」

「晴人」

「そうじゃなくて、会社とかにいい人いないの? 結婚とかどう考えているの?」


 私は不機嫌を隠さず席を立つ。

 今日の夜ご飯は私の好物の唐揚げだったのに、食べる気が失せてしまった。


 無事大学を卒業してそこそこの企業に就職して。

 気付いたらアラサーと言われる年齢になっていた。

 今も毎日晴人に愛を告げている。けれど、最近おばさんのところへは行っていない。

 あまりに私を辛そうに見るから、いたたまれなくなってしまった。


「美奈子! ちゃんと話を聞いて!」

「聞いても同じ! 私の恋人は晴人だけなの! もういい加減にして!」


 最近は母親がうるさい。結婚はどうするだとか孫がどうだとか。

 そろそろ一人暮らししようかな。実家、楽だったんだけどな。


「そうは言っても……お母さんもお父さんもあんたより先に逝くのよ。兄弟もいないから、そうしたらあんた一人になるのよ。そんなの寂しいでしょう」

「今どき結婚しない人なんていくらでもいるでしょ。だいたい結婚したって離婚する人もいるし、子供だって作らない人もいるんだから」


 別に私が特別なわけじゃない。結婚も子供を産むのも義務じゃない。


「でも……私はあんたに幸せになってほしいのよ」

「私は幸せよ?」


 そう言うと、お母さんは悲しそうな顔をする。私はなにも言わずに部屋へ行く。

 誰もかれも幸せになってほしい幸せになってほしい、そればっかり。もういい加減聞き飽きた。ねぇ、どうして私が幸せだって認めてくれないの?


 フォトフレームの中の晴人はずっと高校1年生のまま。私だけ大人になってごめんね。

 大好きよ、愛してる。

 

 もし晴人が生きていたら、私たちはどこかで別れてしまったかもしれない。晴人に他に好きな子ができてしまったかもしれない。


 でも、晴人はもう死んでしまったから私たちが別れることはない。他の女に心を奪われる晴人を見ることもない。


 ああ、なんて幸せなんだろう。貴方は永遠に私の恋人。







 母親の四十九日を終えて、やっと一息つく。この年になると誰も私に結婚の話なんてしてこない。

 まどかの結婚式に出たのはいつだっただろう。

 親戚は私を親不孝だと言う。確かに孫を見せられなかったのはちょっと申し訳ないけど、それは私のせいじゃない。


「ねぇ晴人、私おばちゃんになっちゃった」


 ついにアラフィフ。目尻には皺が刻まれているし、頬は弛んできた。うそ、もう弛んでる。

 晴人と一緒に年をとりたかった。アラフィフの晴人……どんな姿だったろう。

 写真の中の晴人と釣り合わなくなるのが嫌で頑張って若作りしてきたけど、限界はある。


「さすがにこの姿の晴人に愛を囁くのは犯罪っぽいよね」


 でも、欠かさない。大好きよ、いつまでも大好きよ。

 若い晴人が好きなんじゃない、晴人が好き。

 禿げても、メタボになっても、きっと愛してる。


 仕事ではそこそこ出世して、一人で生きていくのに不自由はない。でも私は長生きしようとは思ってない。

 だって、早く晴人に会いたいから。

 両親より早く死ぬのはさすがに親不孝が過ぎると思って健康にも気をつけてきたけど、もうそんなことを気にする必要もない。


 でも、かといって自分で終わらせようとは思わない。

 自殺は地獄行きなんでしょう? きっと晴人がいるのは天国だから、それだと死んでも晴人に会えない。天国と地獄で遠距離恋愛なんて、さすがに嫌だもの。


 いろんなことがあった。社会人になって、また神様が用意したチープなドラマの登場人物になりかけたこともあった。

 でも、全部全部拒否して。


 きっと、あれは試練なんだろう。あんなのに惑わされて晴人以外の人に心が傾いたら、私は死んだ後晴人に会えないんだろう。もちろん、心は1ミリも揺れなかった。


 あと、どれだけ生きればいいのかな。そろそろ遠距離恋愛も辛くなってきた。

 父も母も見送ったのだから、もうそろそろ私を迎えにきてもいいんじゃないかしら?






 

 結局私は70年以上生きてしまった。

 もうしわくちゃのお婆さん。私の晴人への愛は枯れないけれど、私が枯れ木のようになってしまった。愛しい晴人、貴方の美奈子はもうよぼよぼです。

 

 腕に繋がれた管を見る。自分で選んで入った老人ホームだったけれど、そりゃあ倒れたら救急車を呼ばれてしまうわよね。

 でも、そろそろお迎えがくるみたい。


 風邪をこじらせて、肺が限界を迎えている。

 

 やっと。やっと会える。


 ああでも、再会の時に晴人があの頃の姿のままで、私がおばあちゃんの姿だったら嫌だな。

 どっちでもいいから年齢は合わせてください、神様。


 朦朧とする意識の中で、私はこれまでの人生を振り返る。

 高校1年生で最愛の恋人と離れ離れになってしまったけれど、いつだって心の中には彼がいた。ちょっとお節介だったけれど、大切な友人たちがいて、両親がいて。



 幸せな人生だったなぁ。



 目を瞑り、時を待つ。





 晴人、もしあの世で浮気してたら……わかってるよね。

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