夕方と放課後
ある日の放課後、陽平は校門から外に出た。いつものように、俯いて。制服の肩についた白い汚れを軽く叩いて落とした。周りに同じ制服の学生が大勢いる。友達と話しながら家に帰る者、遊びに行く者、そこに留まってただ駄弁っている者。その制服の群れの中、陽平はいつもと同じように真っ直ぐ家を目指した。隣には誰もいない。
暗い色の制服ばかりの景色の中に、一際目立つ緑色を見つけた。顔を上げると、いつものジャケットを羽織った咲月だった。道を挟んで学校の正面に立ち、誰かを待つように校門をじっと見ている。彼女は陽平に気付くと微笑み、手を振った。陽平は早足で彼女の側に向かった。
「待ってたのか?」
「そ。夜ってお店ほとんど閉まってるから遊びに行くならこの時間がいいと思って。この後予定ある?」
「特にないよ」
「じゃあショッピング行こうか」
彼女に言われるがまま、陽平は近くのショッピングモールへと向かった。歩いて15分程の距離にある。その道中で、咲月が陽平の制服の汚れに気付いた。
「それ、結構汚れてるね。もしかして意外とアクティブなタイプ?」
「そういう訳じゃないんだよね……」
「じゃあ掃除当番だったとか?」
「それもあるかな……うん。でも本当は……」
隠そうとはした。だが話している内に、陽平は彼女になら伝えてもいいのではないかと思った。寧ろ、それを彼女に打ち明けたくなった。彼女なら、受け止めてくれる気がした。制服の、汚れの理由を。
「実は僕、いじめられてるんだよね……」
周りに同じ高校の生徒が居ないか確認して、それでも小さな声で言った。自分でも理由はよく分からないが、言い出しづらかった。
「なるほどね……。この前絡んで来た奴みたいなのに?」
「大体一緒。中学の時そいつの仲間だった奴らと、新しく加わった奴。今は大体6人にやられてる」
それを伝えると、咲月はしばらく黙っていた。気不味い空気のまま2人は歩いていた。
進学してある程度経ってから、中学が一緒だった人物が言った。「こいつ、面白いぜ」無論それは標的としての「面白い」だ。悪口、窃盗、使い走り、暴力、それを彼らは笑いながらしていた。陽平はただ、耐える日々だ。友人を作る前に標的にされたせいか、彼と友達になろうとするクラスメイトはいなかった。ただ哀れみの目を向けるだけだった。陽平はそのことを簡単に話した。
「やり返したり……は難しいか」
「うん……。喧嘩弱いし」
咲月は黙って聴いていた。そして
「そうか……。じゃあ……これから毎日私と会ってくれるかな」
唐突な彼女の提案に陽平は首を傾げた。
「私と毎日会って、その間は学校のことを忘れる。どうかな?今の私にはそれしか出来ない」
「……ありがとう。いくらかはマシになると思う」
「気に入ったならよかった。友達が辛い目に遭うのは私も嫌だからね」
嬉しかった。これまで毎日、学校での辛い記憶を抱えたまま寂しく家に帰り、1人で過ごしていた。心配をかけたくなくて、親にも伝えていない。ようやく誰かに打ち明けられ、問題の解決はしなくても、嬉しかった。
「さて、この話はおしまい。着いたらまずどこ行く?何か食べる?」
咲月はパン、と手を叩いた。
「そうだね……あ、咲月の服見るのはどう?この前シャツ破れちゃったしさ」
「確かに!それいいね」
彼女はジャケットをひらひらと振ってみせた。
「いつも着てるけど、それ気に入ってるの?」
「そ。実は似たようなの3着着回してるんだけどね」
彼女がいつも着ているジャケットはミリタリー系のジャケットだ。咲月はそれをよく着こなしているように見えた。今日の最初の目的は、それに合うTシャツを探すことになった。
ショッピングモールに着くと、2人は目当てのTシャツのありそうな店を探し歩いた。
「あのお店は?」
「微妙。あんまり派手な柄は好きじゃないんだよね」
「じゃああっちは?」
陽平は落ち着いた雰囲気の店を指差した。
「うわ、高い店じゃん。入りづらいし」
陽平は店に近付き、手近な棚に置かれたシンプルな黒いTシャツを手に取り、値札を確認した。そして黙って戻した。なぜここまでの値が付くのか謎だった。
「あ、あそこは?」
今度は陽平もよく使う、手頃な値段の店を指した。デザインもシンプルな物が多い。
「雰囲気はいいね。問題は探してるのがあるか……」
早速2人はその店へと入った。明るい雰囲気の店内を見て回る。
「陽平、これとかどう?」
数分後、彼女は白と黒のボーダー柄のTシャツを手に取って陽平に見せた。ジャケットの前を開け、服を身体に合わせる。
「いいと思うよ。……ファッション詳しい訳じゃないから参考程度に留めて欲しいけど」
「でも違和感はないでしょ?」
「まあね」
彼女が選んだのは少し大きめのサイズだった。陽平の主観だが、似合ってるように見えた。
咲月の服を選んだ後、今度は彼女の希望で新しく出来たアウトドア用品を扱う店へと向かった。広い店内には本格的なテントやランタン、グリルなどが置いてある。
「キャンプでもするの?」
「野宿なら何度かあるよ」
彼女は何か目的があるようで、話ながらではあるがテントなどには目もくれずに店内を歩いていた。そして、目当てのコーナーに着いたのか足を止めた。
「うーん……結構いい値段するね……」
彼女はショーケースの中を見て唸っていた。陽平も覗き込む。そこにはナイフや斧などの刃物類が陳列されていた。用途はアウトドア用だろうが、充分武器になりそうな大型の物まである。
「これ買うの?何のために?」
「ちょっとまぁ……護身用的な感じ」
「咲月は強いからいらないんじゃない?」
「生身の人間相手ならね。でも私も無敵じゃないからさ」
「……何か事件とか起こさないよね?」
「そんなことしないよ!いくら人外だからって!」
そこまで言って、ハッと咲月は周りを見回した。幸い店のBGMや喧騒に紛れて、誰にも聞かれていないようだった。
「その……ごめん」
気不味くなり、陽平は誤った。
「別に気にしてないからいいよ。……このナイフ結構いいお値段するし、買うのはまた次回かな」
それでも居づらくなった2人は、静かにその店を後にした。
その後何店舗か店を見ている間に、窓から見える外はすっかり暗くなっていた。徐々に日が短くなる時期だ。
「次はどうする?どこかお店寄る?」
「そろそろ帰らないとかな。家事とかしないとだし」
「偉いね。そういう男子ってモテるらしいよ」
咲月が揶揄う。母が夜勤で、父は単身赴任。簡単な家事は陽平の仕事になっていた。2人は雑談をしながら歩き、ショッピングモールの外へと出た。時折通る車のヘッドライトが眩しい。
「じゃあ私もこの辺で帰ろうかな。今夜は野暮用があるからさ」
「分かった。あ、そう言えば咲月ってどの辺に住んでるの?近く?」
陽平は家に帰らなくてはと思ったが、中々その方向に足が向かない。
「ここから……歩いて30分くらいの狭いアパート」
咲月はその方向を指差す。陽平の家とは反対側だ。
「じゃあ僕の学校まで結構遠かったんだね」
「歩き慣れてるから問題ないよ。人目が少ない時は屋根飛び越えてショートカットするしね」
そう言うと彼女は悪戯っぽく笑った。彼女の正体を知る陽平は、それが冗談でないと分かった。
「それじゃ、また明日ね」
そう言うと咲月は歩き出した。少し進むと振り返り、手を振った。
「うん。また明日」
陽平も手を振り返す。こうしたやりとりはいつ以来だろうか。帰り道はいつもより寂しく感じた。それでも、辛くはなかった。