深夜の出会い
お久しぶりです。新連載です
夜の町は新鮮だった。見慣れたその場所が、昼間とは全く別の世界の様にも感じられた。点々と道に立つ街灯の白い光や、遠くの山に見える鉄塔の赤い光が寂しさを演出している。闇に浮かぶ家の影の中から時折漏れる光がなければ、自分が異世界にでも迷い込んだと錯覚する程だった。平田陽平はそんな夜の町を当てもなく歩いていた。夜風と静けさが心地良い。少し肌寒いが、部屋のベッドに蹲っているより清々しかった。夜の11時30分。また明日が始まる。寝てしまえば明日がやって来る。ずっとこのまま夜の世界にいたかったが、そうもいかない。彼は踵を返し、家へと戻ろうとした。
街灯を頼りに住宅街を進んでいると、遠くに人が見えた。彼は一瞬緊張した。こんな夜中に誰かと会うなど想定していなかった。警察官だったら高校生の自分は間違いなく補導される。もし変質者や不良の類いだったら?身体が固くなる。その人物は陽平の方に向かって歩いている。ある程度まで近付くと、私服を着た女性であることが分かった。少なくとも警官ではない。服装も至って普通だ。彼は流石に考え過ぎか、と安心してその人物の側を通り過ぎた。
「ねぇ」
その時背後から声が聞こえた。すれ違った彼女から発せられたものだ。
「君だよ」
陽平に緊張が戻り、恐る恐る振り返った。
「こんな時間に何してるの?もしかして暇?」
見れば先程の彼女が陽平を見つめていた。彼女は緑色で丈の長いジャケットを羽織っている。そして、髪は綺麗な銀色をしていた。年齢は20歳程度だ。顔立ちは……美人な方だと思った。
「その……ただ散歩を……」
「じゃあ暇か。というか君高校生?」
「はい……」
陽平は警戒した。まさか、何か犯罪の標的にでもされたのか?
「もし暇ならさ、ちょっと付き合ってよ。私も暇なの。そこの公園で話すだけで良いからさ」
彼女は綺麗に微笑んで公園を指差した。
陽平は彼女に着いて行った。正直警戒したが、公園で話すだけならと許してしまった。どうにでもなれ、という気持ちもあった。そして、彼女の不思議な雰囲気に少し惹かれてもいた。
「これでも飲みながら話そ。私のおすすめ」
ベンチに腰掛けると、彼女は上着のポケットからパックのジュースを手渡した。バナナミルクと書いてある。
「お気に入りはイチゴミルクだけど、これは私の。そこのスーパーにあるからよかったら買ってね」
彼女は自分のパックにストローを刺した。陽平も隣に座り、貰ったバナナミルクを一口飲んだ。甘くて美味しい。
「あの……どうして僕に声を……?」
彼は疑問を口にした。彼女の目的が分からなかった。自分でもこんな状況になるだなんて思ってもいなかった。謎の女性と公園のベンチに座ってジュースを飲むだなんて……。
「暇だったし、暇そうに見えたから。後はなんだろう、君みたいなタイプがこの時間に歩いてるの珍しかったからかな?面白そうだから声かけてみた」
「僕みたいなタイプ……?」
「そ。真面目そうな高校生。それでいてバイトや塾の帰りにも、家出にも見えない。当たってる?」
「真面目かはともかく、当たってます」
「やっぱり。で、話し相手として誘った訳だよ」
「いいんですか?僕なんかで」
「全然。そのジュース気に入った?」
「……美味しいです」
「それは良かった。布教も成功だね」
彼女は楽しそうに笑った。まだかなりの距離を感じるが、悪い感じはしなかった。
「そう言えばお互いまだ名前も知らなかったね。私は咲月。君は?」
「陽平って言います」
「陽平君か。よろしくね」
彼はいきなり下の名前を名乗ったことに違和感を覚えた。しかし、咲月がいきなり誘って来たこともあり、それはすぐに消えた。彼女はこう言う人なのだと。2人はしばらく、核心に触れない、当たり障りのない世間話をした。
「まぁ誘っといてあれだけどさ、今日はこの辺で解放してあげようかな。早く戻らないと親に怪しまれちゃうでしょ?」
「母は夜勤で居ないから大丈夫ですよ」
「お父さんは?」
「単身赴任中です」
「なるほど。つまりやりたい放題出来る訳ね」
彼女は悪戯っぽく笑った。
「あ、でも明日も学校でしょ?早く寝ないとこ」
「ですね。あんまり行きたくないですけど」
陽平は思わず本音を口にしていた。
「ま、半日近く拘束される訳だから行きたくないのも当然だよね。行くかどうかは君の自由だけど、行くなら早く寝た方がいいよ。寝不足は身体に悪い」
「それ、あなたもそうですよ。社会人か大学生か分かりませんけど……」
そう言うと彼女は可笑しそうに笑った。
「君にはそう見えているんだね。私は大丈夫なの。さ、とりあえず今日はここまで。明日暇なら、夜の10時ぐらいにここにいるからさ、よかったらまた話し相手になってよ」
そう言うと彼女は勢いをつけてベンチから立ち上がり、手を振りながら去って行った。陽平は静寂の中に1人残された。
少し強引で、不思議な人だったが悪い印象は受けなかった。
「あの人何だったんだろう……?」
ふと我に帰ったようにこれまでの状況を確認した。謎の女性に声をかけられ、ジュースを貰って少しだけ話して……。結局学生なのか仕事をしているのかも答えてくれなかった。それが疑問として引っかかり、明日も会おうと陽平は考えた。
「それに、綺麗な人だったな……」
翌日の夜になった。陽平は正直この時を楽しみにしていた。未だ謎の多い咲月だが、もしかしたら友達になれるかも知れない。その上、美人だ。そう思うと夜になるのが待ち遠しかった。ベンチに座って5分ほど待つと、公園に彼女が入って来る。昨日と同じジャケットを羽織っていて、すぐに分かった。陽平は物陰から出ると歩いて彼女に近付いた。
「1日ぶりです」
「こんばんは。今日もいい夜だね」
驚いた様子も見せずに、彼女は挨拶をした。
「今日はどうする?またベンチで話す?」
「咲月さんの好きでいいですよ」
「分かった。とりあえずそうしよう。あと、敬語使わなくてもいいよ。距離を縮めたい」
彼女の言葉に陽平は一瞬好意を抱いているのか?とすら思った。だがすぐに友人になりたいだけだと思い直した。好意を抱くには早過ぎる。
「えっと……分かった。こうかな?なんか慣れない」
急に話し方を変えると、上手く喋れない。その上相手は恐らく歳上だ。
「緊張するのは何となく分かるよ。でも、私は友達が欲しいんだ。君さえ良ければ、なってくれるかな?」
咲月は微笑むと右手を差し出した。色白で綺麗な指をしている。
「実は僕もそう思ってたんだ……。友達になれたらなって……」
少し照れ臭いが、陽平は彼女の手を握った。咲月も握り返す。
「良かった。毎日暇してたんだ」
「僕も友達少ないから良かったよ。そうだ。結局昨日答えてくれなかったけど、咲月は何してる人なの?」
彼は昨日聞けず終いだったことを質問した。
「うーん……ふらふら適当に生きてる。そんな感じかな」
「……フリーターってこと?」
「まぁ……そんなとこだね。うん」
相変わらず曖昧な回答だ。だがそれ以上聞けそうになかったので仕方なくそれで納得することにした。この質問は、もう少し仲良くなってからしてみよう。
「さて、友達になったことだし散歩に出かけよう。夜はまだ長いからね」
彼女に言われるまま、2人は夜の町を歩き出した。
「夜の町って、不思議な感じ。別の場所みたいで」
「君にも分かる?いいよね。私も夜は好き」
「だから昨日も歩いてたの?」
「そうだね。夜は大抵出歩いてる。基本人が寝てる時間は、誰かの非日常にぶつかりやすいからね」
咲月は楽しそうだった。曖昧にだが、彼女の言うことは理解出来た。咲月が陽平の非日常がぶつかった結果が今この瞬間なのだろう。
「行き先とか決めてる?」
「特には決めてない。とりあえず今は夜の空気を知って貰おうかなって。慣れてないでしょ?」
新しい友達と散歩をする。ただそれだけのことなのに、夜という要素が加わると何か特別な体験のように感じられた。昼の喧騒が無くなった町は、陽平にはどこか心地良かった。
「いいよね。静かで、別の場所みたいで。それでいて微かな人の息吹もあるし、何かが起こる予感もある」
彼女の言葉は、昨日陽平が感じていたことを上手く言ってくれた。確かにそうだ、と共感した。そして「そう言えば」と彼は口を開いた。
「昨日くれたジュース、あれのいちご味飲んだけど美味しかったよ」
「ホント?いやー嬉しいなこれは。じゃあ今から買いに……て閉まってるか」
彼女は少し残念そうだ。あのジュースは、この辺りだと1店舗でしか扱っていない。
「じゃあ、次会う時はお互いに持ってこよう。どうかな?」
「それいいね。ついでにお菓子も持ち寄ろう」
咲月が親指を立てる。2人は静まり返った夜の町を楽しく話しながら歩いた。この日から、陽平の夜は大きく変わることになったのだった。
ありがとうございました。