深夜公園のベンチで、彼女のタバコに火をつける僕
『今日夜11時に前飲み会した公園に集合!』
土曜日。
起きたら、スマホのLIMEに杉浦さんからメッセージが入っていた。この土日は特に予定もないので、勉強を頑張ろうと思っていたのだが、そのやる気も消え失せてしまった。
『すみません。勉強を頑張りたいです』
『じゃあ、集合時間までに勉強を頑張ろう! 何か奢ってあげるから!』
と、何度か遠回しにお断りのメッセージを送るが、全部かわされた。
直接的なメッセージを送るのは少し気が引けるので、泣く泣く集合場所へと向かうことにした。
「あはは~、きたきた~」
深夜前の時間帯で、公園までの道中ですれ違った人の数は一人か二人。
人気のない公園に、どこからか虫の鳴き声が聞こえてくる。梅雨が近づいているからか、どこかジメジメとした空間。公園にある明かりが照らすこの場所が、どこか恐ろしく見える。
そんな公園のベンチに鎮座する女性は、横にビールの空き缶の山を作って僕のことを待っていた。
「さあさあ! さっさと始めるぞ~」
「…………」
意外と黙っていれば、綺麗で可愛らしい人なのかもしれない。
だが、僕は彼女がお酒を飲んでいる場面でしか遭遇していない。素の杉浦さんがどういう人となりなのか、少し気になる自分もいるが。
「もう30分前から始めちゃってるよ、ごめんねー!」
目の前の泥酔杉浦さんを見れば、何もかもがどうでもよくなってくる。
「どうして30分前に来てるんですか……」
「お、お酒飲みたかったから!」
「もしかして時間間違えました?」
「そ、そういえば、今日はいい天気だね!」
「……夜なのにその話題は無理ありますって」
「年上に逆らうな! こら!」
「……お隣失礼しますね」
ベンチの上に並べられた空き缶をレジ袋にまとめて、空いた場所に僕は座った。
「で、勉強はどうなの? 調子はいいのかい?」
「まあ、一応……」
「なーにー、その歯切れの悪い返事はー」
「やるだけやりました」
「その返事、まじうけるー」
手に持ったビールをちびちび伸びながら、僕の最近の勉強事情についての話が繰り広げられる。
授業でどんなことをするのか。学校の中の自分の学力順位はいくつか。模試での全国順位はいくつか。めんどくさい授業はどれか。嫌われている先生はいるのか。
そんな話の中で、彼女の学生時代の話題が少しだけ上がる時もあった。
「私が行ってた学校はそこまで賢くなかったからさー。勉強よりも学校行事が楽しかったなー」
「文化祭とか体育祭とかですか?」
「んー、それもあるけどねー。ほら、授業抜け出したりとか」
「…………?」
「理解できない、て顔をしてるね! そりゃそうかー、優等生はそんなことしないもんなー」
「授業なんて抜け出したら、停学とかになるんじゃ……」
「そうなのー? 詳しいところはあまり知らないなー」
「杉浦さんは、抜け出したことあるんですか?」
「ないないないない。そんなことする度胸なんてないもーん」
「したことないのに楽しいとか言えるんですか?」
「そういうのを眺めるのも楽しかったんだよぉ……。ケータイのメールにさ、今どうしているかとかメールが来たりさ。先生が今どういう状況かの情報を交換し合って、上手く先生をだましてみたり」
「うーん、なるほどぉ」
「まあ、一般的な学生からは理解されないだろうねー。今思うと、迷惑すぎるよねー炎上ものだわー」
「SNSに挙げたら、絶対炎上ですね」
「個人特定までされて、停学どころか退学になるね。煙草吸っていい?」
「前は言いそびれたんですけど、指定された場所でしか吸えないですよね? それに隣で吸われるのは、副流煙的にちょっと嫌と言いますか……て、話聞いてないし」
僕が話している途中に、杉浦さんはササッと煙草に火を付けていた。
「吸う?」
「20歳未満は吸っちゃいけないです」
「ふーん。私の周りには結構いたんだけどなぁ」
「周りもやってるから、て薬物の資料によく出てくる常套句です」
「悪い先輩の奴ね! いや、そんな私悪くないからぁ」
「いやいやいや」
未成年の前で煙草吸ってお酒飲んで嘔吐して介抱されて、挙句に煙草やお酒を進めてくる人は絶対に悪い人だ。
「結局吸うか吸わないか、飲むか飲まないかは自分次第なんだから、勧めること自体は悪じゃないと思うんだー。今君が誘いに乗って煙草を吸ったとしても、君の責任だし、最悪二人で罰せられるべきだよ」
「ひどい……」
「この前アイスを一緒に投げたんだから、共犯だよ私達」
「……連絡先なんて交換するんじゃなかった」
「後悔したってもう遅いもんねー!」
杉浦さんに頭がガシガシと撫でられる。
撫でられるというか、頭を思いっきり揺すられた。
「やめてください……」
「可愛いやつめー、今まで出会ってきて彩叶君みたいな人なんていなかったぞー」
「それはこうえいです」
「それは本心なのかよぉ!」
ベシベシと頭を叩かれる。
「ふふふー、今日もアイスを投げるかい?」
「いや別にそれは……」
「楽しそうにしてたじゃーん!」
「…………」
「あれ、私の気のせいだったかなぁ」
「あの行動の面白さを、僕に説明してほしいんですけど」
「えぇ!? なになーに! 気になっちゃう感じかなぁー」
「ただ理解できないだけなんで……」
「ふふーん。じゃあ、私が初めてあの遊びを考えた時のことを教えて進ぜよう!」
手に持っていたビールを一気に飲み干して、杉浦さんは遠い場所をどこか懐かしむように見つめ始める。
「あれは数週間前のことなんだけどね」
「あれ、意外と早かった」
「流石にあんなことを子供の頃からやってたら、頭おかしい子になっちゃうって。バイト終わりにアイスが食べたくなってさー、アイスを食べながら帰り道を歩いていたわけよー」
「そういえば、どのバイトをやってるんですか?」
「えぇーと、それはまた今度ということで」
「…………?」
「それでね、ふと思ったわけよ」
「何を?」
「これ、ぶん投げたらおもしろいんじゃないか、ってね」
「それだけ?」
そんな思いつき?
「いやね、最初は非常識なことだって思ったの。でもさ、ちょっと考えてみたらさ、未成年で喫煙飲酒とか授業抜け出したりすることだって、非常識なことなわけじゃない?」
「そうですけど」
「でも、そんな度胸は私にはなかった。周りの皆がやっていることを、私はできなかったの」
「それは……」
「分かってる。非常識なことはやってはダメって、分かってるんだよ? でもさ、そんなことをやった瞬間の気持ちには興味があったの。だからさ、ただアイスを誰も見ていない時に道路に投げつける、みたいな簡単なことをやれば、周りの皆がやっていたことが分かるんじゃないかって」
今までとは変わって、杉浦さんは流暢に言葉を口にしていた。
さっきまで酔っ払っていたのに、酔っ払っている状態では僕に迷惑をかける言動しかしていなかったのに、今僕に語り掛ける杉浦さんの言葉は今までとは違う、真剣さを感じ取れる。
「で、どうだったんですか?」
「ちょっとスカッとした、ぐらいかなぁ……」
「なんかパッとしない感想ですね」
「だって、しょぼかったんだもーん。アイスが飛び散るのをただ見てただけなんだもーん」
「まあ、僕も同じ感じでしたけど」
「ね。しょぼかったよねー。でもさー」
「……?」
「そのちょっとしたスカッとした気持ちにさ、救われた気がするんだよねー」
「救われた、ですか」
「そうそう。意味ないことなんだけど、私には意味があったんだよ」
「よく、分かりません」
「もっと年を取れば、分かるかもしれないよね~」
「……杉浦さんもそこまで年を取っているわけではない気が」
「えー、なになにー! お姉さんそんな若く見えちゃうか―、そうかそうかー!」
「…………」
「黙らないで、よ!」
ポコッと軽く叩かれる。
杉浦さんはそのまま煙草に火を付けて、残りのビールを開けて飲み始めた。さっきまでの雰囲気は消えて、今まで見てきた酔っ払い杉浦さんに戻っていた。
「意味ないことにも、意味がある、ですか」
「……? 何か言ったかにゃ?」
「いえ」
酔っ払いモードの杉浦さんは、多分今の俺の疑問に受け答えをしてくれないだろう。
一体さっきまでの真剣さはどこに消えたのだろうか。この変わり身の早さも、お酒の影響というやつか。父さんも酔いが回り始めると急に気弱になって母さんに抱き着いたりするから、さっきのは杉浦さんのなんとか上戸というやつなのだろう。
ふ
さっきの杉浦さんが言っていたこと。
杉浦さんの言い方が妙にしんみりしていた気がする。彼女の言葉の奥に潜む隠し事が見え隠れしていていたように思う。先日のアイスを道路に叩きつけた件も、今日の僕に自分の過去を少しだけ語ってくれた件も、どうして杉浦さんはそこまで僕に肩入れしてくれるのだろうか。
たった一度、会っただけの僕に。
「……いやでも、一度だけでも酔っ払い状態で介抱したんだから、結構バカでかい恩なのでは?」
「ふえ?」
「今日は、ちょっと高いアイスが食べたいです」
「買えばいいじゃん?」
「え?」
「え、なにその驚いた表情は」
「メッセージで奢ってくれるって言ってたじゃないですか」
「……あれもう時効だよ」
「酷い大人がここにいる……」
「わ、わたしだって、他にもお金使いたい趣味だっていっぱいあるんだもん! 美容とかもっと気を遣いたいお年頃なんだよ!」
「…………」
言い訳をする杉浦さんの横には、ビールの空き缶が転がっている。
「まずはお酒を断つことを……」
「やめて! その正論は私を傷つけるの! さっきのアイスの件と一緒なの、これは私にとって大事なことなんだよ!」
「はぁ……」
「まあ、今日は私が誘ったんだし、君にもアイス以外も奢ってあげようと考えてたけどね!」
「気前いいですね」
「一応年上だから! そういうプライドはあるんだ、私!」
胸を張る杉浦さん。
「そうだ、少年! 君にためになることを教えてあげようか」
「受験の秘訣とかですか?」
「じゃじゃーん! タバコの火の付け方でーす!」
「…………」
「経験上、タバコの火の付け方ができてる人は色んな人に好かれるのです! これは身をもって検証済み!」
「僕今後もタバコを吸う機会ないと思うんですけど」
「あのね、先輩とか教師とか、目上の人がタバコに行く時はタバコを吸わなくても行くべきなの。吸わないとか関係ないの、ライターは絶対用意しておくべきなの!」
凄く饒舌に語ってくる。
杉浦さんの表情から少しばかりの焦りが見てとれる。もしかしたら、そんな状況に陥って困ったことがあるのかもしれない。
ただ、高校生の自分にはそこまでピンとこない話である。
「今やる必要あります?」
「その言葉も禁句! やる必要があるかどうかじゃないんだよ!」
どうやら、タバコの火の付け方を教わることは確定らしい。
「教わるだけですからね」
「やったー! 誰かに火をつけてもらうの憧れだったんだよ〜」
つまりは、そういう魂胆らしい。
了承すると、杉浦さんはポケットからライターを取り出して、
「へ?」
僕の体の向きを変えて、まるで後ろから僕に抱きつくかのように、というか僕に抱きつく形に、杉浦さんは僕の背中に体をくっつける。
「まずは、ライターを手に持ってね。ライターを持ってない手でライターを風から守るように覆ってね」
「杉浦さん! 密着してます!」
「動かないで、すぐ終わるからさ」
たった数秒で終わる動作を教えるために、わざわざ身体を密着させる必要性がどこにあるというのか。こんな簡単な動作なら、わざわざそうやって教えたくても口頭で良かったような気もする。
「もう、なんでそんなに嫌がるんだよー、前もおんぶしてもらったりしたから平気でしょー」
「そ、それは確かにそうなんですけど」
「ほら、次は実践だよ、実践」
杉浦さんはタバコを一本取り出して、
「ん」
口に咥えて、こちらに差し出してくる。
「…………」
「ねぇ、早く吸いたいから、パパッとやっちゃってね」
目を閉じて、こちらにタバコを咥えた口を差し出してくる杉浦さん。
それはまるで、それはまるで。
「ね、別にキスするわけじゃないし」
「わ、わわわわわかってますから!」
「?」
僕は慌てて、とりあえず習ったように、彼女のタバコに火をつけた。タバコの煙を口から吐く彼女は、なんとも言えないような表情を浮かべた後に、
「変な妄想でもしたのかなぁ?」
なぜか嬉しそうに、イタズラな笑みを浮かべるのだった。