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深夜道路のど真ん中で、安いアイスを地面に叩きつける僕ら

 ふと、思うことがある。


 なぜ僕たちは勉強をしているのだろうか。


 多くの人が学校に行き、塾に通ってまで学力を上げようとする人もいる。

 今勉強をしていれば大人になったら楽ができる。今苦労していれば、楽しい未来が待っている。高校以降の進学の話になった時に、大人は今僕たちがやっていることを肯定してくれる。

 周りの皆は頷きながら、ただ黙々と勉強を続ける。


 帰りの道で、すれ違う大人を見ると思うのだ。

 どうして頑張ってきたであろう彼らが、そんな暗い顔をして帰宅をしているのだろうかと。

 彼らも先人たちの言う通りに勉学に励み、学生時代に苦労した人達であるはずなのに。どうして彼らは幸せな顔をするどころか、この世に絶望したかのような顔をしているのだろうか。


 はたして、このまま言われるがままに勉強をし続けてもいいのだろうか。

 そんな考えが、受験間近の高校三年生の時に生まれてしまった。

 その考えが正しいのか正しくないのか、子供の僕はまだ分からない。


 これは、そんな僕、藤井彩叶(ふじい あやと)が答えを得るまでの物語だ。


 ―――――


 今回先生から出された数学の課題が難しく、予定よりも時間がかかってしまっていた。

 日曜は午後から模試があり、昼食後にすぐ学校へと向かわなくてはならない。帰宅する頃には、夕食が完成しているはず。学校が始まる月曜日前に夜更かしするのは少し避けたいので、土曜日の夜に終わらせるしかない。

 深夜過ぎの時間まで課題をやるということで、お菓子やジュースが欲しくなったのでコンビニに向かうことにした。両親は二人とも家にいない。色々な場所に向かう必要のある仕事をしているため、家に帰ってくるのは二週間に一度か、運が良ければ二度。家族三人集まることなんて、一か月以上ないなんてある。

 家から出る時にお小遣いがもらえるので、それを上手く使っている。


 エナジードリンクを買って、好物のスルメを買って、住んでいるマンションまで戻る。


 課題が進まなかったり、夜何故か寝れなかったり、そんな夜を過ごす時はよくこういうことをする。だからマンションからコンビニまでの道のりは目を閉じていても歩ける、と思う。多分。そんな見慣れた道を歩くのは、意外と好きだったりする。イヤホンでお気に入りの曲を聞きながら、夜独特の空気を感じて歩いていく。この世界にはもしかして自分一人だけしか存在しないんじゃないか、なんて感覚を味わえるこの時間が好きだ。夜遅いから人もあまり往来しない。不審者だけには気をつけながら、僕はルンルン気分で帰路につく。



「おええええええええええええええええええええええええええええええ」



 いつも安全だったはずの世界が、突然何者かによって破壊される。


 あまりに衝撃的な光景に、僕は手に持っていたレジ袋を手から落としてしまう。

 健康的な生活を送り病原体に関する免疫をもっていれば、そうそう見ることのない吐瀉物を至近距離で魅せられてしまった。目の前にいるのは、電柱の根元に口から吐瀉物をまき散らす女性。足元にはよく父さんが飲んでいるビール缶と同じものが二、三個転がっている。俗にいう、酔っ払いという奴なのだろう。

 金髪と黒の上下ジャージ、自分よりちょっと背の高そうな女性。

 酔っ払いで、かつ、女性。普段酔っ払いの父さんしか見ないので、少しばかり新鮮な光景だ。

 ただそれ以上に、狂気的。


「おえええええ、ぶふぉ、えええええええ!!!」

「あぁ……」

「ぷっ……ああぎも゛ぢいぃ゛い…・・」

「……ああ」


 お酒を飲めているということは、未成年ではないのだろう。

 いや、もしかしたら、未成年なのに酒を飲んでいるのかもしれない。僕の父さんはお酒は好きだが、自分の許容量を把握している。父さん曰く、『酒飲んで酔っ払って吐いてしまう人は自己管理がなっていないか未成年』らしい。


「………ふう」

「あ、あの」

「うぅ……なにぃ」


 とりあえず声かけることにする。

 このまま見過ごすのも、気が引ける。


「ずみ゛ま゛ぜん……気持ち悪いもの見せてしまって」

「いえ、それは別に。大丈夫ですか、凄い声出てましたけど」

「あはは、はずかし~」

「な、なんか水でも買ってきましょうか?」

「え? いや、大丈夫大丈夫。どうせまだ酒飲むし」


 と言った直後、女性は近くに置いてあるレジ袋の中から別のビール缶を取り出して、早速飲み始めた。数秒呆然としているだけで、空き缶へと変わる。まさにマジック。僕の父さんですら、一缶飲むのに十数分はかかるのに。今自分は喜びの絶頂にいる、と言わんばかりの女性の笑顔は、僕がいつも見る誰かの笑顔とは違い、随分歪んでみえる。


「あひゃひゃひゃ! 飲まないとやってられないんだから、あと十本ぐらい一気飲みしようかなぁ~」

「いやそれはマジで危険なやつなんじゃないかと……」

「まじめかよぉ。危険な時になったら、その時考えればいいんだよ!」

「アルコールの事件はあまり笑えないんですけど」

「冗談ッ! 冗談ッ! 本気にすんなって!」

「そうですか……」


 女性は自分の太ももを叩きながら、げらげら笑い続けている。

 テレビのドラマでよく見る酔っ払いの図を、そのまま現実世界に持ってきたかのような。ああ、これが本物の酔っ払いなんだな、と高校生の僕は心に刻む。いつか役に立つ日がくるだろう。


「あっれ~、その辺に煙草おちてなーい? 確か青か水色のやぁつぅ」

「……探します」

「やさしぃ、おねえさんがきみにきすしてあげるぅ、むぅ」

「あ、いえ。吐いた後にそれは本気で止めてください」

「うおおい! 私の優しさが受け止められないのかぁ!」


 泣き真似する女性を他所に、スマホの証明をつけて煙草が落ちていないかを確認する。数メートル先にて、煙草が数本箱から零れているところを発見。女性に煙草が落ちている場所を指さすが、女性はレジ袋から取り出した焼き鳥を食べて僕の話を全く聞いていない。

 仕方なく、零れた煙草を箱に戻して、彼女の下へ持っていく。

 彼女は差し出した煙草をすぐに受け取り、早速取り出し火をつけた。


「え、ここ喫煙所じゃ……」

「路上だから喫煙所なんてあるわけないよぉ」

「じゃあ、喫煙しちゃ……」

「ばーれなきゃいいんだよ、ばれなきゃあ!」

「うわぁ……」

「ちょっと、引かないでよ! ぷふぁ」


 たまに町のどこかで匂ってくる、謎の正体に気づいた。

 臭いとは思わないが、不快ではある。女性から漂う、酔っ払いの匂いも加わり最悪だった。しかも、視界には吐瀉物がちらちら映る。これから勉強を頑張りたいというのに、なんて最悪な状況に巡り合ってしまったのか。今まで遭遇したことのなかった不運が、一括で今日に集約されてしまったような感じ。


「あ、じゃあ、無事に、家に帰れると、信じてるので」


 今日はパパっと適当に終わらせて、ささっと寝よう。


「まってまって! ちょっと話聞いてって!」

「その、服を引っ張るのやめてください……」

「うぅ……こうして助けてくれる人は久しぶりなんだよぉ」

「すみません。僕には時間がないんです」

「だいじょーぶ! 人間にはいくらでもじかんがよういされてるんだよぉ」

「呂律回ってない人の説得力なんてないですって……」


 この人には生死の概念が存在しないのか。


「ちょっとちょっと! 動けないから、ちょっと運んでいってよ!」

「とりあえず警察呼んだ方がいいんじゃないですか?」

「ダメだよ、つかまっちゃうじゃん」

「いや、そっちの方が確実だと思うんですよ僕は」

「おいおい! こんなに可愛くて綺麗なおねえさんが、お願い!って頼んでるんだぞぉ。おいうぉ~い、おねえさんないちゃうじょ~」

「本当に泣いてるし、涙を僕の服で拭かないでください!!!」


 女性を引き剥がしたら、負けじとまた服を掴んでくる。

 数度繰り返したら、服を掴むだけでなく、腰全体に抱き着いてくるようになった。女性の柔らかな身体が、特に胸の部分が、僕の身体の一部を柔らかに包み込む。

 通行人から見れば、男と女の痴話喧嘩に見えるのだろうか。

 夜遅くの少ない通行人からの視線が痛い。このままだと警察が何も連絡せずにやってくる可能性もある。


「すみません。とりあえず話を聞くので、距離を少し置きませんか……」

「嘘ついたら、私のゲロを飲ませるからね」

「本当に、距離を、置くだけですから」

「私の手の届く範囲から離れたら、一瞬で拘束してゲロを飲ませるから。こう見えて、中学校では柔道全国大会でベスト8だったんだからね。喉の奥から出ようとしてくるゲロだから、いつでも出せるんだからね。寝技決めて、マウストゥーマウスで、しっかり喉の奥まで流し込むからね」


 そこだけ流暢に話すの怖い。


「それで、僕はどうすればいいんですか?」

「とりあえず、私を休める場所に連れてって欲しいの~」

「あの、あなたの家に連れていくのは?」

「知らない男に家の場所知られるのはなぁ」

「知らない男に色々と恥ずかしい姿を見せているのもどうかと……」

「うるさい! 黙って聞きなさい!」

「あ、はい……」

「早く連れてってぇ! どこでもいいからぁ」

「……じゃあ、近くの公園のベンチでもいいですか?」

「そこはラブホテルだろ普通はよぉ!!」

「はあ……」

「うぅ……少しだけ乗り遅れただけなのに、ぐずっ」


 暗くて、街灯の明かりだけ、女性の顔がはっきりと見えない。

 だが、確かに分かる。

 目の前の女性は、泣いているのだ。


「え、本気で泣いてるんですか?」

「乙女の涙を疑うな! 乙女は嘘泣きなんかしないんだからね!」

「ご、ごめんなさい」

「謝るなら、さっさと私を連れてけ!!」

「とりあえず立ってくれませんか」

「ダメ! おんぶしてって!」

「いや注文多すぎ……」

「私男の人におんぶしてもらうの夢だったの! やってえ~」

「…………」

「うへへ~。そんな見下した目しないでぇ、こうふんずるぅ~」

「…………」


 僕はとりあえず彼女の周りに散乱しているゴミを落ちているレジ袋にまとめた。

 一番大きいサイズのレジ袋の中にはお酒やおつまみ用の焼き鳥やお菓子がいくつか見られたが、全部無視して袋の中へ。持ち手でしっかり封をして、自分のレジ袋を持っていた手で一つにまとめた。

 このまま女性を放置することもできない。

 断る勇気もないし、少しだけ付き合ってちょうどいい言い訳を探して家に帰ろう。


「はーい、おーんーぶー、えへへぇ」

「おもっ……」

「こりゃ、乙女に重いは禁句だぞぉ」

「よっこいせ、と」

「そういう間接的な言葉もだめぇ」


 女性の柔らかい体にドキドキしてしまうが、それ以上に酒と煙草の匂いで気分を害す。

 女性の顔が肩の上にあるというのに、気になるのは彼女の酒気を含んだ呼吸であった。


「あは~、快適快適~」


 近くの公園までは歩いて五分ぐらいだ。

 ちょっと重たいが、多分大丈夫。公園まで無理なく行けるはずだ。


「ちょとしつれい」

「いや、煙草吸うのやめてくださいよ」

「いいじゃんいいじゃーん。あまり揺らすと、髪燃やすよ~」

「ちょ、本当にやめてくださいよ!」

「大丈夫だって! 未成年でも煙草口に咥えないと逮捕されないからさぁ」

「副流煙という言葉を知ってください」

「あはは~、なんかのにほんしゅー? っ、ぷあー」

「ぐざい……」

「口呼吸しときなぁ~」

「ほんと自分勝手……」


 段々と疲れて足が遅くなり、最初はしっかり歩いていたが、徐々にフラフラと揺れを伴う歩きになってくる。背中の女性はそんなこと全く気にせず、煙草を吸いながら自分の話ばかりしてくる。

 彼女は、杉浦愛(すぎうら あい)と言うらしい。

 愛される人になって欲しいから、"愛"と呼ぶ。

 彼女は自分のことをそう紹介する。

 果たして人の背中で煙草を吸うような人が愛されるのかどうかは置いておく。

 現在24歳で大学中退、職を探しながらバイトをしているらしい。さっきはビールを飲んでいたが、毎日という訳ではないらしい。本当かどうかは知らない。


「バイト終わりで疲れてるからさぁ~。公園で二次会といこうぜー」

「僕も勉強で疲れているので、家に帰って睡眠をとりたいです」

「うるせええええ!! お前、学生か、あおはるかあああ!!」

「周り家もあるんで、黙っててください!」


 吸い終わった煙草を道端に吐き捨てて、杉浦さんは二本目を吸い始めた。公園までたった五分程度の道のりが、いつもより長く感じるのは気のせいではないはずだ。背中から香る煙草とお酒の匂いが本当に苦しくて、背中で感じる女性一人の重さが疲れた体に沁みる。

 なぜ僕はこんなことをやっているのだろう、と。


「わ~、到着だぁ」


 公園が視界に入ると、杉浦さんは僕の背中からするりと抜けて、僕から自分のレジ袋を取り上げて公園まで走り去っていった。


「……チャンスだ」


 今、問題の女性はこの場にいない。

 視界から消え去り、彼女から僕の姿は見えない。コンビニから公園までは僕の家からは逆方向ではあるが、ここから歩くのが面倒くさい程の遠さでもない。


「逃げよう」

「ほら、自動販売機でジュース買ってあげる!」


 逃げようとする僕の隣、公園の中を見ることができないぐらいの植木の上から、杉浦さんが植木に飛び乗ってこちら側に顔を出してくる。

 ホラー映画でも見たことのない衝撃的な光景に、今まで出したことのない絶叫をしてしまった。


「近所迷惑だよ?」

「いや、確かに、そうですけど……」

「ほら、おねえさんからの施しを受けなさい。公園の中に自販機あるからさー」

「…………」

「ほら、今なら一番高いやつ買ってもいいよ~」

「…………」

「いたっ、なんか枝が食い込んでる!」

「とりあえず元に戻すんで、待っていてください」


 どれだけお人好しか。

 公園の中に急いで入り、杉浦さんを植木の上から救出した。その後お金を受け取り、自動販売機で一番高いエナジードリンクを買い、杉浦さんがお酒を飲んでいるベンチの横に座った。


「二次会、いえーい!」

「うす」

「いえーい!!」

「い、いえーい」

「かんぱーい!」

「かんぱい」


 エナドリとお酒の缶がいい音を鳴らす。


「そういえば、君の名前はー」

藤井彩叶(ふじい あやと)です」

「へー、なんか優等生っぽいけど、やっぱ賢いのー」

「いえ、全然」

「高校生? どこ高校?」

「すぐそこにある、北浦沢高校という……」

「すごッ! この辺で一番賢い高校じゃーん、進学校でしょー?」

「いやまあ別にその中で一番というわけではないんで……」

「一番じゃなくても、入るだけで凄いってー、あ、スルメあるじゃーん! もらいー」

「それ僕の……」

「飲み物買ってあげたじゃーん! いいじゃんいいじゃーん」

「……はい」


 僕のレジ袋からスルメを取り出して、早速開封して鷲掴みで口の中に放り込む。

 今まで女性と付き合っていなくて、僕の中に現実的な女性像というものが確立しているわけではない。だが、今目の前でスルメを食べながらビールを口の中に注ぐ女性を、僕の頭の中に刻みたくない。現実の女性全てが、こんな感じだなんて、僕は、思いたくないのだ。


「あの、これ、いつ帰れるんですか?」


 頭の中に刻まれる前に、即刻帰宅したい。


「だめだぞー、純真無垢な綺麗で可愛いお姉さんを一人で置いていっちゃだめだよぉ」

「置いて帰るつもりはないんですけど、二次会の終了時間を聞いてるんです」

「やっぱ朝帰りじゃない!?」

「明日、僕、模試、なんです」

「休めばいいじゃーん、模試なんてさー、金さえ払えばどこでもいつでも受けられるんだろぉ~」

「暴論ですって……」

「普通の高校生活じゃ、年上のお姉さんとお酒を飲むなんて普通体験できないんだからさー、お釣りがくるぐらいだろー。ほらほらー、私が酒飲み終えるまでは付き合ってほしいなぁー」


 飲み終わっているビールの缶で、僕の頭を数度小突いてきた。


「そんなに模試、というかテストに真剣になんないといけないの?」

「僕受験生なんで、勉強しないと」

「マジか、やべー。高校三年生の夏かー、たのしそー」

「別に楽しくはないですけど……」

「高校生なんて、人生で三年間しかないんだぞォ。思い出作り頑張れよー」

「いやだからあと半年で高校卒業……」

「ほらぁ、お姉さんが思い出聞いてあげるからさ、お酒のつまみにしてあげる。私の時は修学旅行でさー、えー、ほらー、あのー、ねー。なんだっけー、忘れちゃったー」

「頑張れなんて言ってたのに、説得力ないですよそれ……」

「あとほらあれ、ぶ、ぶぶ……文化の祭り?」

「文化祭っすね、なんですかそれ」

「あとは、体育の祭りだァ!!!」

「どっかの民族みたいな感じですけど、正しくは体育祭です」

「そして最後は、卒業の祭りか~」

「いやそこは、式、です。騒がしいものじゃないです」

「彩叶くんの、将来お酒の席で声高らかに自慢しながら、周りからの称賛に酔いしれて承認欲求を上げるあの馬鹿共と同じような、アオハルエピソード聞きたいなああ」

「何かあったんですか……」

「面白くもない自慢話なんてさー、誰も聞かないんだよなぁ。聞きたいのは未来の話なのに、どんな話題からも自分の過去に繋げることのできるの凄いと思うんだよね!!!」

「言葉から憎しみを強く感じます……」

「うぅ……私に癒しを献上してください」

「……急に泣かないでくださいよ」


 高校三年間、思い出はあるけど、他人に言えるような思い出かと言われると微妙。

 クラスメートとの仲は悪くないし、文化祭も体育祭も程よい感じに参加もできた。放課後は課外授業があることもあったが、教室に残って遊んだこともある。ちょっと仲の良い人達とも、カラオケやボーリングにいったりしたこともある。

 思いだせば、頭の中には高校三年間を思い描くイメージが溢れ出てくるのだが。


「特に話して面白い話もないですよ」

「……それは単純に彩叶君が話下手なんじゃないの」

「も、もちろんそれもあるかもしれませんが」

「ごめん、ごめんって。冗談、じょーだん!」

「いやでも、ほんとに話せる思い出なんてないですって」

「えー、しょうもない話でもいいんだって」

「そういわれても……」

「まあ、気持ちは理解できなくはないけどさー。あ、ビール無くなった」

「もうお開きですか?」

「酔いが醒めるまでは一緒にいてほしいなぁ」


 その言葉、別の状況で聞けたら嬉しい言葉なんだけどな。


「でもさ、そんな自慢話できる力ないと将来苦労するぞ~」

「承認欲求を高める力ってことですか?」

「ぷっ。あははは! 彩叶君って、そんな冗談を年上にもできる人なんだね~」

「どうせ明日には覚えてないでしょうし」

「それせいかーい!!」


 足をばたつかせながら、ケタケタ笑う。


「なんか浮かない顔してるねー」

「いや……」

「バカな私は人の心が読めないので、しっかり口にしてくださいねー」

「帰っていいですか?」

「次それ言ったら、三次会だからね」


 急に真剣な表情と声出すのはダメだと思うのだ。


「……話せる思い出がないって、本当にやばいですかね」

「ん?」

「その、将来後悔するっていう、さっきの」

「ああ、その話ー。お酒なくなったから、もうそろそろ話す元気もなくなってきたー」

「……じゃあ、帰ってもいいじゃないですか」

「え、なに? なんか言った?」


 話題が右往左往し続けて、僕の質問は軽くいなされ、杉浦さんの質問には半ば強制的に応えさせられる。そんな強制質疑応答タイムは十分ほど続いた。その後、僕のことに興味を無くしたのか、彼女のバイトの愚痴を聞かされる羽目になる。


「まじうざいんだよ! お客様は神様だってよく言うけどさ、あんなの神様以下だよ! なんであんな奴たちが生きてんのか意味不明だね!」

「ははは」

「もっと彩叶君みたいな人が世の中に溢れたら、もっと輝かしい世界になると思うんだ!」

「そうですか」

「だから頑張って! 今のこの世の中を君に変えてほしい!」

「ははは」

「ねえ!! 適当に応えないでよぉー!」


 公園の時計を見れば、時刻は一時を過ぎたころ。


「暑いわー! 世の中全員暑さでくたばっちまえ!」


 杉浦さんの奇行も、最初の頃よりも落ち着いた気もする。

 少しだけ嗚咽を催していた時もあった。


「ん~、そろそろお開きの時間かぁ」

「で、ですね!」

「明日もバイトかぁ、ミスした次のシフト憂鬱だぁ」

「バイトあるのにお酒飲んでたんですか……」

「お酒がないとやっていけないんだい!!!」


 顔を上に向けて缶ビールをぶんぶん振り回して、最後の一滴まで絞り出した。


「ねえねえ、この出会いを祝して連絡先を交換しよう!」

「え?」

「LIMEやってるんでしょ? 交換したら、次会う時楽でしょ~」

「え、僕また会わないといけないんですか?」

「ガチトーンで言われると、へこんじゃうー。ねね、お願い! 迷惑かけないように努力するからさー」

「……本当にですか?」

「私友達少ないからさー、毎日メッセージが飛んでくるなんてこともないし! 彩叶君がいてくれたら、私の人生もっと輝くと思うんだァ」

「はあ……」

「はい! このQRコードを読み取って! ほらほらほらほらぁ!!!」

「ちょ、ポケットに手を突っ込むのやめてくださいよ!!!」


 ポケットに入っていたスマホを杉浦さんに取り上げられ、無理矢理ロックを解除させられ、無理矢理QRコードを読み取らされた。新しく友達登録されたのは、どこかのお寺を写した写真がプロフィール画像に登録されている杉浦さん。

 僕は、彼女とプロフィール画像を数度見比べる。


「え、なんか全然違うじゃないですか」

「なにそれどーゆーいみよ」

「いや、キラキラした感じだったのに、意外と硬派なのかなと」

「色々な人と交換してるから、変な画像にされると変なイメージもたれるじゃん。無難な画像にするのが一番いいんだよ。というか、彩叶君もどっかの風景の写真じゃん。同じ、同じ」

「デフォルトのやつ、選んだだけですから」

「それはそれで味なさすぎウケる」

「……できれば、というか絶対、常識的な時間にメッセージ送ってくださいね」

「深夜の一番寂しくなる時間帯にメッセージ送ろうと思ってたのに!?」

「僕一応高校生で受験生で、夜はしっかり寝たいんですよ。本来なら、こんな時間に公園いたら補導されちゃうんですから。今回は運よく警察とは遭遇してないですけど」


 しかもお酒を、僕ではないが、飲んでいる場面。

 多分、というか、絶対疑われる。


「じゃ、帰りますね!」

「ちょいちょいちょーい! ちょっと待ってくれい!」


 ベンチから立ち上がる僕の腰をガシッと掴み、僕の足止めのために踏ん張る杉浦さん。


「もう一時を過ぎているんです! 明日午後から用事あるんで、帰らせてくださいよ!」

「最後、最後だからさ! 私がいつもやってること、一緒にやってほしい!」

「法律に触れることはできません!」

「そんなことを未来ある若人にさせるわけないじゃん! お願い、一生のお願い! これやってくれたら、本当にお開きにするからさ!」

「本当ですか……」

「本当に、本当! 見て、この私の純粋な目を」


 キラキラ、と口にしながら、特に何も感じない瞳を僕に見せつけてくる。

 ため息一つ。僕は何度目か分からない、彼女の一生のお願いを聞くことにする。


「それじゃあ、コンビニに行こうか!」

「すみません、三次会には付き合いません! 今までありがとうございました!」

「お酒は買わないから! 本当に、ほんと!」


 どうやらお酒を買いに行くためではないらしい。

 よろよろと歩く杉浦さんのお世話をしながら、少し離れたコンビニに戻る。コンビニ店員は、また来たのか、という視線を僕達に向けてくる。僕というより、杉浦さんに向けてだ。さっきここで何かを買っていたみたいだが、その時失礼なことをしてしまったのだろうか。保護者でもないのに、なんだか申し訳ない。


「これこれ。これがないとさ~、生きていけないんだよねぇ」

「これって……アイスですか?」

「そうそう。これが今の私達に必要なものなんだよぉ~」

「これが、ですか?」


 ただのアイス。

 高価なアイスでもなく、なんならこのアイス売り場で一番価格が安いやつ。


「君の分も買ってあげるから、私の奢りでさ!」

「あ、ありがとうございます……?」

「ふふ、いいっていいって!」


 会計を済ませて、僕たちはコンビニを後にする。

 杉浦さんからアイスを受け取り、僕らは同時にアイスの封を切る。春夏秋冬、アイスはいつでもおいしいもの。このアイスは杉浦さんの優しさなのかもしれない。


「ちょ、何食べようとしてんのさ」


 アイスを食べようとしたその時、彼女から呼び止められる。


「アイスって食べるものですよね?」

「一般的にはそうかもね」

「……確かに杉浦さんは一般的じゃないかもしれないですが」

「ちょっと、それ失言だよ? まあ、いいけど。とりあえず、周りには誰もいないことを確認しようか」

「え?」

「通行人もなし、車道に車の影無し。人の気配も全くなし。うんうん。この時間帯は本当に静かで、いい空間になるね、この町は」

「え、え?」

「じゃあ、今から私がやるのを見ててね」


 そういうと杉浦さんは、手に持っていたアイスを振りかぶって、車道に向けて力強く叩きつける。

 人気のない静かな空間に、ぺしゃっと聞いたことのない音が木霊する。


「ちょ、ちょちょちょちょちょ! 何やってるんですか!?」

「あははは! やっぱ気持ちいいなぁ、これ!」


 焦る僕とは対照的に、ケタケタと笑う杉浦さん。


「え、ええ!? すみません、理解が追い付きません」

「みたまんまじゃーん。アイスをただ道路に投げただけだって~」

「いや、見たまんまでも意味分からないです」

「ほら、次は彩叶くんの番だよ。ほらほら」

「いや、やらないですって!」

「え、なんで?」

「なんで、と言われても……」


 アイスを道路に叩きつけるなんて、そんな非常識的なことできるわけないだろうに。

 なぜ杉浦さんはそんなことを平気にして、楽しんでいるのだろうか。


「そんなことして、意味なんてあるんですか?」

「意味? ないよ、ないない。こんなことに意味があるんなら、神様怒っちゃうよ~」

「意味ないことなんて、やったって……」

「えー、勉強なんてやってるのに、アイス投げるだけのことできないなんておかしいって」

「勉強は必要なことだからやってるだけで」

「それは勉強をやって初めて気づくもの。これも、初めてやってみたら意味に気付けるもんなんだよ」

「……そういうものなんですか?」

「多分ね~」


 へらへら笑う。

 こんな非常識的なことをやるなんて、彼女の考えていることは理解できない。


「ほら。今なら誰にも見られてないんだからさ。ささっとやっちゃお~」

「…………」

「も~。じゃあ、私と一緒に投げようか」

「へ?」


 杉浦さんは僕の背後に回り込み、僕のアイスを持っている右手を掴み、強制的に僕の身体をアイスを投げる形に持っていく。


「一緒にやれば、罪も半減。罪悪感も、私も一緒に背負うからさ」

「いいこと言ってるつも……わ!」

「そりゃ!」


 会話が続くこともなく、杉浦さんは僕の身体を無理矢理動かして、僕は結局アイスを道路に投げる羽目になった。さっきと同じように、静かな空間にアイスが砕け散る音が響き渡る。アイスは少しの欠片を残して、反対車線まで滑りながら消えていく。

 やってしまった。

 今まで約束事を破ったこともない僕の人生に、今初めて泥を塗られる。


「ほら、逃げるよ!」

「ちょ!」


 頭がぐちゃぐちゃで思考が回らない僕を引っ張って、杉浦さんはさっきの公園までの道のりを走る。


「うわあ! 待って、本当に気持ち悪い、ぷはは!」

「ひ、非常識なことをしてしまった……」

「ほら、一緒にやったんだし、なんなら私が無理矢理させたんだから、君に罪ないから!」

「そういうことじゃないんです……」


 公園に辿り着くよりも前に、杉浦さんの限界が来て、僕たちは地面に隣同士で座り込んだ。


「で、どうだった?」

「……やってしまった感が」

「第三者から見れば、おかしいことやってるからね~」

「どうしてこんなことやってるんですか……」

「うーん。ちょっとした復讐、みたいな?」

「…………」

「いつか彩叶君も病みつきになるよ~」

「それは、断言ですか?」

「うん、断言だよ~」


 杉浦さんは、出会ってから今までで一番綺麗な表情をこちらに向けてきた。

 何かを察しているような、まるで子供を見るかのような。


「さて、私はこれで帰るね~」

「ようやく、ですか」

「さっきの付き合いで終わりって約束したしね~。連絡先も貰ったんだから、またいつでも会えるし」

「はあ……」

「会いたくないって表情してんね~」

「気が向けば、です」

「そうだね、気が向けば、だね」

「一人で帰れるんですか?」

「いくら酔ってて記憶を無くしても、必ず自分の部屋のベッドにいるから無事帰れてると思う。その優しさだけ受け取っておくね、ありがとう」

「……なんか、優しいですね」

「ちょっと酔い覚めちゃったし、何より私年上だからさ。それじゃ、また連絡するから」

「あ、はい……」

「ばいばーい! 既読無視も未読無視もやめてね~」

「善処します」


 そして僕たちはお互い背を向けて、帰路に就いた。


「散々だった……」


 今までにないぐらい、深いため息がでた。

 眠いし、なんかドッと疲れてるし、色々なことが少ない時間で起こりすぎて頭も痛かった。


「変な人だった……」


 初めて会う、狂気的な女の人を目の当たりにした。

 最後に二人で、道路にアイスを投げつけたことを思い出す。

 あんな非常識的なことを、強制されたとは言え、やってしまったこと。彼女は罪悪感を感じなくてもいいとは言っていたが、そんな割り切れるような性格をしていない。

 複雑な感情が渦巻いてる中で、ちょっとだけ、こう思う自分もいる。


 少しだけ、スカッとした、と。


 そんな理解できない感情をなぜ抱いたのかを、僕はまだ理解できないでいる。

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