69話 レイジー・グレイス
「レイディ学長! 早く!」
「ダメだ! 生徒を置いて私が逃げるわけにはいかない」
他の教師たちが逃げていく中でレイディ学長だけが強情にもその場に居座ろうとする。
そんなレイディ学長をカリンが逃げるように説得する。
「レイディ学長。私なら大丈夫ですので」
「何が大丈夫だ! カリンですら勝てない相手に生徒を戦わせられるか! 命を放り出すのは私だけで十分だ!」
レイディ学長は俺が命を以て皆を逃がそうと思っているのだろう。それもそうか。俺は選考試合で優勝したとはいえ、流石にカリンよりも強いとは思わないよな。
カリンやライカ、リア様の反応が珍しいのだ。
「レイディ学長、すみません」
カリンが残ろうとする学長の体を背負い、俺の方を向く。
「クロノ、気を付けて」
「ああ」
そしてそのままカリンは走りだす。
「君だけは逃がさないよ、勇者」
少年がカリンたちに向かってスロウをかけるべく腕を伸ばしたのを俺が前に立って防ぐ。
「だから、お前の相手は俺だって言ってるだろうが」
「さっきからいったいなんなんだよ、君は。魔王の能力も平気で消すし」
少年は段々といら立ちを見せる。
俺はそれを無視して後ろを振り返る。もう誰も居ないな。
「人に聞く前にまずお前から名乗れよ」
「……一々癇に障る奴だな。良いよ、名乗ってやる。僕の名前はレイジー・グレイス。魔神教団の枢機卿であり、怠惰の魔王の子だよ」
魔王の子? どういうことだ? どう見てもレイジーは人間なんだが。
「ああ、魔王の子っていうのはそのままの意味じゃないよ? 教祖様から魔王の力を与えられた者のことをいうんだ……さあ、僕は名乗ったんだから君も名乗ってよ。ただでさえ勇者を逃がされてイライラしてるんだからさ」
「俺はクロノだ。リア様の付き人さ」
「それだけ?」
「ああ、それだけだ」
黒の執行者であることは敢えて隠す。
「……はぁ、一々腹を立てるのにも面倒になってきたよ」
「自分のことを説明するときは全然面倒くさそうじゃなかったのにな」
「煽ったって無駄だよ。僕は面倒になったら全てがどうでもよくなるんだ」
能力の高まりに水色の髪の毛がたなびく。
「もういいや。ここら辺一帯を吹き飛ばしてしまえば面倒ごとはなくなる」
レイジーの周りに空気の渦が発生する。
「怠惰の魔王の能力、ペースメイカーは『物のペースを自由自在に操る能力』だ。こうやって回転力を発生させることで風の渦を作り出せる。そして、これに更に強力な『クイック』をかければどうなると思う?」
「そんなことを俺が許さない」
レイジーの手元から放たれる前に破壊するべく、近くまで詰め寄る。
「無駄だよ」
レイジーの周りに次から次へと風の渦が作り出される。一度にこの量の竜巻を消すことは俺にでもできない。
「クイック」
俺と竜巻との距離が僅か数メートルといったところでレイジーが静かにそう告げる。
その瞬間、暴発的に加速された無数の竜巻がやがて大きな風の渦となり、辺りに散らばっていく。
「屋敷はたしかあっちだったかな?」
「くそ!」
屋敷がある方向へ凄まじい速さで進行する風の渦を必死で追いかける。
腕に渾身の破壊の力が籠った黒い鎧を纏い、一気に放つ。
「ブレイク!!」
空気を伝う破壊の力はやがて屋敷へと迫る風の渦に衝突し、消滅させることに成功する。
ほっと一息をついた俺のすぐ後ろからそっと声が聞こえる。
「集中しすぎちゃったみたいだね」
気が付くとすぐ後ろまでレイジーが接近しており、次の瞬間には背中にこれまで以上の衝撃を受け、俺の体はそのまま地面と水平を保ったまま、吹き飛ばされていく。
「ほらほら、まだまだ沢山あるからね?」
大木を2本くらいへし折り、ようやく勢いが収まった俺のもとにあの荒々しいほどの風の渦が襲い掛かってくる。
くそ、へまをこいたな。まさか魔王でもない者がこれほどまでの膂力を持っているとは思いもしなかった。最早あの時の魔王と同じくらいかそれ以上と言っても過言ではない。
俺はゆっくりと体を起こし、自身に迫りくる無数の風の渦を見上げる。
「……ふうん、やるね。まだ立てるんだ」
風の音で何を言っているかは聞こえない。伝わってくるのはあの時の怠惰の魔王の力。
「クロノ!」
ぼんやりと眺めていると、不意に聞きなれた声が聞こえると共に光り輝く鎧が視界に現れる。
「ぼーっとしてないでシャキッとしなさい。あなたは私の付き人なんだから」
「リア様!?」
目の前に現れたのは俺が尊敬するご主人様、リア様であった。