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さようなら、お姉様。

作者: 九条 碧

 まぁ、お姉様。わたくしにお話とは何でしょう。

 そんなに思い詰めた顔をしてらっしゃるなんて、お珍しい。一体どうなさったのかしら。


 え? 本当にこのままで良いのかですって?

 こんな結婚は可哀想と、わたくしを想って嘆いて下さるの?

 ……そうですわね。

 親ほど年の離れた辺境伯様の、それも後妻として嫁ぎ。王都から随分と離れた、知り合いも居ない土地で暮らす。

 年頃の娘であれば、辛く悲しいと思う点ばかりかもしれませんわ。



 ――けれど、それをわたくしに言って、お姉様はどうなさりたいのです?



 あら。キョトンとなさって、不思議そうなお顔ですこと。

 いいえ、本当に不思議なのでしょうね。わたくしが何故そんな事をお聞きしたのか。


 ねぇ、お姉様。わたくし達は二人きりの姉妹ですわ。

 お姉様は長女、わたくしは次女。他に子供も居ないのですから、お姉様は婿を取って家の後継ぎとなる事が、昔から決められておりました。

 そして、わたくしは他家へと嫁ぐ事も。


 我が家は公爵家ですので、お相手の家格もおのずと限られますし、派閥の兼ね合いもございます。

 お姉様が宰相閣下の次男様とご婚約を結ばれた時から、わたくしの嫁ぎ先も候補が大分絞られたようですが、辺境伯様へと嫁ぐ事で軍部との繋がりを強化するのが最善となったのです。

 これで王弟派を抑え込み、陛下の治世がより安定するとのお考えであると、お父様からも説明がありましたもの。

 つまり、わたくしの結婚は限りなく王命に近いものですのよ。お姉様も、その事はご存じの筈ですわね?


 陛下にも承認され、国政の一環としてみなされ、招待客の中には国外からの賓客も含まれた、結婚式の当日に。

 よもや拒否も覆す事も出来ないと分かり切っている、この時に。

 当事者であるわたくしに、このままで良いのかと問うた所で……何か変わる事などありますかしら?


 ねぇ、お姉様。

 今のわたくしには、辺境伯様へ嫁ぐ以外の道はございません。それ以外の道を選ぶ事など許されておりません。

 そんなわたくしに、一体どのような答えを望まれてましたの?

 不本意だと、理不尽だと、一緒に嘆き悲しむと思っていらしたの?

 けれど、結局どうにもならないのですから、それは――絶望をより強く認識させるだけでしか、ないのではないかしら?




 まぁ、お姉様。落ち着いて下さいませ。

 ええ。ええ。そんなつもりは無かったのでしょう? わたくしは、ちゃんと分かっております。

 ですが、あまり大きな声を出すと、外に下がらせた者達が様子を見に来てしまいますわ。

 どうぞ椅子にでもお掛けになって。お茶もお菓子もございますのよ。少しは気分も良くなるのではないかしら。


 ああ、申し訳ございません。お姉様がお気に入りの、ジャムのクッキーは用意させておりませんの。わたくし、木の実のクッキーがあれば十分だったものですから。

 あら。また不思議そうなお顔になりましたわね。わたくしが、このクッキーを食べるのがそんなに意外でしたかしら。

 でも、わたくしからすれば、お姉様がそう思う事の方がとても不思議ですのよ……昔から。


 お姉様もわたくしも小さな頃からクッキーが好きでしたから、料理人もよく作ってくれましたわ。お姉様はジャムのクッキーが特にお好きでしたわね。

 けれど、わたくしは甘すぎるので少し苦手でしたの。それよりも木の実のクッキーの方が程良い甘さと香ばしさで、確かに見た目は素朴ですがジャムのクッキーよりも余程好んでおりましたわ。


 どうしてお姉様はそんなに驚かれるのかしら。わたくし、いつも言っておりましたのに。木の実のクッキーの方が好きなのです、と。

 思い出して下さいました? わたくし、何度もそう申し上げていたでしょう?

 そしてお姉様はその度に「遠慮なんてしなくて良いのよ。ジャムの方が甘くて可愛らしいもの。本当はこちらが食べたいのでしょう?」とわたくしのお皿と交換なさっていましたわね。

 わたくしは木の実の方が食べたいのですと言っても「そんな我慢は必要無いわ。わたくしが代わりに食べてあげるから、貴女は好きなものを気にせずお食べなさい」と笑っておりましたわね。

 それでも違うと尚も訴えれば、困ったように、まるで我儘を宥めるように、わたくしの頭を撫でますの。



『強情な子ねぇ。わたくしは貴女が喜んでくれれば、それで十分なのよ? だって姉ですもの。妹のためならクッキーくらい幾らでも譲ってあげるわ』



 そんなお姉様に、何て妹思いの優しい子だろうと周りは感心してらしたわ。そして、わたくしには意地っ張りで姉の優しさを素直に受け取らない子だという目を向けますの。


 ――その内、わたくしもジャムのクッキーが好きだと思われて、料理人達もジャムのクッキーばかり作ってくれるようになりましたわね。たまに出てくる木の実のクッキーも、結局お姉様がいつも同じように取り替えなさるから、滅多に食べられなくなってしまいました。

 今日は久々に、本当に何年ぶりかで味わえて、わたくしとても嬉しいですわ。




 まぁ、お姉様。そのように悲しげな顔をなさらないで。

 わたくしは、ご心配を頂かなくとも大丈夫、という事をお伝えしたかっただけですのよ。

 ええ。無理なんて全くしておりませんわ。こんなに素敵なドレスまで着られましたし。


 ふふ、如何でしょう。似合っておりますか? いつもとは雰囲気が随分と違いますものね?

 ……でもわたくし、ずっと前からこういったドレスが着たかったのです。


 煌めいて波打つ白金の髪。朝焼けのような薔薇色の瞳。

 華やかでお美しいお姉様は、たっぷりのフリルもリボンも、淡い色の生地も、大きく膨らませた袖もスカートも、大変よくお似合いですわ。

 舞踏会では皆、お姉様に目を奪われておりました。殿方は誰もが我先にと、お姉様へダンスの手を差し伸べましたものね。


 けれど、真っ直ぐで重苦しい黒色の髪に、星の無い夜空のような暗い紺色の瞳のわたくしには、お姉様のようなドレスはひどく浮いてましたわ。

 あら。お姉様ったら、そんなにお怒りになられて。このような言葉、わたくしはもう聞き飽きている位ですのに。

 姉に見劣りするばかりの、地味で影の薄い妹だと。嘲笑いながら、もしくは気の毒そうに、社交界に出てから数えきれないほど言われ続けているんですもの。


 ええ、ええ。お姉様はそんな話を耳にする度に、いつもわたくしを庇って下さいましたわね。

 自慢の可愛い妹なのだと。妹とお揃いのドレスを着られて嬉しいのだと。

 ――ですが、同じ家に生まれ、そう年も離れていない姉妹が、色違いなだけで殆ど同じようなドレスを着ていれば、誰だって多少は見比べてしまうものではございません?

 わたくし、その点に関しては周りの方々をあまり責められないと思いますの。わざわざ口に出さない程度の良識は、持って頂きたかったですけれど。



 ねぇ、お姉様。お姉様は、三代前の王妃様はお分かりになりますかしら。

 そう。賢妃と名高かった方ですわね。

 まだ子供の頃、お父様が王宮に連れて行って下さった際に、わたくし肖像の間で絵姿を拝見した事がありますの。

 わたくしと同じ黒髪で、凛としたドレス姿がとても素敵で……幼心に憧れを抱きましたわ。烏滸がましいですが、わたくしもいつか、あの方のようになりたいと。


 ですから、わたくしはデビュタントのドレスを、その絵姿のものに少しでも似せて貰おうと思いましたの。

 そうすれば、憧れの方に僅かでも近付けられるのではないかしら、って。

 これから社交界で頑張っていくための自信に、心の支えになってくれる筈よ、って。


 流行の型と随分違いましたから、お母様も最初はあまり良い顔をなさらなかったわ。それでも、伝統的な意匠だからと最後はお許し下さったの。

 わたくし、自分の夢見たドレスを着られる日が、本当に、本当に楽しみでした。完成したドレスを着た姿を思い浮かべては、期待と喜びで胸がはち切れそうでしたわ。



 デビュタントの日に――全く別物になったドレスを目にするまでは。



 膨らみを抑えて、優美に寄せたドレープも。

 沢山のフリルではなく、幾重にも重ねられたレースも。

 控えめに、けれど繊細な上品さを添えてくれる古典柄の刺繍も。


 何一つとして使われていない、フリルとリボンと宝石で可愛らしく飾られた、流行のドレスだけがありました。

 呆然と立ち尽くしていたわたくしに、様子を見に来たお姉様は、嬉しそうな、誇らしそうな笑みを浮かべられましたわね。



『うふふ、驚いたかしら。わたくしが王都で一番人気のドレスを用意してあげたのよ』



 折角の記念すべきデビュタントですもの。わたくしからのお祝いよ。こっそり内緒で準備しておいたの。

 そう言って、お姉様はわたくしを抱きしめたのですわ。

「まぁっ! 泣いてしまうほど感激してくれるなんて! 本当に良かったわ!」

 そんなお姉様の声が聞こえたのか、部屋へ来たお母様もホッとしたような顔で満足げに頷かれました。


「やはり公爵家としては、流行を押さえておいた方が良いわね。これなら、いたずらに恥をかく事も無いでしょう。貴女もお姉様に感謝なさい」

「お母様ったら、わたくしは別に感謝して欲しかった訳ではないのよ。ただ、あんな堅苦しいドレスでのデビュタントのお披露目は、この子が可哀相だと思っただけですわ」


 楽しそうに話すお二人へ、わたくしに何が言えたでしょう。もし何か言ったところで、ドレスを一から作り直す事など出来ないのですから、無意味でしかありませんのに。

 そして、お母様の様子を見て嫌でも察しましたわ。もう、わたくしの望むドレスを作って貰える事は無いのだろうと。

 ……生涯でただ一度きりの日の夢を失って、それでも諦めずに頑張るには、わたくし疲れ果ててしまいましたの。



 それからは、いつもお姉様がわたくしの分もドレスを注文するようになりましたわね。

 お揃いにまでしなくても構わないとわたくしが幾度となくお伝えしても「可愛くしてあげるから大丈夫よ。お揃いにすれば皆わたくしの妹だと分かってくれるもの、貴女もその方が安心出来るでしょう?」と仰って。


 もっと堂々としていれば良いのに。少しは社交を楽しまなくては勿体無いわ。人脈を作る事も大切なのよ。


 舞踏会や茶会に出る度に、お姉様はわたくしをそう諭しましたわ。

 お母様だけでなく、お父様もその通りだとお姉様を褒めてらしたわね。ドレス選びにも社交にも全く熱心にならず、壁の花になってばかりだったわたくしを呆れながら。




 まぁ、お姉様。もうお茶は宜しいの?

 でも、そうですわね。そろそろお父様達が心配なさってるでしょうし、お戻りになった方が良いですわ。お父様もお母様も、お姉様の事を、誰よりも大事に思ってらっしゃるんですもの。

 わたくしが一番、それを分かっておりますわ。


 そうそう。わたくし、式が終わればそのまま辺境伯様――旦那様と一緒に領地へ発ちますの。

 あら、急なんて事はありませんでしてよ。だって、まだ隣国の情勢が不穏なんですもの。国防の要を担う領主の不在は、出来る限り短くするべきではございませんか。

 そして、旦那様だけ先に向かわせて、妻となるわたくしがのんびりと領地に入るだなんて真似は出来ませんわ。共に領地を守るという姿勢を見せなければ、領民も家人達もわたくしを受け入れようとは思えないでしょう?



 ですが、どうぞご安心なさって。実はわたくし、少し楽しみな位なんですの。

 あら。お姉様ったら「どうして?」と顔に書いてあるようですわよ。

 そうですわね、わたくしがこの結婚を悲しみに暮れながら受け入れたと、お姉様はお考えだったんですものね。困惑なさるのも無理はありませんわ。

 

 ……辺境伯様は、結婚式のドレスをわたくしの好きなようにして良いと仰いましたの。それに、お菓子も好きなように手配させて下さいました。

 勿論、度を越さない範囲だったから許されたのでしょうし、わたくしの気持ちを尊重して自由にさせて貰えたのではなく、単に無関心なだけかもしれません。政略結婚の相手なんて、その程度の扱いでもおかしくありませんものね。


 ですが、わたくしは自分の意見を、感情を、決め付けられたり無かった事にされなかっただけで、嬉しくて仕方がありませんでしたのよ。

 貴女のため、という言葉で全てを否定されない事が。望まぬ姿を一方的に仕立て上げられない事が。嗚呼、どれ程わたくしの心に安らぎを与えて下さったか。

 何だか漸く息が出来たような、わたくしがわたくしとして生きている事を実感出来たような気がしましたわ。



 ねぇ、お姉様。

 お姉様は確かにわたくしを大切にして下さいました。わたくし、それを疑った事はございません。

 けれど、その優しさは――『お姉様の中で作り上げられたわたくし』に対して、向けられたものだったのではありませんか?

 『妹』という枠に当て嵌めた虚像しか、お姉様の目には映っていらっしゃらなかったのではありませんか?



 お姉様は、本当にわたくしを……わたくし自身を、ちゃんとご覧になった上で、愛して下さっていましたか?




 まぁ、お姉様。そんなに涙をお流しになって。皆様が驚かれてしまうわ。

 いいえ、きっと大丈夫ですわね。どなたも、こう仰るに違いありませんもの。


『妹の結婚に感激して泣いてしまうなんて、実に素晴らしく優しい姉君だ』


 ねぇ、そうでしょう?

 お姉様は妹思いだと、いつだって評判でしたものね?



 ああ、式の準備が整ったようですわ。

 さぁ参りましょう、お姉様。この扉を出て、互いに別の道を歩みましょう。


 辺境伯様の治める領地までは、馬車でも五日ほどは掛かります。わたくしが王都へ顔を出す機会も、今後は随分と減る事になりますわ。

 お姉様のお側から遠く離れた地であればこそ、わたくしは自分を認めて頂けるように、また頑張れそうな気が致しますの。お姉様と比べられる事の無い、わたくしという、一人の人間として生きてゆけるように。



 ですから、もうお姉様も――……()()()()()は、お止めになって下さいませね。






 さようなら、お姉様。

姉は良くも悪くも裏表の無い性格で、妹に対しても完全に善意で行動してました。

ただし、その善意はどこまでも自分基準でしか無く、相手の気持ちをちゃんと理解しようともしていない一方的な押し付けであり、ともすれば余計なお世話にもなったというお話です。


わざと遠回しの嫌がらせをしていたとかではなく、むしろ本人に全く悪意が無いからこそ、責める事も出来ないし周りも姉の味方ばかり増えるため、妹は長年苦しんで性格がちょっと捻くれました。まぁ無理もない。

ちなみに側から見れば妹思いの姉として違和感の無い言動なので、両親も特に問題があるとは思ってません。あと姉の方が出来の良い子なので無意識に優先しがち。


妹は辺境で頑張りながら、のびのび幸せに暮らします。めでたし。

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― 新着の感想 ―
[一言]  面白かったです。  悪意がない…最悪のケースですね。  言い換えれば、悪い事を悪いと判断する器官がイカレてる、って事ですから。  私は、悪意がない、善意である、という言葉に対して(善意…
[一言] 面白かったです。 ただ姉や両親が事実を理解して反省と絶望を感じる場面を読みたかったです。
[良い点] ・主人公が無自覚毒家族から解放された所 ・少なくとも辺境伯が最初から主人公の姉に絆されて主人公を蔑ろにするようなバッドエンドではなかった事 [気になる点] ・言動からして姉が恐らく「自分の…
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