003
おにぎりと沢庵の駅弁を食べながら、ときおり窓下に広がる峠の景色を楽しみつつ、アプト式の電気機関車が推進する客車に揺られること暫し。
終着駅を出たミドリは、そこで銀色の癖毛に赤銅色の肌、瑠璃色の瞳をした青年が、満面の笑みで自分に向かって大きく手を振っているのに気付く。背後には、アメリカ産の大衆車と思しき自動車が停められている。
ミドリは、両手に持った柳行李を片脇にグイッと引き寄せた状態で、その日本人離れした青年のもとへと駆け寄る。
「ミドリちゃん、だね?」
「はい。お待たせしました」
ミドリが柳行李を身体の前に持ち直して頭を下げると、青年は片手を差し出しながら、緊張感のない声で言う。
「気にしないで。僕も、たった今、着いたところだから。さっ、荷物を貸して」
「あっ、はい」
青年は、ミドリの手から荷物を預かると、それを運転席側から後部座席に載せ、助手席側から降り、ドアを持ってミドリにウインクする。
「こちらへどうぞ、マドマーゼル」
「メルシー、ボークー」
当意即妙な切り返しをしたミドリに対し、青年は一瞬、目を見開いて驚くが、すぐに笑顔に戻り、ミドリが席に着いたことを確認してドアを閉め、それから素早く運転席へと回って乗り込む。
「ビックリしたなぁ。外国語も堪能なんだね。ひょっとして、帰国子女なのかい?」
「まさか。ちょっと齧ったことがあるだけです」
「いやぁ、それだけでも大したものだよ。それじゃあ、車を出すよ」
「はい」
返事を聞くやいなや、青年はスロットルレバーと点火時期調整レバーを下げ、エンジン操作を始めた。
それから、他愛もない会話を朗らかに交わしつつ、駅前から数十分ほど高原の道を進み、最後に短いトンネルを抜ける。
すると、目の前に開けた草原が広がり、その頂に一邸の瀟洒な洋館が堂々と聳えるのが見えてくる。洋館の近くには、温室か何かだと思われるガラス張りの屋根の端が、かろうじて見えている。
「あれが、今日から君も働くことになる屋敷さ」
「わぁ、立派なお屋敷ね。ねぇ、アオイさん。あの、透明な屋根の下は何?」
「お目が高いねぇ。あれは、僕が手入れを任されている温室だよ」
「まぁ。お車の運転だけでなくて、お庭の手入れもなさるのね」
「むしろ、庭師がメインだよ。一応、運転免許を取得してるから運転手もするけど、甲種じゃなくて乙種だから」
「何が違うの?」
「そいつは、説明してもツマラナイからよそう」
「とか何とか言っちゃって。本当は、説明できないんでしょう。図星かしら?」
「アハハ、参ったな。ミドリちゃんには敵わないよ」
旧知の友だったかのように、ふたりがすっかり打ち解けたところで、アオイと呼ばれた青年が運転する車は、そのまま邸宅の敷地内へと進入した。
このあと、ミドリはメイド長と屋敷内を巡回することになるのだが、それは、また今度の話で。




