015
藤村は、アオイの口から言葉が出なくなったのを確かめると、パッと手を離し、頬をさするアオイを無視して話を続ける。
「男の嫉妬は、女のそれより陰湿かつ醜悪な場合があってね。初めは、僕の研究に難癖を付けてきたのだが、支離滅裂で相手にされなかった。だから彼は、僕から大切なものを奪おうとした」
「藤村様より優れた研究をしようとは、しなかったんですね」
「まったくもって、卑劣な男だったよ。学会からは永久追放されて、今は網走に居るよ。改心してると良いんだけど」
「あばしり……」
耳慣れない単語を繰り返すと、アオイがミドリに説明する。
「監獄がある所さ。まっ、いくら故意でないとはいえ、殺人を犯したんだから、送られても文句は言えないだろうよ」
「ええっ! それじゃあ、奥さまは……」
「報せを受けて留学先から一時帰宅したときには、荼毘に伏したあとだったよ。そういうことがあったから、僕は今でも助教授のままで、シノも他人に心を閉ざしたままなんだ。こんなことなら、留学なんか行くんじゃなかった。もっと妻や娘との時間を作るべきだった。今頃になって後悔しても遅いけどね。それにしても、ドイツに戻って本来の留学期間を終えて帰ってきてみれば、君のお父さんまで亡くなってるとはねぇ」
「そんな辛いことがあったなんて……」
ミドリがショックを受け、藤村とふたりで通夜のような暗い雰囲気に落ち込んでいる、アオイが場を明るくしようと、つとめて陽気に話し出す。
「お嬢様の身体に変異が生じたのも、その直後からでね。いろいろ試したんだけど、なかなかうまくいかなくてさ。でも、ミドリちゃんが来てくれたおかげで、希望が見えてきたよ」
「えっ、わたしが?」
「エリの話では、シノは君によく懐いてるそうじゃないか。だから、折り入って頼みたいことがあるんだ」
そこで一拍置くと、藤村は、ある願いを口にした。
「わかりました。出来る限りのことは、やってみます」
「ヒュー! こいつは面白くなってきたぞ~」
ミドリが藤村の願いを聞き入れると、アオイは興奮した様子で立ち上がり、バタバタと慌ただしく部屋を出て行った。