010
「ほぉ。それじゃあ、お嬢様は、ミドリちゃんをいたく気に入ってるんだ」
ミドリがシノと初顔合わせしていた頃、藤村には来客があり、アオイが応対していた。
今は、シノの相手をミドリに任せたエリも合流し、応接室で客人が帰ったあとの片付けをしているところである。
「何に惹かれたのか知らないけど、いい具合に懐いてるから任せてきたの」
「人徳って奴じゃないの? 好戦的な誰かさんと違って、癒しのオーラが出てるもの。――うおっ、あぶねっ!」
鉄製のフォークを片付けていたエリは、それでアオイの手の甲を狙った。が、アオイは寸前で攻撃を察知し、手の甲の上に銀盆を伏せて防御した。
「惜しいな」
「油断も隙も無いなぁ、もぅ。――それにしても、今日のお客様は、香水を瓶ごと頭から振りかけたような婦人だったよ。お相手をしなくて正解だね、エリちゃん」
「そうかもしれないわね。――まぁ、お上品ないただき方だこと。一番美味しいところだけ召し上がって、あとは全部残しちゃうのだから」
そう言いながら、エリはリンゴが乗った皿を手に取る。リンゴは、芯を中心に一時の針の内角分だけ切り取られ、あとは皮ごと残っている。
「僕としては、おこぼれが頂戴出来て良いけどね。ヤミーヤミー、ボーノ」
アオイは、皿の上からヒョイとリンゴを手に取り、クシャクシャに置かれたナプキンで軽く皮を磨くと、シャリシャリと食べ始めた。
「ちょいと、アオイくん。お行儀の悪いことをしなさんな」
「ムググ。良いじゃないか、別に。ゴミとして捨てるより、よっぽどリンゴに優しいよ」
エリは、それ以上何を言っても効果が無いとみて、ナイフとフォークを入れたカゴを台車の上段の置き、続いて、大小の洋皿を片付け始める。そして、呑気にリンゴを食べ進めるアオイに、声のボリュームを抑えて質問する。
「ところで、例の訓練は進んでいるの?」
「へっ? 何の話?」
「とぼけないで。お嬢様が外出できるように、人化の術を授けると言ってたでしょう?」
「あぁ、その話ね。身体が成熟するまでは、制御が難しいんだ。先代の奥様も難儀したけど、まだ十一歳の子供なら猶更だよ。一日二日で簡単に習得できるものじゃないんだ。――ごちそうさま」
アオイは、言いたいことを言い終わると同時に、芯だけになったリンゴを、台車の下段にある屑カゴにシュートした。テーブルの上は、ランチョンマットや花瓶まで片付けられ、もうテーブルクロスしか残っていない。
「厄介なものね。隔世遺伝で、女性にしか現れない変異症状なんでしょう? ――そっちの角を持って」
「そうらしいよ。藤村様の研究成果が確からしいものなら、という条件付きだけど。――こっちだな?」
「三世代分しか研究材料が揃ってないから、あくまで推測の域を出ないという訳ね。――ここを、それと合わせて持って」
「何事かを成すには、人間の生涯は、あまりにも短いのである。――あとは、これを折り込めばいいだけだな」
テーブルクロスを畳みながら、ふたりは人生の儚さを語り合った。
もう、勘の良い読者様はお察しかもしれないが、このふたりもまた、人であらざる存在なのである。しかし、それについては、また章を改めてお話しよう。