008
「アオイさんを、あのまま床にほったらかしにして、大丈夫なんですか?」
「平気よ。急所は外してるから、そのうち起き上がって庭に戻るわ」
物騒な話をしながら、ミドリは、三歩先に歩くエリについて歩いている。
ミドリは、今も火の気のない暖炉の前でのびているであろうアオイを憐れに思いつつ、エリに逆らうのは得策でないと考えていた。
そうこうしているうちに、メイド服姿のふたりは、子供部屋の前へと辿り着いた。
ドアの中央には、ローマ字で「シノ」と読める五文字のアルファベットが、まるでホテルの部屋番号のように貼り付けられている。
ミドリは、金属光沢を放つその文字を見つめ、ドアの向こうに聞こえないように憚ってか、小声で感想を口にする。
「シノ様とおっしゃるのですね」
「そうよ。でも、人前では、お嬢様と呼ぶように」
「はい」
「それから……」
エリは、口を閉ざして一拍置くと、ミドリの方を向き、ミドリが期待に輝く翠の瞳を見つめ返して来たところで、あとの言葉を続ける。
「何を見ても、決して取り乱さないこと。良いわね?」
「はい。あの、エリさん」
「何かしら?」
「お嬢様は、どういう方なのですか?」
「それは、見た目のことかしら? それとも、性格の話? 今、その質問をする意味は、何なの?」
「えーっと……」
一つの質問に三つの質問で返され、どれから答えたものかと、ミドリは困惑して口ごもる。
エリは、ミドリの返事を待たないまま、ユリが模されたノッカーを掴み、コンコンと重厚感のある音を鳴らし、部屋の中にいる人物に向けて訪問を告げる。
「お嬢様。新米のメイドをお連れしました」
『入りなさい』
「はい。――開けますよ」
「あっ、はい!」
思案顔のミドリにエリが話しかけると、ミドリはハタと黙考をやめて返事をした。
エリは、大丈夫かしらとでも言いたげに眉を顰めながらも、ドアを開け、部屋の中へ入る。その後ろから、ミドリも部屋へと足を踏み入れる。
部屋の中は、少女の部屋にしては大人びたインテリアで飾られ、先程の声の主は、背もたれの高い回転椅子に座っている。
ドア側に立つ二人から見えるのは、椅子の背もたれと、丈の長いスカートの裾と、小さな革靴の先だけである。、
「エリ。その子の名前は?」
「青柳ミドリです」
「ミドリ。いい名前ね」
「ありがとうございます」
名前を褒められたミドリは、素直に感謝を伝える。すると、シノは強い意志を持った声で、エリに命じる。
「エリ。悪いけど、わたしが良いと言うまで、席を外してちょうだい」
「お嬢様。それは、あまりよろしくないかと」
「わたしは、ミドリとふたりきりになりたいの。席を外しなさい」
「はい。失礼します。――さっきの言葉を、忘れないように」
エリは、早々にシノを説得するのは無理だと判断すると、小声でミドリにひとこと言い残し、部屋の外で待機することにした。
シノは、ドアが閉まる音を聞くやいなや、両足で思い切り絨毯を蹴ってクルリと椅子を回転させ、ミドリの前に姿を見せる。
ミドリは、驚きのあまり声を失い、開いた口を両手で押さえた。
無理もない。琥珀色の瞳をした少女は、髪が紫のツタ状で、肌は観葉植物のように青みを帯びているのだから。