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元号が大正から光文へと改められてから、初めての夏のこと。
和洋折衷のモダンな一軒家に、一人の十六歳の少女がいた。面立ちや体型は日本人に近いが、髪は亜麻色、瞳は橄欖色で、家と同様、洋の東西が混在した風貌をしている。
「アガサ、クリス、ティー。どんなお話かしら?」
ライティングビューローの横に備え付けられたガラス戸付きの書棚のそばで、寝癖も梳かさないままの浴衣姿の少女が、カーペットの上にペタンと座り、一冊の洋書を手に取っている。
そして、おもむろにページを開きかけたところへ、頭を小ぶりの銀杏返しに結った割烹着姿の女がドアを開け、三十半ばにしてはかすれた、長年の客商売で年季の入った声で少女を叱る。
「また勝手に書斎に入り込んでたのね、ミドリ」
「ごめんなさい、お母様。でも、ここにある本は自由に読んで良いって、お父様はおっしゃってたわ。――あぁ!」
ミドリと呼んだ少女の手から洋書を取り上げると、ミドリの母である女は、それを書棚の適当な場所に置いてガラス扉を閉めながら言う。
「死人に口なしよ。いいから、早く着替えて下へ降りてらっしゃい。今日は、あとでお客様がお見えになるの」
「あら、どなた?」
「生前は、学寮で議論を戦わせたり、ともにコートで汗を流したりした仲だっていうから、大学時代の知人に違いないわ」
「まぁ、お父様のご学友なの。インテリさんね」
ミドリは、カーペットから立ち上がり、両手を胸の前で組んで喜ぶ。が、ミドリの母は面白くなさそうに顔を顰めながら、ため息まじりに言う。
「あきれた。こんなことなら、女学校に入れるんじゃなかったわ。繕い物ひとつ手伝わないで、夢物語を編んでばっかり」
「お母様ったら、いつもそうおっしゃるわね。小説は良いものよ?」
「いいもんですか。こんなもの、腹の足しにもなりゃしない。学ばかり積んで家のことが満足に出来ないままだと、嫁の貰い手が無くなるわ。まったく。変なところだけ、あの人に似ちゃって」
「旧弊ね。時代は、もう大正でも無いのよ?」
「はいはい。どうせあたしは、尋常しか出てない、明治生まれの頑固婆さんですよ」
ミドリの母が、これ以上説教しても時間の無駄だととばかりに自虐を口にすると、階下から自動車のクラクションの音が聞こえてくる。
「あら、いけない。もう来ちゃったのかしら? ――早く支度しなさいよ、ミドリ」
「はい」
ミドリの母は、ミドリの返事を聞くのもそこそこに、廊下へ出て階段を下り始めた。
「お母様ったら、せっかちなんだから」
書斎に残ったミドリは、ガラス戸を開き、円本の上に置かれた洋書を元あった場所に戻してガラス戸を閉めると、そっと扉に手を置いて名残惜しげにしばし見つめてから、急いで廊下へと駆けだした。




