《現実世界の章》 みさきとあまね
「みさきちゃん、待ってよー」
親友のあまねの声に、私はくるりとふりかえった。
今日はとてもいい天気。真っ青な空に小さな白い雲がぽかんと浮かんでいる。
「あまね?」
その空の下を、ひいひいと親友が駆けてきていた。夏服の白いセーラーがまぶしかった。とても女の子らしい風貌のあまねには、白いセーラー服はよく似合っていた。冬服の黒地に白いスカーフも似合うけれど、白地に水色のスカーフはかわいらしさと清潔感を五割増しにしてくれる。
一方の私は、女子にしては身長が高くて、スレンダーであるとは思うけれどもちょっと女の子らしさが足りない。長くのばした髪を褒められることもあるけれど、コテをも跳ね返す意地っ張りなストレート。あまねのようなふんわりとした髪は憧れだった。
「もう、ひどいよみさきちゃん、なんで先に帰っちゃうの?」
「だって、あんた……。用事があるんじゃなかったの?」
「用事なんて、……あったけど、断るの……大変だったんだよ」
あまねは男子に人気だ。小学校の頃は引っ込み思案で地味な感じだったけれど、中学に入ってから徐々にそのかわいらしさが際立って行って、高校入学時には超絶美少女に変身していた。
そして毎週のように男子から呼び出されて、告白のような、そうでもないような、微妙なお誘いを受けている。
今日はブラスバンド部の副部長からお声がかかっていた。同学年の高校二年生。少し色素の薄めの、ハーフっぽいイケメン。
これまで告白やデートの誘いを断ってきたあまねだけれど、さすがにこの優良物件を逃すのはもったいないと私は考えたのだ。
あまねはいつも、「みさきちゃんと帰るから、ごめんなさい」「みさきちゃんと出かける用事があるから、ごめんなさい」「でも、みさきちゃんはどう思う?」などと私に逃げ道を作る。
おかげで私とあまねがデキてる説が一時期流れたくらいだ。
断じて違う。
あまねは、男子が怖いだけだ。小学校の頃にさんざん男子にからかわれて、登校拒否にもなった。中学でもそうだ。男子のいたずらとか心無い言葉に傷ついて、いつも保健室に逃げていた。
どれもこれも、あまねが気になって仕方がない男子のド下手くそなアプローチなのだけれど、やられるほうにとってはたまったもんじゃない。そんなおバカな男子を追い払っていた私はすっかりあまねの用心棒。おとこおんなー! なーんて揶揄されていたけれど、ムカつくだけであまねのように保健室にはお世話にならなかった。
性格って面白い。
「なーんだ、断っちゃったの? 流星君ってイケメンで優しいじゃん、デートでもなんでも行ってくればいいのに」
「もう! そんなに簡単に言わないでよ!」
「少なくとも、中学のバカ男子たちよりはマシでしょ」
「うぇええ、嫌なこと思い出させないでよ、みさきちゃんのいじわる……」
「ごめんごめん。そっかー、でも断っちゃったんだ」
ちょっとだけほっとした。
流星君、実は少し気になっていたから。あまねに取られたらどうしようって思っていたのだ。その決定的瞬間をみたくないから先に帰ったっていうのも、実はある。
そして、あまねがとられなくてよかった、っていう本音もある。
恥ずかしいから言わないけど。
「しっかし、今日、あっついねー」
「うん。しかも走ったから汗でべとべと」
「アイス食べてく?」
「食べたーい!」
夏の学校帰りはアイスにかぎる。
私とあまねはにかっと笑いあって、駅前のアイスクリームショップに向かった。
私の父は普通のサラリーマン。家は中古だけれどそこそ新しく見える一戸建てを購入し、庭もある。ファミリータイプだけれど車もある。お金持ちじゃないけれど、生活の困窮とは程遠い。
一方、あまねの家は、ぶっちゃけ貧乏だ。
あまねのお父さんはなにか機械の部品を作る工場に勤めているらしいが、景気が悪くて大変らしい。噂では借金もあるらしい。
家は築四十年の古いアパートの一階。洗濯機が外にある。
子供というのは残酷で、古びたアパートに住んでいる地味で引っ込み思案な同級生は格好のからかい相手。貧乏みたいだからきっとお風呂にも入っていないと決めつけて、臭い臭いとはやし立てたり、髪の毛からフケが飛ぶぞ! なんて言って下敷きであおいでらいものにしたり。
今ではそんなことされないけれど、あまねは周りを常に怖がっていた。
一時なんて、高校には進学しないで働きに出ることも考えていたみたいだ。
蝉の鳴き声がうるさいある日の学校帰り、私とあまねは図書館に向かっていた。
今日からテスト週間が始まった。期末テストが終われば夏休み。その前のちょっとした地獄。
けどあまねは楽しそうにみえた。
テストがそんなに楽しいの? と私は聞いた。
「うちの高校って十五歳になったらバイトの許可がおりるでしょ? 夏休みになったらバイトしようと思ってるんだ」
あまねは目を輝かせて言った。
「バイト?」
「うん! パン屋さんにしようかなって思ってるんだ。駅ビルに、かわいい制服のパン屋さんがあるでしょ? あそこ」
「あ、あー……あそこ。わかった。うん、制服かわいいいよね」
そして店員の女の子の顔もかわいい。
制服が似合う女の子を優先的に採用しているのではないかと思う。あまねならきっと合格間違いなしだ。
「私の誕生日、夏休み中だけど、ちょっとくらい早くても大丈夫だよね」
「たぶんね」
「みさきちゃんのの誕生日は十月だよね。十五歳になったら一緒のとこでバイトしよ?」
私にあのパン屋さんの制服が似合うかなぁ、なんて思ったけれど、キラキラの瞳で見つめられたら自然とうなずいていた。
「いいねー、それ名案! やるやる!」
「やった! 約束だよ!」
十五歳になっても成績が悪かったらバイト許可が下りないらしいから、ちょっと気合い入れて勉強しようかな。
かわいい制服のパン屋さんでバイトするという目標のおかげか、やる気が湧いて湧いて仕方がなかった。これはもう上位十人のなかに名前がのるんじゃなかろうかってくらいの手ごたえだった。
あまねは夜になるとスマホを親に返すらしいのだけれども、テストの期間だけはわたしと教えあうからということで深夜まで持ってていいことになり、トークをしながらの勉強もできて、勉強自体も楽しくなっていた。
もしかして、このまま勉強好きになったら東大とかいけちゃうんじゃない? なんてちょっと本気で思っていた。
こんなにテスト週間が楽しいことがこれまでにあっただろうか、いや、ない。
あまねはもともと私よりも成績がいいから、さらに手ごたえを感じているに違いない。そうお気楽に思っていた。
深夜二時をまわったころに、
「ねえ、みさきちゃん……異世界に行ってみたくない?」
そう、スマホの向こうから唐突に言われるまでは。