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永遠を与えられた物書き

作者: 風戸稀琉

 男は日々仕事で忙しく、帰宅後も疲れ果てていて夕飯と風呂だけすませて就寝し、翌朝仕事に向かうを繰り返していた。趣味である小説を書く時間が全くなく、それでも家族のためにと働いた。

 ある時、気がつくと男は真っ暗闇の中に一人で立っていた。

 夢だろうかと思っているとどこからか声が聞こえ、過労で死んだことを告げられる。

 ショックで様々な後悔が脳裏を巡る。家族に何もしてやれなかった。最後にまともな会話をしたのはいつだったか。なにより、小説が書けないことにひどく落ち込んだ。

 すると声が、魂だけになってもこのまま留まらせ、好きなだけ小説を書かしてやろうかと提案してきた。

 最初は都合がよすぎて怪しんだが、条件が『誰にも教えてはいけない』というものだったので、死んでしまった今、見せる相手もいないと男は提案を受け入れることにした。

 それから男は好きなだけ執筆した。机と使い切ることのない原稿用紙と鉛筆だけの真っ暗な空間だったが充分だった。机とその周りは明かりがなくとも見えるし、お腹もすかないし眠気もこない。仕事に行く必要も誰かに文句を言われることもないこの場所は、最高の空間だ。

 無我夢中で鉛筆を走らせる。ずっと構想を膨らませてきた冒険ものや、専門知識が必要になる推理もの、ふと思いついたシチュエーションを使いたくなって恋愛ものにも挑戦してみた。

 そして背後にはどんどん物語の山が形成されていった。

 ふと区切りがついて手を止めた男は、両腕を持ち上げて背筋を伸ばした。視界の隅に用紙が映り、振り返る。

 埋もれるほどに書いたことを満足していた男は、ふと感想がほしいなと思った。せっかくこれだけ書いたのだから、誰かと共有したい。しかしこの空間には男以外誰もいない

 男はこの場所を提供してくれた声の主を呼びかけてみた。

 返答はない。

 誰にも教えてはいけないという条件を思い出した。暗闇の中、一人でいることに今更ながら心細くなってくる。これだけ書いたものの、誰にも知られることなく、この暗闇に置き去りにされていくのだ。

 忙しく汗を流しながら働いてきたあの目まぐるしさも、今となっては霞んでしまって実感がわかない。上司は、同期の仲間は、友人は…………家族はどんな顔をしていただろうか。

 薄れていく記憶を呼び止めるかのように誰かいないのかと叫んでも、やはり返事はない。

 走り出してみたがどこまで行っても暗闇で、本当に地面を走っているのかさえ分からなくなってくる。

 疲れることなくしばらく走ると、紙の山が見えてきた。一瞬男以外の誰かもここで書いていたのではという期待を胸に山の向こうを覗いたが、誰もいない。山の一部となっている原稿用紙には、男の字で男が綴った物語が書き記されていた。

 ここには男以外誰もいない。誰とも会うことがない。誰にも男の書いた小説を読んでもらうことも、感想を言ってもらうことも永遠にない。

 紙に書き出した物語たちも、いくつかは本当に自分が書いたのだろうかと疑わしく思えるようになってしまった。字は間違いなく男の筆跡だというのに。

 男は笑いが止まらなくなった。好きなだけ書ける。誰かに文句を言われない。感想も言われない。誰かに見てもらうことがないのなら、男が書いた小説たちはないのも同じだ。

 この暗闇に留まったところで、結局無意味なことをしていたのだ。声の主も呼びかけに答えてくれないよ うだから、ここから出ることも叶わないのだろう。

 それを望んだのは男なのだから。

「…………だからね、君が現れたときは心底驚いたよ。僕はまだ会話を忘れてないんだって知ったのさ」

 原稿用紙の山に囲まれた男は、山々を見上げながら静かに語る。

「これはぜーんぶ物語なんだ。僕の思い出も書き留めようとしたんだけどね、そのときにはもうなにも覚えていなかったから諦めたよ。ぜひ君に読んでもらいたいけど、すごく時間がかかってしまうだろうね。なにより」

 男は目の前の来客に苦笑してみせる。

「君が帰れなくなってしまう。僕がここにいる条件を破ったら、声の主も怒るだろうしね。だから」

 男は来客の背後を指さす。

「君はお帰り。声の主に気づかれていない今ならまだ、間に合うよ、きっと。僕のようになってはいけない」

 来客は立ち上がると男が指し示した方向に顔を向けた。数歩歩き出して、来客は立ち止まる。

 振り返った来客は、唐突に口の端を吊り上げた。

「帰り道は分かっているのに、ここから出られないと言った。出られないのではない、出なかったのだ。書き連ねた山々を置いてはいけなかった誰かを忘れることよりも、紙切れを選んだのだ」

 突然口を開いた来客に、男は目を見開く。

「お前は差し当たりのない話をするか、無言を貫くべきだった。紙切れの感想を我慢したつもりだろうが、お前は内容(自分の過去)を話している」

「君……は……」

「覚えていたではないか。忘れたふりをして、戻れない己を守っていただけだ。そういえば、己のことを書きものにするジャンルがあったよなぁ?」

「…………エッ……セイ……でも、書いては……」

来客は、姿を見せた声の主は歯を見せて嗤った。

「約束まで忘れたか? 誰にも教えるな、だ。紙切れをとは限定していない」

「そっ、そんなのこじつけ」

「どう解釈しようが、受け入れたのはお前だ。ああそれに、忘れたふりをする必要はもうない。己が一番大事なお前には、永遠の時刻と、忘れられない思い出をやろう」

声の主が両手を上げると、どこからか楽しそうに話しかけてくる娘の声や労ってくれる妻の声が暗闇に響きはじめた。体調を心配してくれる部下や仕事が溜まっているとせっついてくる上司の声も絶えず聞こえてくる。

後悔が、あのころに戻りたいという羨望が心を苛む。

「やめろ! やめてくれぇぇぇ!!」

男はその場に崩れ落ち、慟哭した。

「約束を破ったのはお前だ。まぁ、いい暇つぶしにはなったよ」

声の主は高らかに笑いながら、暗闇に溶け込んでいった。


END


ぱっと浮かんできて、ぐぁーっと一気に書ききった物語でした。


男は本当に死んでいたのか、声の主は何者なのか。


男は永遠に囚われてしまいましたが、逃げ出せる機会があったことに、あなたは気づけたでしょうか。


お読みいただき、ありがとうございました。

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