落ちて来たもの
最初に書かなくてはいけないのですけれど、これは「実話」です。日にちも時間も詳しく特定できます。
だから場所に気づいた方もいらっしゃると思いますけれど内緒にして下さい。わたしが誰だか知っている方も同じく知らんぷりして下さいお願いします。身バレしたらホラー以上のホラーですから。ほら、わたし弱ってるし(笑)
さて、話を戻しますとわたしはこの二月の初めにとある病院に緊急入院し、二日ほど記憶がなくなった時期があります。目は開いていたそうですけれど記憶が飛んでいます。家人は「極めて重篤です」と別室に呼ばれて告げられたそうです。
隠すつもりではないので言いますが、わたしは今回「一型糖尿病」の劇症型。ケトアシドーシス(血液が酸性の状態)になりました。そこで昏睡の状態に繋がるわけです。
瞳孔検査も二度ほどしたようですが、まあ生きています。多少不自由ではありますが。
わたし自身、それほど霊感はありませんし、とりたてて宗教家でもないです。ごく普通の一般人だと思って下さい。
ただこの〈死〉に近い場所に立ったことが今回の病院での出来事と結びついたかも知れません。
三日目で意識を戻したわたしは一般病棟に移りました。
大きな病院でしたので「糖尿病教室」が入院患者のために開かれています。そこでわたしの体調が落ち着いて来ると自分の病気を知るために参加を促されました。
わたしの入院は新館(棟)で教室は旧館(棟)です。エレベーターの乗り継ぎなど少し距離がありました。
教室での講義は一時間ほどでしたが途中から冷や汗が出てイスに座っていられなくなりました。
必死でハンカチを握りしめ、なんとか終わったはいいのですが動けなくなりました。教室に来たのは良いのですけれど病室に帰れないのです。
看護師さんはいつもお忙しそうだし、車イスを押してもらえのも気がひけるし……何より自分の足で歩いて来られたのだから病室に帰れないはずがない。そういう思い込みがあったせいでしょうか情けなさが先に立ちました。
行きは良い良い帰りは怖い、の自分は根性なしだと思いました。
結局、動けないわたしに気づいた看護師さんに車イスで送っていただきました。申し訳なさに頭が上がりませんでした。
そして二度目の講義です。
今回は前より元気になっているだろうし、内緒で歩く練習もしたし、少しはマシになっているだろう。そう思って参加を決めました。
エレベーターを乗り継ぎ、細い渡り廊下をゆっくりと歩く。
手すり確認。うん、大丈夫。
ふと顔を上げると窓からは旧館の建物が見えました。風と雨に削られ昭和の色を残したコンクリート。天気も悪かったのでしょうが、くぐもった古い臭いを感じました。
新館が天井高くLEDライトに照らされ広く明るく落ち着いた棟とすれば、旧館は根本的建て直しがなされず、低い天井、狭い廊下の棟でした。壁も塗り直しこそしていますが、八十代に厚化粧をしても十代には戻れない、そんな妙な感を漂わせています。
そして講義は気をつけていたものの、やはりわたしは途中から座っているのもやっとで「戻れない」「病室に帰れない」と口にしだしました。
ここでわたしは少し違和感に気づきます。
自分なのに客観的というか他人ごとのようです。妙に涙が止まりません。汗を拭くフリをして(二月ですが)誤魔化し、講師の人達に笑ってうなずきます。
しんどいなー。でもさすがにちょっとオーバーに思われるかも。看護師さんに心配かけるのは嫌だな。
理性で色々考え、自分で押さえようとするのですが口から出る言葉は「駄目だ」「帰れない」「無理だ」ばかりです。
否定ばかりしてる。情けないと思いながら仕方がないという気持ちがありました。
仕方がないんだ、だってわたしだから。
言い訳のような違うような。
ちょっと涙が止まらないんですけど、何故でしょうか、教えて下さい。
講義中を通じてこんな状態です。
終了後に「では車イスを用意しますね」と優しく言ってくださった看護師さんには「すみません」「ごめんなさい」を連発していました。
主治医の先生にもう講義休んで寝ていれば、と優しい言葉を掛けていただきましたが、わたしは疑問符だらけの顔をしていたことでしょう。
なんで?
なんでそういうこと言うの?
ちゃんと行きは歩けているし。
車イス使うほど弱ってないし。
そんなことを考えて三回目の講義を強行しました。
自分から言い出したのですから、意地でも自分の足で病室に帰ってやる! わたしはそう考えていました。
でも旧館に入った途端、その考えは霧散するのです。
身体が重い。
講義が頭に入って来ない。空転する。
辛い。辛い。辛い
また帰れない。きっと帰れない。わたしの力では無理だ。無理。
講義が終わった途端、泣けてきました。今まで一番泣きました。
「わたしは駄目なんだ」
「わたしでは駄目なんだ」
どうしてわかってくれないのだろう。
さすがに四回目の講義はパスしました。あまりに駄々をこね、恥ずかしい姿を晒したため自分でも嫌になったのです。
回を追うごとにマシになるならともかく、大泣きかましているのだから。それはもう自分で理由もわからず「ムリムリムリ」
自己嫌悪で一杯でした。
そして講義を休んで自分の白いベッドに横になっていました。
あんなことをしでかしたのだから誰も「行け」「参加しろ」とは言いません。むしろ毎回車イスを頼む面倒な患者なのだからホッとしているでしょう。
座っている時間に身体がまだ耐えられないのだなと主治医の視線は言っていました。わたしもまた当時そう思っていました。どこか拗ねていたのです。
しかし――。
〈 私を一緒に連れて帰って 〉
そんな声が不意に落ちて来ました。
頭の中にポツンと。
本当に雫が垂れるようにポツンと。
一瞬、波紋が周囲に立ち、静かになった気がしました。
何が起きたのかわからない。
でも理解できたのです。
わたしが泣き喚きながら拒否していたのはこの〈声〉に対してだった。確かに。
パズルのピースが揃ったというか、原因と結果の糸が繋がったような気がしました。
無意識にわたしは相手に対し連れて帰ることはできないと判断し、断っていたんです。視えることはなかったけれど、わたしの拒否反応はこの声に対しての答えでした。
休んだから病室にまで頼みに来たの?
「無理、だよ」
怖いというよりも哀しさを感じました。
独りぼっちの死、納得が出来ない死、理解していない魂。
大きな古い病院ということで結び付けてしまいますが、昔は戦争――空襲の犠牲者も大勢運ばれて来たに違いありません。
その魂はきちんと望んだ場所へ、望んだ人と一緒に〈帰れた〉のでしょうか。
予期できぬ死を受け入れ行くべき所に行けたのでしょうか。
わたしは落ちて来た言葉を便宜上、〈私〉と書きましたが本当の主語はわかりません。〈僕〉〈俺〉〈わし〉、老若男女どなたでも当てはまります。
そして一人とは限らないのです。
わたしは幸い視えませんでしたが、車イスの後ろに連なるのは百の手、千の目、限りなく多い人々かも知れないのです。
――一緒に連れて帰って
ただ爪を立て足元にすがりつき嘆願されていたとしても、キャパを超えた同情はいけません。期待させて何もしないことは失礼だし、相手を傷つけることになります。
幽霊とまでは言いませんがそんな残存思念はどこにでもある気はします。本当に。
また自分がそうならない保証もありません。
現にわたしは今回意識不明になりました。
夕闇せまる道、電信柱の後ろ、誰かの影の中。あるいはかくれんぼの途中、最終電車、点滅する電灯の下。
声が落ちて来たらあなたはどうしますか?
断って下さい。
たとえ心魅かれても幼子の声でも懐かしい過去の言葉でも、拒否をして下さい。その結果の先に何があるかわかりません。保障は誰もしてくれません。手を振りほどくのが残酷なら、残酷に徹しましょう。
それなりの力がある方ならまた別の話でしょうけれども。
振り向いても誰も居ない。
ただ落ちてくる、声。声。
私を――一緒に連れて帰って……お願い。
読んでいただきありがとうございました。合掌。