記憶
森の奥のおじいさんが死んだ。
「行っちゃだめだからね。」
お母さんからよく言われてたけど、なぜかわからない。とっても良い人そうだった。
「ねえ、あの、おばあさんのところに行かない?」
おじいさんが死んで、一人になってる。あの人も、とっても良い人そう。白髪をくちゃくちゃにして、顔もくちゃくちゃにして笑う人。
「行っちゃだめだからね。」
お母さんの声が聞こえてきたけど、行きたいと思う気持ちの方が強かった。
「うん、行こう!」
弱かった気持ちが、デーンの元気いっぱいの声で強くなった。いっつも、デーンの方がわんぱくに行動できる。だから、デーンについていくと、よくお母さんに怒られる。
おばあさんの家は、森の奥の、きれいな庭の真ん中にあった。色とりどりの花が咲き乱れて、甘い香りがただよってくる。
デーンが、
「おばあちゃーん!」
と、庭の柵から乗り出しながら叫んだ。
「おばあちゃーん!」
私もそう叫んだ。
ひょっこり、おばあさんの顔が家の窓からのぞいた。笑ってる。やっぱり、とっても良い人そうだ。もしかして、そうやって安心させておいて家に招き入れる魔女なのかな?とって食べちゃうのかな?
「なんだい?庭に入りたいなら、どうぞー。」
おばあさんは、にこにこして言う。
デーンが、うん!と言いながら、柵をまたいで、庭に入った。でも、待って、こういうときはありがとうございます、て言うんだよ。
「ありがとーございます。」
「はーい。」
おばあさんは家の奥に引っ込もうとした。
「ねえ!おばあちゃん。」
デーンが呼び止めた。
「なんで、おじいちゃんはいないの?」
それが、いけない質問だなんて、もちろん私にもわからなかった。でも、おばあさんは泣きそうな顔になって私達を見た。
「それはね、天国に行ったからなんだよ。」
「天国、ていい所?」
「そうね、いい所だと思うわ……。」
おばあさんは、上の空で私の質問に答えた。何を考えているんだろう?
「あのね、」
おばあさんが、ふっと、しっかりした顔つきに戻った。
「自然は大切にしてね。いつか、ふっとなくなってしまうものがあるんだよ。今は、わからないかもしれないけど、あとになってみて、とっても大切に感じるから。」
ふうん、ふっとなくなってしまうもの……。デーンも私も、顔を見合わせた。よくわからない。
「はーい!」
でも、おばあさんが好きだったから、にっこり笑って返事した。
それからしばらくして、デーンが引っ越した。とても悲しくて泣いたけど、どうにもならなかった。なんで行っちゃうのか、どこに行っちゃうのかも、聞いても、本当に理解はできなかった。とにかく、もう、一緒に遊ぶ相手がいなくなったのはわかった。それに、もうあのおばあさんの家に行くのもやめてしまった。あそこに行くには、暗い森を抜けなきゃいけない。一人は怖かった。
また何年か過ぎた。学校に入る前に、私も引っ越すことになった。あれから、別に友達もいなかったから、悲しくはなかった。車と電車に乗って、とっても遠い所、前に住んでた所と何の関係もない場所に来た。
そして、今の私。友達と上手くいってない。男の子に好かれたいと思ってるけど、こちらもちっとも上手くいってない。自分が嫌いだ。好かれたいと思って、おどけでみせるけど、それが裏目に出てからかわれる。心で泣いてるけど、顔には笑顔が貼り付いちゃってる。だから自分が嫌い。悩んでいる自分も嫌いだ。
でも今日、そんなことが、一瞬だけ頭から吹き飛んでしまった出来事があった。昔、私が住んでた所だ。あそこには、500年くらい前に起こった伝説があるらしい。
あそこには、昔、神の子が住んでいた。大地も気候も、生命も、その男の子が操ることができた。見た目美しく、青い目、黒い髪、白い肌、人形のようだったという。そして人形のように感情を持たず、その子自体が生きているような感じではなかったという。しかし、ある日、一人の女の子が遭難して、偶然その子に出くわした。弱っていた女の子は何とか助かろうと男の子に語りかけ、願い通り、助けてもらった。男の子の使っていた洞窟に連れていってもらい、食糧をもらい、何日間か一緒に過ごした。その期間に、男の子の中に人間の情が生まれてしまった。女の子が行ってしまってからも、その感情は消えることなく、悪い方向に向かってしまった。怒りだ。森の木を切り、動物を殺し、我が物顔で大地を歩いている人間への。それから、度々災難が起きるようになり、男の子を殺そうとする騒ぎになった。しかし、その男の子を殺しに行った者で帰ってきたのは一人もいない。そこで、ことの発端となった女の子を人質に、男の子のいる山に向かった。感情がある男の子は女の子を殺すことができない。それを良いことに、人間は恨みにまかせて男の子の目の前で木を切り、動物を殺し、最後に男の子を殺そうとした。しかしやはり、全員殺されてしまった。女の子も含めて、だ。怒りに我を忘れてしまった男の子は、女の子まで殺してしまった罪悪感に呑まれた。そして、自分が持っている力で、自分を殺そうとした。それを見た親の神は哀れに思い、男の子から、力を抜き、記憶を失ったただの男の子に変えてしまった。
それから、男の子は拾われ、人里で暮らし、村の女と結婚した。子どもにも恵まれ、普通の人生を送ったという。
それを知ったとき、私の頭には、あのおじいさんが浮かんだ。