アザーな人々
一般層と言う概念がどうも昨今おかしい。それは以前書いた。過去通用した巨人大鵬目玉焼きと言うマジョリティの好みって意味で一般層と言う考えが定着してて、ある程度この発想は常識として便利な道具として機能していた。ただ昨今使われる一般にそれだけの重みがあるか?なら私も何か違うと思う。
それは多分GeneralからOhterへの転換だと見ている。一般は便利な言葉、この考え自体は使える。だが具体的にそういった層が過去使っていたのと同じなのか?と言うと抽象概念として悪い意味の抽象論としてしか機能して無い。その原因が過去Generalだった一般は今はOhterになりつつあると見てるから。
ピンと来ない人のために分かり易い例えをすると、政党が一番分かり易い。過去自民と言う選択が当たり前だった時代がGeneralと言う一般に近い一般人って具体的な人々は妥当な言語の選択だった。だがその自民も数年前政権交代したばかりだ、しかも新進党から2度目の政権交代。壊れてからすでに長い。その後迎える安部長期政権は誰もが、他の選択肢が無いからって消去法を意識してる。
それが事実なのは、もうちょっとでやばかった前回の衆議院選挙を思い出せば分かる。Ohterとは何か?政党で言えば無党派層が持ってる概念に近い。特に支持する政党が無い集団が最大派閥で、彼らがその時々の流れで選択するから大変化が起こる。政党ではこれが希望の党でわかりやすいだろう。
そしてそれが私が最近ずっと書いてる。昨今創作物のヒットは必然があっても、多くの国民を巻き込んだ大ヒットは偶然の産物でしか無いって話しに繋がる。その時々の気まぐれで、特にこだわりのある物があるわけじゃないが、なんとなく選ばれる気まぐれなものが大ヒットの要因でしか無い。何を指してるか?で私はまだ未見だが君の名は、についてあらゆるヒットの分析がなされるが、ポストジブリはどうか?と見ている。結果論的大ヒットでしかないのでは?と疑ってる。
良くある批判で、大きなヒットを目指さないで小さな層に訴える作品ばかりなので儲からないんだって批判がある。過去の20年前の一般の発想から来たもので、この発想大体中年から出てくる。過去の遺物だと見てる。おそらくこのパターンの最大の巧者であるディズニーが、われわれのモデルはもう通用し無いかもしれないなという自己批判みたいなものをしている。
成功者ほど、過去ほど上手く行かないのでは?と危惧している。実際この手の批判はいった物勝ちの無責任な発言が多い。批判される小ヒットを狙った小規模ビジネスこそが混迷の現代に小さくても光を与えてる的確な方法だと私は見ている。
Ohterと言うのは2つに分かれる。1つはなんとなく、これと言った特定の好みを持たない集団。だがこれだけじゃない。特定の好みが細分化される事で決して大きな集団にならない。これもOhterになりうる。全く関係が無い趣味を持つ人がそればかりしか時間を使わないか?なら絶対に違い。スポーツを好む人は映画を見ないのか?なら違うだろう。
細分化された娯楽の中で、たまには別の選択をする。そういった人々もOhterを形成する重要な集団の要素となる。似た価値観、好みで集まりやすかったマジョリティ的一般層、彼らがそうじゃなくなった要因には、なんとなくの無党派の形成と政党とは違う、趣味と言う大きなカテゴリーの中で創作物と言う1つの好みを特に拘らない別の趣味の人たちもマイノリティ的な集団同士が集まってOhterを形成する。
ただなんとなくと言う無趣味が多くなったわけじゃない。むしろ、好みの細分化がOhterを多数派として押し上げた最大の要因で、ただなんとなくでいた人はそもそも過去からずっとそれほど変化したわけじゃないと見ている。別の趣味の人が、無党派層と変わらない動きになりやすいと言う話しになる。
これから一般は止めてその他に変えるべきだというほどじゃない。私としてはコレまでどおり一般と言う言葉を使えば良いと思う。だが分析的に考える場合は、もう過去の一般層の考えはやめるべきである。何故か?と言うと、ネットでのこの言葉は、悪口をいうための集団化に利用されるためになる。
誰かを攻撃する場合に人間なら誰しも見方を作って複数で少数を痛めつける選択をする。それは卑怯じゃないか?なら結果だけ求めるなら、間違いなく多数で少数を囲んで痛めつけたほうがメリットが多い。この物理的な選択が、概念的にも同じ発想になる。多数派を持ち出して、少数派を攻撃するのに一般って言葉はとても便利なんだ。
この悪癖を知ってるからこそ、私は警句としてずっと書いてるんだ。ただ単純に分析的不正確だからだけじゃない。オタクじゃ攻撃材料にならなくなったから、キモオタなんて言葉が使われるようになった。オタクの中でも特殊で少数集団だと言う印象付けるための言葉になる。そして攻撃する側は一般層からの意見として語る。
ネットでは悪口が先に立って、そっちが目的化してて、つまらない面白いなんて実際はどうでも良い。悪口のため攻撃しやすい欠点を持つか?が重要になってくる。何故なろうは嫌われるか?で本質的なものだと私は思ってない。悪口をいうための攻撃しやすい部分があり、一般層と気持ち悪いオタク層って対立を作りやすい中身になってるからになる。
こういった事に利用される一般層と言う言葉を不快だと感じて警句として何度も私は取り上げている。啓蒙活動の様にこのエッセイが繋がると嬉しいと思い書き終えたい。