4、見えないモノが見えたとき
「「実家に帰りたい?」」
また俺とゴゴの声がハモる。突然思いついたように紙にかいたその日は夏休みなどとうに終わり、年の瀬もせまった冬まっただ中だった。
「実家って椿のだよな?」
「そうよ。ずっと病院暮らしで実家に全然いったことがないの。病院が家みたいなもので、実家に帰るっていう表現も違和感なくらい」
椿の気もちもわからないわけではないのだが、椿は幽霊で他の人には見えないわけで、つまり実家に行くのは俺とゴゴである。椿の母からすれば誰だ?ってなるか、娘の死期を早めた張本人と思われかねない。門前払いを食らう可能性だってあった。
「ちょっとそれはレベルたけえよ椿…」
「いいじゃん行ってみようよナナ君!俺もついてくからさ」
ふにゃりと笑うこいつは事の重大さをわかっているのだろうか。でもまあ、いいか。やるだけやってみるしかない。俺たちには時間がない。どうせ死ぬなら最後までやりきってからだ。
「わーったよ。三人で行くぞ。家はわかんねっから椿、道案内頼む」
「おっけー!そんな離れていないはずだよ」
12月30日。決行の日はやってきた。
椿は小さい頃に死んだ。だから椿の記憶はかなりあいまいなものだ。どこまで信用できるかわからないが他に調べるすべはない。
案の定あっちだったか、こっちだったか、とかなり歩いていた。
ふと横を見ると辛そうに呼吸をし、顔が真っ赤になったゴゴがいた。
「おいゴゴ、大丈夫か」
「う、うん…!だいじょうぶ、だよ」
「少し休憩しよう」
母さんから少しもらったお金があったので自販機を探し、水を買う。蓋をあけてからゴゴに渡すと、ゴゴはくしゃっと破顔し「ありがとうナナ君」と水を飲み始める。
「大丈夫か、まだ歩けるか?」
「うん、大丈夫だよ、椿ちゃんと…それからナナ君のためなら俺、どこまででも頑張れる」
「俺のため?」
「ねえさーくん、ゴゴ君すごく辛そう。今日はもうやめておこ?私次までに場所ちゃんと探しておくから…」
椿もかなり心配そうなので椿の言うことをそのまま伝えるとゴゴはいきなり立ち上がった。
「大丈夫だから!もう大丈夫!いこ!友達のためなら俺は大丈夫なの!それとも俺、足手まとい…?」
「足手まといなわけないだろ、ただお前が、」
「行くよナナ君!」
「お、おい…!」
止めることなんてできなかった。
だが、その甲斐あってだろうか。
「ここだ…!さーくん、ゴゴ君!ここだよ、ここ私の家!見覚えある、何も変わってない…!」
かわいらしいレンガのような造りの家に到着したのであった。
ここはもう意を決するしかない。
震える手でインターホン―を押す。
ぴーんぽーん。
「はい」
「あ、え、えーと俺、市内病院の7番と言います、椿、じゃなかった1番ちゃんのことで用が…」
するとドアがあき、中から綺麗な女性が出てきた。俺とゴゴを交互に見比べる。
「は、初めまして、市内病院55番です」
「7番君。あなた、もしかして昔うちの娘と毎日遊んでた…?」
まずい。コレのせいだけじゃないと思いたいけど病弱な彼女を無理させてたのは間違いない。責められる。そう思った。
「あ、は、はい。たくさん遊ばせてもらってました…」
「そうよね。あらあらそんなに大きくなっちゃって!どうぞ、お入りなさい。55番さん、あなたもね」
「は、はい!」
「お母さん、私のことは見えてないんだね…」
椿はあからさまに肩を落としたが、小声で「ほら、お前も来い」というとすごすごついてきた。リビングに案内されると茶菓子とお茶が出てきた。
「それで、どうしてうちに?」
「いちの、部屋を見せてほしいんです」
「いちの部屋を…?」
「はい」
「ごめんなさいね、お断りします」
「え…」
お母さんは静かに目を伏せた。
「あの部屋はもう、娘が死んでから一度もあけていないの。娘が生まれる前にあの子のために作った部屋なのに、結局あの部屋を使ったのは片手で数えられるくらい。病気をもって生んでしまった私の責任を強く感じてしまうの」
「一度だけでもダメですか」
「ごめんなさい、できません」
「お母さん…」
「ごめんなさい、あの子をあんなに若くして死なせてしまった。きっとあの子は私を恨んでる。あの部屋に入ればきっと私は…耐えられない…」
「違う、お母さん、違うよ…」
「不幸だったに、違いない…ごめんなさい、ごめんなさい」
「お母さん、ちが」
「それは違いますよお母さん!」
もう、黙って見ていられなかった。お母さんもきっとつらかっただろう。死んだ人の声は二度と聞くことができないのだから。確かめる術がないのだから仕方がない。でも。
「いちは、不幸なんかじゃない!あなたのことだって、恨んでないはずです!いち、よく俺に話してくれたんです。友達がいなくても、お母さんがいつも一緒にいてくれたんだ、って。お母さんがいたから寂しくなかった、って!」
「え…?」
「お母さん、あいつの声を、聴きませんか」
「どう、やって…あの子はもう…」
「椿、紙とペン持ってきたから。書けるよな?」
すると机に椿が駆け寄る。そして強くうなずいた。
椿にペンを渡すとさらさらと紙に書いていく。その様子にお母さんは驚く。
「ひとりでにペンが…!紙に文字が…!」
『お母さん。いちだよ。私ね、死んでからユーレイになったの!すごいでしょ、毎日ふわふわいろんなところに遊びにいってるんだよ。お母さん、うんだことを後かいしないで?生まれてきたからお母さんにあってあいじょうを知った、生まれてきたからさーくんと会って外の世界を知った、友達を知った。生まれてなかったら知らなかったことだよ。あと病気があったから私は早くに死んだ。でもユーレイになってまたさーくんに会えた。ゴゴ君って友達が増えた。おもいっきりグラウンドを走った。学校に行った。死んで辛かったことばかりじゃないんだよ。私は、幸せだよ、お母さん。うんでくれてありがとう。だからもう、泣かないで』
「いち、いち…そこにいるの?ねえ…」
「いるよ、お母さん、いるよ」
そういって泣きじゃくるお母さんの手を椿はそっと握る。するとお母さんは寒そうに手をこすった。霊感を感じているのだろうか。
「いち…。お母さん、まちがっていたみたいね。あなたが幸せそうで、安心した。いちがいるならあの部屋もみれそう。一緒に来てくれる?」
「もちろん!」
「もちろんっていってます。俺とゴゴも一緒にいっていいですか」
「ええ。いちの大切なお友達ですもの」
お母さんは涙を拭きながら立ち上がり、二階にある椿の部屋へと向かう。ドアノブを握るお母さんの手は震えている。そっと椿がその震えをとめるようにお母さんの手に重ね、ゆっくりと扉を開ける。
十数年開かされなかった部屋は埃だらけだった。
「けほっ、けほッ」
「お母さんほんとにあけてなかったのね、埃がすごい…」
「いち、好きにいじりなさい」
「うん!」
「後は頼みます」
お母さんはそうおっしゃり、リビングへと戻って行った。
「あ!思い出した!」
「は?」
「確かこの時期、寒そうにしてたさーくんのために牛乳パックでマフラー編んでたんだった!」
「牛乳パックでマフラー?」
「うん、小学生でもできるって話題だったんだよ。もしかしたらここにあるかも…!」
「そうとなったら探さなくちゃね、ナナ君!」
「ゴゴ、ありがとな」
案外その牛乳パックはすぐにゴゴが見つけた。
「これじゃない?毛糸が絡まっているよ」
「そう!これ!ゴゴ君流石~。完成もう一歩ってところで死んじゃったから渡せなかったんだ。…もしかしてこれが約束?」
「可能性あるな、完成させてみようぜ椿!」
「……」
「椿?」
「あ、ああうんそうだね!あともう少しだから少し待っててくれる?」
「おう」
そうして待つこと10分。本当にすぐ牛乳パックで作った毛糸のマフラーが完成した。
「はい、さーくん、プレゼント。帰りにでもしてってね」
「はは、ありがとな椿。早速巻くよ」
幽霊に作ってもらったマフラーなんて笑っちゃうけど…あったかい。心まで温まる。これを俺のために死ぬ直前まで作っていてくれていたんだ。
一階に下り、お母さんにあいさつをする。
「本日はありがとうございました」
「いいえこちらこそ。いちの声を聞かせてくれてありがとう。私の中の時間も少し、動いた気がするわ。…あ、その、マフラー…。いちが最後まで作っていたもの…。完成したのね。よかったわね、いち。彼に渡すことができて。きっと彼女の時間もまた、進み始めたに違いないわ。…またよかったら来て頂戴ね、本当にありがとう」
「…はい、ありがとうございました」
また、行ける日は来るのだろうか。そんな思いで家をあとにした。
しかし、椿は機嫌がよさそうに俺の前をいく。結局成仏は失敗したということだ。いったい何が正解なのか…。思い返してもそんな未練の残るような約束をした記憶がない。でも早く思い出さなければ。俺の死期もどんどん近づいていた。
「55番!搬送急げッ!」
「オペ室1番だ!」
その夜、ゴゴが倒れた。
…目が覚めると目の前に見知らぬ女の子が浮いていた。
身体を起こそうとしたが、俺の身体のまわりにいろんな管が巻かれ、酸素マスクまでされており起こすことも許されない状態だった。
ああ、俺死にかけてたんだ。
はは、無理をしたのが祟ったかな。俺、本当は激しい運動はしちゃダメなんだ。したらこうなることは、わかってた。でも、俺はナナ君と、椿ちゃんと三人で走りたかった、行動をしたかった。ただそれだけ。走ったことに悔いなんてないんだ。
そしてこの浮遊した女の子は見知らないけど、知っているよ。
「椿、ちゃん」
「…!私のことが見えるの?」
「うん、見える。可愛いんだね」
「…ッ、ちょ、意外と天然たらしだねゴゴ君」
「天然たらし…?よくわからないけど、でもお見舞いに来てくれたんだね、ありがとう。ここ集中治療室かな、ナナ君来れないもんね…」
「うん。だから私がお見舞いに来た。というかあいつは寝てる」
「ナナ君が起きるまでにはよくなってあいにいかなくちゃ。心配かけたくないから」
「焦っちゃダメだよ。私もね、ほんとは外で遊んじゃダメって言われてた。でもいつもさーくんに心配かけたくなくて、…いや、それもあるけどさーくんと遊ぶのが楽しくて元気なフリしてた。そしたらやっぱり、予定より早く死んじゃった」
椿ちゃんの言葉に俺はついふっと笑ってしまう。
「さーくんはすごいよね。俺もだよ。走っちゃいけないってわかってた。でもさーくんと、椿ちゃんと走りたかったんだ」
椿ちゃんは困ったように笑い、俺のそばに舞い降り、寄り添う。
「ねえ椿ちゃん。俺直接話せるようになったら聞きたいことがあったんだ」
「なあに?」
「椿ちゃんは、本当に成仏してもらいたいって思ってるの?」
「…ッ」
「消えちゃうんだよ、成仏されたら。そしたらどこにいくかもわからない。どうなるのかもわからない…それでも椿ちゃんは成仏されたいの?」
椿ちゃんは俺の言葉を聞いて目を見開く。そして俯いた。
しばらく口を開かない彼女を見て申し訳なくなった矢先、ようやく彼女は口を開いた。
「怖い。…怖いよ、ゴゴ君」
それは今まで聞いたことがないほどに弱弱しくか細い、女の子の声。俺はその声に動揺した。
「本当は学校に行ったあと消えなかったのもマフラー作ったあとに消えなかったときも安心している自分がいた。消えちゃうのも怖い、でもそれよりさーくんとまた離れ離れになっちゃうのが怖い。今度はもう、一度別れたら二度と会えないってことのような気がするの…。さーくんがいるなら私は消えたくない、消えたくないのに…」
ぽろり、彼女は涙をこぼす。幽霊だから本当に水は流れていないのに、確実に俺の心に雨を降らして濡らしていく。
「椿ちゃん。素直に話してくれてありがとう」
「どうしたら、いいの…ッ」
「俺ね、やっぱりそれでも椿ちゃんは成仏されて欲しいって思うよ。きっと成仏できるのは他の誰でもないナナ君。そのナナ君はきっと近い将来いなくなってしまう。いなくなってしまったら、椿ちゃんはさーくんのいない世界で永遠にさまよいつづける。永遠に、だ」
つらくても、くるしくても、伝えなくちゃいけない。
「たぶん、ナナ君はそんな永遠の苦しみを味わわせたくないんじゃないかな。椿ちゃんが成仏して天国に行くまで、きっとナナ君は死んでも死にきれない」
「やだよぅ、さーくんとわかれたく、ない…!」
「会えるよ、必ず。椿ちゃんが成仏して天国に行ったら、きっとナナ君も未練なく天国に行ける。だから天国で会えるよ」
「どうして、わかるのよ…!」
なんでかな。なんでだろう。
「えへへ、なんでかな、わかんない。でも俺はそう信じているよ。だから先に進むことを怖がらないで、椿ちゃん。俺も前に進めたからナナ君と友達になれた。そしたら病院での毎日が輝いたんだ。みんなで一緒に走ったり、町中歩き回って誰かの家に遊びにいったり。そんな毎日が来るなんて思ってもみなかったよ、俺。前に進んだら必ずいいことがあるから。俺はもう、この世に思い残すことなんて、なにもないよ」
「…!ちょっとゴゴ君!しっかりして!!!」
目の前がうっすらと薄らいでいく。椿ちゃんの姿も遠くなっていく。
「ナナ君に伝え…て」
「ゴゴ君!」
「ありがとう、って…あと、俺の本当の…な、まえ…――」
冬のある日、ゴゴは死んだ。