其の3 須佐佐助
「先生は須佐之男は少年だと云った。しかし、此の写真は15、6年は前の物だろう。此の少年が須佐之男なら30歳にはなっている・・・何故?少年などと云ったのか?」
其れからフェラーズは柳田のノートを読み始めた。
○八岐大蛇記
○白面金毛九尾狐事件
○須佐一族と信長
○幕末・若日子
まだあるらしいが、此の5冊までが出来上がったものであるらしい。
表題は「須佐妖戦帖」。
戦国時代から大正時代の解説と体験談だ。
1935年、フェラーズは陸軍指揮幕僚大学、卒業論文として「日本兵の心理(The Psychology of the Japanese Soldier)」を書いた。
1936年、フィリピン軍管区司令部附兼フィリピン軍事顧問参謀になる。
1937年、フィリピン軍軍事顧問だったダグラス・マッカーサー、フィリピン独立準備政府ケソン大統領と共に3度目の来日。2・26事件後、日中戦争へ向かう日本を其の眼で視た。マッカーサー一行の歓迎レセプションには、一色ゆり夫妻(旧姓渡辺ゆり)の姿も視得た。其の後、フェラーズは、フィリピンから米国に戻り、陸軍大学に入学する。
1938年、4度目の来日。軍隊、出征兵士たちを監察した。
柳田は、昨年末、病にて没した。此の年の再会は柳田の墓前だった。
「先生、貴方に聞きたいことが、まだ山程あった」
フェラーズは柳田の自宅にも出向いた。子息・武雄氏は23歳になり、結婚していた。職業は医師である。長男を授かった。名を隆と云う。まだ赤子である。「父は好きでした。考古学者として立派な経歴を残したけれど、オカルト研究は嫌いでした。愚の研究です。わたしは、変人の子供と虐められ、育った。父の独自の研究は、誰にも認められず逝った。わたしは米利幹(メリケン~アメリカンの発音からだが、愚人と云う意味がある)など嫌いだ。もう二度と此処には来ないで頂きたい!」と、追い返された。
フェラーズは皇宮警察にコンタクトを取った。特殊機関の者に会いたいと。柳田から其処にコンタクトを取りなさい、と云われていた。しかし、そんな機関は無い・・・と、返事が来たが、一人の警察内の者が会ってくれると云う。
日比谷のカフェで待ち合わせた。
フェラーズは先に来て待っていた。
「Mr.フェラーズ?」
「Yes」
振り向くと黒のスーツを来た20代後半の男が立っていた。
「皇宮警察の須佐佐助と云います」流暢な英語だ。
「あっ!」フェラーズは真っ青になった。此の男は柳田から貰った写真の男、須佐之男の後で笑っていた男ではないのか?!須佐佐助!「外伝 須佐一族と信長」に明記される武角の腹心と同じ名!」
「Mr.フェラーズ、柳田先生はわたしの大切な友人でした。先生から生前、連絡が来て、あなたがまた日本に来たら会ってやってくれと。だから会おうと思いました。わたしは皇宮警察内の特殊機関にいます。あなたがコンタクトを取った機関の者です」
「須佐一族の方ですね」
「先生から色色、聞きましたか?」
「はい、其れも随分、昔です。しかし話ばかりで実は未だ疑うを得ないのです」
「あなたが知りたいことは解っています。ちょっと、外を視てください」
「はい?」
「あの屋根の上の鴉が視得ますか?」
「はい」
「足を視て」
「ん?・・・・ん?あれは?!」
「3本視得ますか」
「んん?」
「八咫烏と云う鴉です。今日は共に来たんです」
「八咫烏!記紀に出てくる鴉?」
「もう少し視ててください」
其の鴉が悠寛と人に変化した。忍の少女にである。
「ああ!」
其の少女は一礼すると消えた。
「何かの手品に視得ましたか?」
「どんな仕掛けですか?あれは?」
「外に野良猫がいますね」
其の野良猫が故知等を向いた時、人の顔になりニヤッと笑った。
「う!うわああーーー!」
フェラーズが大声を出したので回りの客が一斉に彼を視た。
「ダ、大丈夫デス。ナ、何デモナイデス」
「天井を・・・」
天井から忍の者が浮き出て来て、天井に張り付いている。
フェラーズは、また叫び声を出しそうになり、口を塞いだ。
終いには馬程の白狐が眼前に表れた。
「うわあ!」
また回りの客が一斉に彼を視た。
「白狐は、回りの人には視得ません」
「佐助、何か用?」白狐が喋った。
「いや、何でもないけど、柳田先生の亜米利加の友人だよ」
「あら、先生の?初めまして」ニコっと笑った。
「もう消えてもいいよ」
「何よ!其の態度、いけ好かない!」白狐は怒って消えてしまった。
フェラーズは、がたがた震えていた。「此れは、手品などでは決して無い」
「Mr.フェラーズ、大丈夫ですか?」
「あ、あ、あれは何ですか?」
「われらの仲間です。普段、こんなことは、しません。故先生の名誉のためにお視せした」
「柳田教授の・・・」
「先生は、大学の研究では認められたけど変人扱いされた。われらとの関係のせいで」
フェラーズは、柳田の話を根底に話を続けた。
「Mr.須佐、あなたは「白面金毛九尾狐事件」「須佐一族と信長」に出て来る佐助さんですか?燃える妖刀と手裏剣、電磁波の嵐で信長軍を一気に殲滅させた志能備?」
「はい」
「柳田教授から貰った写真に写っているのも貴方ですか?」
「先生の写真?ああ、ご子息と一緒に須佐部落で撮ったもの?そうです。先生、子供が生まれたと云って大喜びで奥さんと遥々、部落まで遣って来てくれたんです。私が列車で東京から出雲まで案内したんです」
「貴方は如何程の時を生きていらっしゃる?まるでバンパイアだ。歳を取っていない・・・・写真の少年は須佐之男ですか?やはり、今も変わらず?」
「われらは血など吸いませんよ」佐助が笑った。「写真の?はい。須佐之男様はわれら一族全体の長です。先生のノートは読みました?」
「はい」
「なら話が早い。われらは不死ではないことも御存知のはず」
「志能備である貴方が何故?皇宮警察内に?」
「明治の御上(天皇)の計らいです。身の傍に須佐を置きたいと。安倍系陰陽師も居ります」
「Mr.須佐、あまり時間がない。あなたとはまたお会いしたい。可能ですか?」
「可能ですが、時代がそうさせるかどうか」
「日本の動向ですね」
「はい、危険です。此の侭では将来、亜米利加と戦争をするでしょう。軍の暴走が始まります」
「はい、亜米利加では皆、そう思っています。既に対応を検討しています。あなた方は武人です。出て来ますか?超自然の力をもって」
「われらは御上自身の武体。其れだけです」
「もし、日本が負けて天皇が絞首刑にでもなったら?」
「其の時は、天の力をもって、われらは守ります。邪魔をすれば地獄に落とす」
ゴクリ・・・フェラーズは、唾を呑んだ。
「有り難う、Mr.須佐。大いなる意見交換を」
「また、何時か会いましょう。Mr.フェラーズ」
そして二人は別れた。
「柳田教授の本は・・・・彼等の存在は・・・信じられぬが、本当のようだ」フェラーズは思案していた。
天皇には日本軍隊の他に容易ならぬ、もう一つの異質な軍隊が存在することを確信した。
「國民は誰も知らないのか?」
フェラーズは佐助の率直さ、高貴さに異質な何かを感じた。そして、配下の妖艶し気な者達・・・彼は寒気がして来た。
「亜米利加は彼等と戦ったら勝てるか?・・・・」
彼等に触れることは禁忌(タブ–)である
350年前の甲賀衆の言葉が過った。
1941年12月8日、彼等の心配通り、真珠湾奇襲攻撃によって日米が開戦した。
どんな理由があるにしろ、此の資源も何も無い小さな國が大國10数カ國を相手に戦争を行うなど、狂気の沙汰である。マッカーサーは見抜いていた。
「狂った猿共だ」
ハルノートによって、日本軍は怒りの頂点に達し、奇襲攻撃を敢行した。
1943年9月、フェラーズは、日米開戦後にフィリピンからオーストラリアのブリスベンまで退却した南西太平洋軍司令官マッカーサーに請われ、司令部統合計画本部長、マッカーサー軍事秘書、PWB=心理作戦本部長として就任した。
1944年、心理作戦において、天皇と軍部の関係が軸だった。
フェラーズの「日本への回答」(Answer to Japan)では、「国家元首として天皇は戦争責任を免れない。彼は太平洋戦争に加担した人物で、戦争扇動者である。彼が認定した東条が政府を掌握。天皇支持を得たことで、あらゆる狂気を行うことが出来た」とした。
1945年4月、「対日心理作戦のための基本軍事計画」では、「天皇には攻撃を避けるべきだ。天皇を排して国民の反感を買うのは危険である。しかし、適切な時期に天皇を利用する」少し考えが変わって来ている。
日本本土空襲が行われている時期で、既に勝利を予感している。
1945年8月、広島と長崎に原子爆弾が落とされる。通常ピカドン。
軍部は其れでも戦争続行を貫いた。武器も兵も何も無いのにである。
「大和魂で貫く」らしい。
1945年8月15日、天皇陛下は玉音放送を行った。そして、日本は敗戦した。
元より天皇が国策に口を出すことは、憲法違反である。其れを知りつつ自ら戦争を止めた。玉音放送の録音技師は自殺をした。
1945年8月30日、フェラーズは、戦勝国の総司令官マッカーサーの副官として日本に上陸する。
「結局、須佐は出て来なかったな。元帥に話さなくて善かった。頭が怪訝しくなったか?と云われたに決まってる」
先ずは、一色ゆりと河合道、小泉子息たちの安否を知りたかった。
Mr.佐助はどうなった?