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須佐妖戦帖 第4章「マッカーサーの憂鬱」  作者: 蚰蜒(ゲジゲジ)
12/12

其の12 老兵は死なず、ただ消え去るのみ

9月11日、東条英機は逮捕に際し、自らの胸を撃って拳銃自殺を図るも失敗した。


其の後、監獄の中の東条に会うため、鈴木貫太郎総理大臣に佐助が同行した。

「鈴木さん・・・」

「東条さん、こんな形で会いたくは無かったが・・・」

「わたしは此れ以上、生き恥をさらしたく無い。わたしは亜細亜で肥大する共産主義を追い払うために戦った。それを亜米利加は侵略と視て、ハルノートを出して来た・・・」


「東条さん」

「あなたは、御上の側近の須佐佐助殿」

「お願いがあって来ました。須佐のことは御存知ですね」

「はい、遥か出雲に手を合わせたりもします」

「実は須佐が・・・・」全容を話した。

「須佐殿たちが・・・連合軍一個師団を全滅・・・岩国基地も壊滅・・・凄い・・・」

「連合軍は戦争も、須佐を先導したのも御上と考えています。御上を処分するかもしれません」

「なんと!」

「それはなんとしても避けたい」

「当然です。御上は戦争には反対だった。それを・・・わたしは・・・気づいていた。だから早期の和平を持って終結させるはずだった。しかし・・・・」

「御上が、政治に、軍部に、口を出すことは憲法違反です。それに、あなたは独裁の権力など持っていない。軍部が勝手に突っ走ったのですね。それをあなたは止められなかった。あなたが考える軍人と云うものは彼らとは異なる。そう、日露の時の軍人のような・・・」

「・・・・・・」

「大掃除が必要なんです。其処で相談です。須佐は天皇の軍隊ではなく、貴方の軍隊にして欲しい」

「其処までで何を云いたいのか理解しました。私が身代わりになれと」

「御上を助けるには、それしか無いんです。申し訳ない・・・」

「何を云う!佐助殿、感謝します。軍人として名誉なことです」


鈴木は、佐助の説得のための嘘を知りつつ、あまりにも惨めな、かつての戦友に言い放った。「東条さん、あなたは人身御供ですよ。戦争の全責任を負わされるんですよ。亜米利加あめりかの思惑です。それに、今でも国民の東條批判は苛烈です。あなたは国民からも世界からも今後、未来永劫、独裁者のレッテルを貼られるんですよ」

「鈴木さん、戦争犯罪人として死刑になるのは死にきれない。御上を助けることで名誉が挽回出来ます。わたしが死ぬことで日本が助かるなら晴れやかに死にますよ」

「東条さん、あなたは無謀戦争の発起人として歴史に語られるでしょう。しかし、わたしはあなたは勇気ある日本軍人だったと伝えましょう。残された家族のことはご心配なく」

「有り難う、鈴木さん、須佐殿」

互いに敬礼をして別れた。

東条は其の後、東京裁判に於いてA級戦犯として絞首刑になった。


11月、亜米利加政府は、マッカーサーに昭和天皇の戦争責任を調査するよう要請した。マッカーサーは「戦争責任を追及できる証拠は一切ない」と回答した。


1946年1月、天皇は「人間宣言」を行った。2月から9年をかけ、日本各地を巡幸し、国民と直接、言葉を交わした。当時の日本人にとって此れ程、励みになることは無かったであろう。巡幸中の天皇を視た米軍兵は「天皇が自ら、神ではなくわたしは人間ですと吹聴したにも関わらず、日本人は崇めている・・・視ろよ、天皇を前に拝んでいるぞ」「我々には理解出来ないな」と云った。


其の後、GHQは日本の政策に手をつけ始める。大半は連合軍側の都合の善い政策ではあるが、日本は呑むしかなかった。素志て新しく「新日本憲法」が成立した。

1946年11月3日、「大日本帝国憲法」に代わり、「日本国憲法」が公布された。

第1条はこうである。


天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、その地位は主権の存する日本国民の総意に基づく


日本は少しづつ復興し始めた。進駐軍は征服軍では無かった。こういう政策は日本でしか成功例が無い。


或る日、GHQに柳田親子が訪ねて来た。

「フェラーズさん・・・」

「お元気でしたか?」

「わたしは貴方に申し訳ないことをした。許してください。わたしは亜米利加が恐かった」

「生活は大丈夫ですか?」

「はい。おかげさまで」

「善かった。息子さんには初めてですね。よろしく」

「隆です」

「幾つ?」

「5歳」

「隆、此の人はお爺ちゃんを尊敬してくれる偉い亜米利加の軍人さんなんだぞ」

「へええ」

「そうだ、隆君、君にプレゼントがある」

「何?」

「此れさ。お爺ちゃんの本だ。僕が借りていたものだ。君に返そう」

「有り難う」

「武雄さん、此れも・・・」

須佐部落で撮った例の写真である。赤子の武雄を須佐之男が抱いている。

「フェラーズさん、有り難う。家は空襲で焼けて何も残っていないんです。皇宮の須佐佐助さんが、心配して偶に訪ねてくれます」

「佐助さんが・・・」

「御存知なんですか?」

「はい」

「僕ね、須佐之男に会ったよ」

「何だって?!隆君、須佐之男に?何時いつ?」

「先週」

「此の写真と同じ姿だったそうです。少年のまま。佐助さんも変わらない。親父は正しかった」

「何か話したの?」

「俺、須佐之男ってんだ。君、先生のお孫さんだろ?って。頭を撫でてくれて其の侭、消えちゃった」

「とても強いお爺ちゃんの友達だよ。武雄さん、わたしの役目は終わった。帰国します」

「お元気で」


1946年、対日理事会事務局長に就任したフェラーズだったが、11月に退役。軍から亜米利加政界へと活動の場を移した。

「マッカーサー元帥は天皇に感激したんでも、私の調書を理解したのでも無い。須佐を恐れたんだ。全てパフォーマンスだ。天皇の力を利用し、日本を掌で亜米利加にとって都合の善い政策を進めた。真に日本人の心を理解などしていなかった・・・」

フェラーズは1973年に亡くなった。


1950年、朝鮮戦争勃発。国連軍は釜山橋頭堡に追い込まれるが、マッカーサーはあらゆる反対意見を押し切って同年9月15日、仁川上陸作戦を成功させて戦況をひっくり返した。が、中国義勇軍が参戦。核使用を求めてトルーマン大統領と対立し、1951年4月11日、解任された。

マッカーサーは此の時、気づいたとも云われている。

「東条は正しかったかもしれない。共産主義が拡大されていく・・・」


4月16日、離日のため厚木飛行場に向かうマッカーサー夫妻を沿道から20万人の國民が見送った。彼の思惑とは裏腹に、当時の日本人は彼に感謝した。19日、議会で「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」の演説を行う。

1952年、大統領予備選挙で敗北。以後レミントンランド社会長として過ごし、1964年4月5日にワシントンで死去。


1955年、一冊の本が亜米利加で刊行された。「遥かなる須佐へ」著者はジム・ウエラー。あの出雲の戦いで生き残った特殊部隊の隊長である。ノンフィクションと題を打ったが、何処いずこから圧力がかかって、SFとされた。あまり評判にもならず、消えていった。


日本が今、あるのは天皇とボナー・フェラーズの御蔭と云ってよい。他にも尽力した色色な方がいる。亜米利加人の中にも日本人の中にも。そして闇の歴史に消えた須佐たちが居た。


始めにわたしは天皇崇拝者でも否定者でも無いことを申し述べておきます。


「マッカーサーは日本を救った偉い人」子供の頃、学校でそう教わった。

コーンパイプにレイバンのサングラス。かっこええなあ。其れが写真を視た感想。

横須賀や沖縄の米軍基地。フェンスの向こうの亜米利加・・・と云うより下町育ちのわたしにはテレビのアメリカン・ホームドラマが亜米利加体験だった。

でかい家、でかい車、でかい観音開きの冷蔵庫、中には数リットルのガラス瓶入り牛乳、アイス、コーラ、ハンバーガー、ジーンズ等等。開放的で明るい亜米利加が憧れだった。

「日本は戦争に負けたから亜米利加軍基地がある」

そんなことは知っていたが「関係無いね」だった。

「亜米利加が格好善い!日本は田舎ださい」

多くの若者はそう思ったはずである。


昭和天皇は子供の頃、沿道で視た。

何やらのイベントがあって向かう途中、近くを車で通ると云う。近所の人達は日の丸旗を持って待ち受けた。「陛下ー!」

車窓から、ちんちくりんな眼鏡のちっこい、ちょび髭おじさんがニコニコと小刻みに手を振っていた。子供心に何か親近感を持ったのであります。

異常だな・・・と思ったのは特にお年寄りだった。膝を付いて泣きながら拝んでいる。片足の無い元軍人などあちこちに居た。その人達も膝を付いて泣きながら頭を地面に付けていた。

「戦争に勝てなかったのに、何を拝んでやがる。」

日本は貧乏だった。1弗=360円の時代。

沖縄は亜米利加国だった。


天皇とマッカーサーの会談は随分と後、NHKの特番だったかで視た。会談内容は極秘であるがマッカーサーは亜米利加で喋っちゃった!

「全責任はわたしにあります」衝撃的だった。

以後、昭和天皇の関連本を彼方此方読んでみた。敗戦決定後、クーデターがあちこちで起き、多くの軍人、民間人が暴れた。

「怖いな」此の時代に生まれていなくて善かったと思った。


東京大空襲時、わたしの両親は火の海の中を兎に角、逃げ回ったのだと云う。想像するに地獄であったろうと思う。

隅田川花火は視ようともしなかった。東京大空襲を思い出すから・・・と云っていた。

その両親が戦火を生き延びたから、わたしは此処に居る。


沖縄では「女は亜米利加の捕虜になると、犯された挙げ句、殺される」と女子に伝えていた。追い詰められて捕虜に成るまいと崖から海に身を投げた少女たちがいた。釜(洞窟)に隠れて出まいと火炎放射で焼かれる者、日本兵は民間人を犠牲にして逃げた。

捕虜になってしまった女性は泣きじゃくった。「犯されて、殺される」。処がテントに連れて行かれてステーキを出されたと云う。

「貴方がたはもう戦わなくて善いのです。此処で悠寛ゆっくり休みなさい」

米兵は、とても親切だった。


天皇の真意は結局はよく解らず終いで・・・と、云うかどちらかに偏り過ぎの語りが多い。何が本当なのか?兎に角、大変な時代だったことは解った。

「全責任はわたしにあります」発言は無かった・・・とする人が居た。

「そんなことを云うはずが無い。憲法違反だ」などの意見もあった。

「いや、マッカーサーもフェラーズもフォービアン・バワーズ少佐も、そう云ったと証言している」

どっちなんだよ・・・。


しかし、思うに戦争を止め、玉音放送をしたのは天皇であります。既に憲法違反です。

憲法違反などと云っている状況では無かった・・・と云うことです。戦時下に於いて、倫理がどうのなどとは云っていられない。一刻を要する。

原爆を落とされようが軍部は未だ戦争を続ける気だった。

「武器も無いのにどう戦うつもりですか?」と問えば「大和魂で蹴散らす!」と云ったに違い無い。数十万人を一瞬にして殺戮する爆弾を落とされてもであります。亜米利加はまだ原爆を持っていた。戦争を続けていれば、三回、四回と落とされ、日本人は死に絶え、国土は焼き払われ、放射能まみれになって、現代でも生物の棲めない場所になっていたかもしれない。放射能は海を襲い、くうを覆い、世界を襲ったかもしれない。生き残った少数の日本人は國を追われ、ユダヤ人のように流民になったでしょう。


ちんが動かなければ日本が此の世から無く成る」天皇はそう思ったに違いない。


玉音放送前夜に録音テープを奪おうと若手将校たちが襲撃。クーデター状態となる。


さて、「マッカーサーの憂鬱」はマッカーサー側近ボナー・フェラーズ(Bonner Fellers, 1896年 - 1973年)准将を中心としている。

須佐や柳田家が絡む以外の話は殆ど史実や噂とされるものであります。

フェラーズは小泉八雲が好きだった。日本文化にも興味があった。


わたしには、マッカーサーの日本統治が「軍国を廃絶し、民主国家を作る」とは思えなかった。日本を属国では無く、子分にする・・・とでも云った方がわかりやすいのではないか?亜米利加の思惑があったに相違ない。が、天皇との会見が実現し、天皇は命乞いをしに来る・・・と思ったらしい。其れがあの有名な、並んだ写真の裏側の思惑であります。マッカーサーは天皇を見下した。しかし、彼は、其の後、感激したと云う。

「全責任はわたしにあります」

戦争責任を国王が全て背負う。そんなことは世界の歴史上あったのか?

色々調べたが確かに天皇はそう云ったと思われる。とは云え、マッカーサーが感激したから日本統治が甘く成ったとは思え無い。「天皇が協力してくれる。思惑通りに出来る」とは思ったろう。


わたしは其処に須佐と云うやいばを差し込んでみた。

須佐一族とは「古来からの天皇の軍団」としてきた。此の時代を書かねば・・・と、思い立った。

一個師団を全滅させる実力、自然をも動かすあまの妖力を持った集団。「御上をないがしろにしてみろ、もっと大きな災いをもたらすぞ!」と連合軍を脅したのであります。

マッカーサーは政治家では無く優れた軍人です。軍とはリアリズムであります。現代でもそうですが、武器は火力が絶大な方が強いと云う形式になっている。しかし、須佐はまるで違った。かなわぬと思った。国際法などゴミになる・・・須佐が襲ってくれば世界が窮する。

天皇は会見で「須佐やわたしには出来ない事。マッカーサー元帥にしか出来ない事」として「食料を頼みたい」と懇願します。マッカーサーは「双方に弱みがあるではないか!」と小躍りする。其れが天皇や佐助、皇居内側近が考えた脱却案でした。


本当に日本を理解したのはフェラーズであったと思います。本来、河合道(かわいみち~女子英学塾教授。日本YWCA創設者内、後、東京・世田谷に恵泉女学院を創立)さんをもっと出すべきだった。彼女がフェラーズにアドバイスした事は大きい。


GHQが決めた事柄で日本に対して善かったと思えることは「戦争をしない國」としたこと。もう1つは「女性への参政権付与」だと思う。

平塚雷鳥(らいてう1886年-1971年)が起こした明治時代後期から始まった女性解放運動は、敗戦後、当時の幣原内閣がGHQの意向により閣議で決定した。

GHQ女性対策を担当したのは民間情報局婦人課長エセル・B・ウィード中尉。此の人の尽力であります。度々、平塚雷鳥の弟子・市川房枝女史と意見交換をしたそうです。


吉田茂内閣の時、朝鮮戦争が勃発した。マッカーサーは日本も軍を出せと云う。吉田首相は「日本は、もう戦争をしてはいけないと云ったのは貴方ではないか!」と、やり込めた。吉田のような政治家が居なかったら日本は朝鮮出兵をさせられたと思う。


しかし、マッカーサーの命令に屈し、「警察予備隊」を出兵させた。もともとは「朝鮮戦争で出兵する米軍の留守番役」として、警察力補助のためである。

朝鮮戦争が激化してくると、警察予備隊は次第に重装備化され、今まで受け入れていなかった旧軍人の幹部候補も迎え入れるようになった。

アメリカから装備の提供を受けた警察予備隊は、実力部隊7万5000人、自動小銃や迫撃砲、装甲車両、軽戦車などの“警察力?”となり、その後「保安隊」に改組された。こちらは総数10万8000人。


吉田内閣最終年の1954年、吉田の腹心・池田勇人自由党政調会長とアメリカのウォルター・ロバートソン国務次官補の間で開かれた「池田・ロバートソン会談」で日米相互防衛援助協定(MSA協定)が結ばれ、日本はアメリカから援助を受ける見返りに「自国の防衛力増強」の義務を負うことになった。

それが「自衛隊」である。

つまり保安隊=自衛隊であります。


フォービアン・バワーズ - 1917(大正6)年生まれ。来日当時28歳、アメリカ陸軍少佐。此の人はフェラーズとは異なった日本通であった。天皇会見の折り、フェラーズと大使館玄関で天皇を出迎えた。進駐後、皇国思想をあおる危険性があるとして歌舞伎演目の殆どが上演禁止になった。其れを解禁する努力をしてくれた人であります。


須佐と武角たけつののことをもう一度書きます。

古事記にると、初代神武天皇が日向の国(高千穂)から大和への東征の折、吉野の山中で道に迷われた時、 天神が道案内に使わしたのが「八咫烏やたがらす」だと謂われる。

中国の古代説話では太陽の中にいる三本足の赤鴉あかからす八咫やたとは、長さの単位の事で、巨大なものを表す。三種の神器「八咫鏡やたのかがみ」の名があるように尊貴の意味も含んでいます。


実は道案内をしたのは、此の土地の豪族偉丈夫の武角身命たけつのみのみことで、全身真黒い衣をまとい、高木から髙木へ飛び移って天皇すめらみことをご先導した。その姿があたかも、八尺は有る大鴉の様であったので、天皇は「八咫烏」の称号をお与えになった。


全身真黒い衣を纏い、高木から髙木へ飛び移って・・・まるで忍者では無いですか?

此の豪族偉丈夫が武角であります。そうすると彼は2000年以上生きていることになる。そして聖徳太子が使っていた情報員を志能備しのびと云っていた。此れも忍者ではないか?もしかしたら忍者らしき衆は神武天皇の頃から続いていたのではないか?其れが須佐一族を考えた出した発端であります。


今回は重く難しい歴史に手を染めた。言葉も進行も結構考えながら進めました。「天皇の軍隊」であればマッカーサーを出さない訳にはいかない。

史実を含めて書きましたが、此の時代は膨れ上がる程に色々な人々が動いている。連合軍、政治家、日本軍人、民間人、皇居の人々。


フェラーズは柳田国雄の孫に彼の本を渡した。中には多分、色々調べ上げた資料やらメモやらも入っていたはずです。

「須佐妖戦帖-暗黒口縄」の中で須佐之男がのたまう。

「先生の話をまともに聞く人は此の時代には出て来ないよ。小泉(小泉八雲)さんが一番の理解者だったね。けど、何代か後の先生の子孫が其の学問を受け継ぐよ。其の時、時代は変わる」

「俺の子孫?やっぱり、お前、未来が視得るんだな!」

そう云うと、須佐之男は消えた。


孫、隆は須佐之男に会ったと云う。頭を撫でられて消えた。

わたしには、隆に何か力を授けたと思える。

それは後々に語られるものかもしれません。

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