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須佐妖戦帖 第4章「マッカーサーの憂鬱」  作者: 蚰蜒(ゲジゲジ)
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其の1 ボナー・フェラーズ

大東亜戦争(米国側では太平洋戦争)は1945年8月15日、天皇陛下の玉音放送により終結した。天皇のお言葉によって7000万の兵士が武器を放棄し、日本は敗戦した。


同年8月30日、日本を裁くべく、ダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に到着した。日本占領連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官兼アメリカ極東軍最高司令官としてである。

9月2日、横須賀沖に停泊する米戦艦ミズリー号上で日本降伏文書調印式に出席。調印後、GHQ総司令部を横浜から皇居真向かいの第一生命ビルに移し、日本占領行政を行う。


日本は9月2日までの其の間、正式に条約降伏した訳では無い。ソビエトは15日以降も日本の領土であった北方領土に侵入し、北海道を奪うべく虎視眈々としていた。降伏文書に日本が調印したことにより、ソビエトは北海道を諦めた。


マッカーサー一団の中にボナー・フェラーズ(Bonner Fellers, 1896年 - 1973年)准将が居た。心理戦・情報戦のエキスパート、総司令官マッカーサーの軍事秘書である。フェラーズは日本文化に造詣が深かった。


彼は1918年に陸軍士官学校を卒。1936年2月よりフィリピン軍管区司令部附兼フィリピン軍事顧問参謀になった。マッカーサーとケソン間の連絡係が主であった。以後、重責を歴任し、1944年11月、マッカーサー南西太平洋地域司令官のもと、軍事秘書官になっている。以後、1945年6月、マッカーサー米太平洋陸軍司令官・軍事秘書官。マッカーサーからの信頼は可成り厚かったと思われる。


フェラーズは既に親日家・・・と云うよりオタクであったと思う。

1914年、彼はインディアナ州リッチモンド・アーラム大学に入学。日本の女子英学塾留学生(創設・津田梅子 後の津田塾)、渡辺ゆり(結婚後、一色ゆり)と親しくなった。

1911年、渡辺ゆりは河合道(かわいみち~女子英学塾教授。日本YWCA創設者内、後、東京・世田谷に恵泉女学院を創立)と津田梅子の推薦で同大学留学生として学んでいた。

彼女は5年間学び、フェラーズとは最後の2年間を共にした。そして、彼は渡辺ゆりから聞いた日本に興味を深めた。


1916年、第一次世界大戦中、アーラム大学を中退し陸軍士官学校に進んだフェラーズは、18年に卒業し、21年、フィリピン駐留になり、後、休暇を利用して日本に初来日し、渡辺ゆりと再会する。彼女から河合道を紹介された。

後、占領時、フェラーズは河合道の助言を頼りにするようになる。此の時は夢にも思わなかったろう。


○フェラーズの手記から一部抜粋簡潔文。

日本を善く知るにはどうすればいい?

私は、ゆりに尋ねた。「ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)よ」と彼女は答えた。「外国人だけど日本人を善く理解しているし、文章も美しい。日本に西洋を紹介した。でも・・・」と、ゆりは言った。「でも?」「彼はクリスチャンじゃないから好きじゃないの」

私はハーンの全著作を集め、読破したと思う。

 

1930年、ドロシー夫人と共に新婚旅行にてフェラーズは再来日し、東京西大久保の小泉家を訪ねた。宅では妻セツが応対した。有名なハーン著「怪談」は、セツがハーンに語った日本古来話である。ハーンは興味を持ち、文にした。ハーンはセツに「モット、キキタイ、モット、キキタイ」と強請せがんだと云う。


1904年9月26日、西大久保の自宅で兼ねてからの病でハーンは心臓発作を起こす。「ママさん、先日の病気また帰りました」とセツに告げ、其の侭亡くなった。享年54。雑司ヶ谷に葬られた。

36歳で未亡人になったセツは、途方に暮れた。ハーンの親友、米海軍主計官ミッチェル・マクドナルドはハーン著書の印税やらで一家に収入されるよう、尽力した。セツは、ハーン亡きあと30年近くを生き、3男1女、4人の子供を育て上げた。1932年2月18日、動脈硬化の病にて逝去。享年64。雑司ヶ谷、ハーンの隣で眠りに就いている。


セツは歓待した。

「パパさんのファン?米軍の高官さんが?其れは、其れは」

「奥様に会えるのは感激です。ハーン先生の本は貴方との共作だと聞きました。先生は日本人を理解した、初めての西洋人であったろうと思います」

「パパさんは学生たちにも人気者だったけど、海の向こうからのファンは嬉しいです」

「ハーン先生のお弟子さんにも会いたいです」

「お弟子?そんなのいるのかしら?お弟子では無いけど、パパさんが気にしていた面白い人が居ますよ。此処にも何度か来ました。今も偶に顔を出してくれますよ」

「何と云う方ですか?」

「文京の元阿鼻あび大学副学長、考古学教授・柳田国緒先生。パパさん、生前、わたしの意思を継ぐのは彼です・・・って云っておりました」

「柳田国緒先生・・・」

「ミスターフェラーズ、怪談、読んでいただけました?」

「当然です。大好きですよ、恐い話。特に耳なし芳一」

「古事記は?」

「ハーン先生は古事記を知って日本に興味を持ったのでしたね。一級品の神話です」

「なら大丈夫。柳田先生は考古学者だけど、オカルトの権威でもあります」

「でも、わたしはオカルトを学びに来たのではありません」

「本当の日本を知りたいのでしょう?なら是非会った方が善いと思います。彼は天皇や側近達と繋がりを持つ人です」

「天皇?!」


後日、セツを通してフェラーズは柳田に会う約束を交わした。

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