ある若者の告白
少し前に書いていた物ですが、どうもしっくり来なくて後に回していました。
お読みいただければ幸いです。
「ぶちょー」
「んー?」
今日も今日とて織谷の呼び掛けに敬意が宿る気配は無い。振り返ると俺の差し入れた板チョコかじってるし…毎年知り合いに箱単位で代理購入して貰う長さ三十センチ程の特大板チョコをくれてやったんだが、織谷は子供みたいに嬉しそうにかじりついてた。
とはいえ、完全脱力系の声音の中に、少しだけいつもと違う空気を感じて緊張する。どこか話しにくい空気で…若けぇのがこういう空気を醸し出すときは、まぁ辞める時か大失敗をしでかしたときだが、それにしては絵面に緊張感がない。
「どした?」
極めて平静を装い応えを返す。正直、唯一の直属に辞められたら俺の評価は駄々下がりだし、繁忙期に向けて鍛えてきた部下を失えば当分補充の宛はない。ここは配属人員二名しかいない特殊すぎる部署なのだ。
そして何より俺自身、織谷を気に入っていて、まぁコイツに辞めるとか言われたら、ちょっとショックがデカいんじゃないかな。
ましてや特大の板チョコかじりながら辞意を告げられるとか、正直浮かばれなさすぎて目から塩水こぼれそう…
「あー、えーとあの…実は4月から…」
あ、これやっぱ予想通りってヤツだ…やばい泣きそう。しかも転職先まで決まってて引き留められないやつっぽい。ちょっと上を向いとかないと色々溢れちゃいそうで…参ったなぁ、いつの間にか俺、思ってたよりもコイツのこと好きだったんだなぁ…なんて思いながら、何でもないように誤魔化して先を促した。
「あーうん、4月から?」
正直良い歳したオッサンに泣かれてもドン引きだよな。こちらから促してやったことで話しやすくなったのか、少しだけ表情を緩めた織谷がその結論を言の葉にのせる。
「メキシコ転勤らしいんスよ」
「…は?」
いや? いやいやいや?
ちょっと待って? ウチに海外支社とか有った?
「は?」
「いや、自分もスッカリ忘れてたんっスけど、どうも採用面接ん時に海外支社の立ち上げとか興味あるかって質問に、はいって言ってたらしくて」
「おまっ、自分で言ったことだろう?」
「いや~」
って言うか有るのか? 直属の上司すっ飛ばして転勤辞令とか…いや、まぁあるか。きちんとした大企業って訳でもないし。
元は業界内でも上位5指だったが、今となってはその一部門を切り離した立派な中小だ。重石の無くなった幹部達の暴走はまぁ有りうることだった。
「正式な話はこれからってことですけど、自分が断らなかったんでほぼ決定だそうで」
そういえば忘れていたけど、織谷は帰国子女だった。十歳までなんとかいう国(忘れた)で過ごし、その後、帰国してボッチだったところを近所のサッカーチームに誘って貰ったことで友人を得たと聞いた…気がする。
「英語も話せないし向こうの言葉も、もう話せないですけどね」
と、恥ずかしそうに言ってたな。
織谷と別れた帰り道、雑居ビル三階の焼き鳥で、ホッピー(赤)を煽り、いぶりがっこをツマミながら考えた。正直、まだ三杯めなのに頭がぐるぐる回る。
「一年で帰ってくる」とか「でも帰国後の配属はどうなるか不明」とか、色々と聞いた気はしていたが、なんだか気が抜けてしまったような、なにかを失ったような、なんとも言えない気持ちのまま、ふらふらとタイムカードを捺してきてしまった。
そういえば出国前に飲みにつれていってくれ言ってたなぁ。
その日、俺は自分がどんな気持ちなのかも良く分からないまま、何となく一人になりたくなくて、更に三軒はしごして帰った。
…財布は空っぽになった。
お読み頂きありがとうございます。