第3話 俺の養成所とは
声優の養成所……と聞いたら、その道を全然知らない者はどう思うだろうか?
”声優を育てるための施設”、”声優になるための施設”
今あげた答えは、どちらも間違いではない。
声優になるためには、いずれにせよ専門学校か養成所に行く必要がある。
俺は養成所に通っているわけだが、確かに声優の色々は学べる。
おそらく、声優になることができたら、それなりの仕事はこなせると思う。
しかし、それは声優になることができたら……という、夢物語にすぎない。
養成所に通っているからと言って、誰もが声優になることなんてできない。
逆に、なれないやつの方が圧倒的に多い。
養成所というのは、言ってみれば一種の”戦場”なのだ。
自分だけは生き残りたいと他の奴らを引きずりおろして、
そうしてまでプロダクションの所属を勝ち取りに行くのだ。
俺は正直、養成所なんて大嫌いだ。
レッスンがあるときは講師に気に入られようとみんな必死に猫被って、
そしてレッスンが終われば、化けの皮も剥がれて一気に凍てついたような場になる。
そんなとてつもなく居心地の悪い場所、俺は大嫌いだ。
けど……声優になるという俺の夢は変わらない。
いくら居心地が悪くとも、俺はなんとしてでも生き残らなければならない。
だって俺はいつか……超有名イケボ声優として活躍するんだからな!
……言ってる自分が、今一番虚しい……
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「なあ、和飛」
「んあ? なんだよ?」
只今絶賛レッスン中のなか、栗田が無神経に俺に話しかけてきた。
レッスンでは基本的に私語厳禁なので、見つかったら栗田はもちろん俺も叱られる。
なので俺はあまり関わりたくないように少し冷たげに言ったんだが、
栗田はもちろんその俺の思惑に気づかずに、次の言葉を口にした。
「和飛、今日研修科に”あの人”が来てるって知ってるか?」
「”あの人”……ってどの人だ?」
「やっぱお前は知らなかったか、ほらここのプロダクションのエースだよ」
「え、ってことはあの武藤英徳さんが!?」
「ああ、本当羨ましいよなー聖乃のやつ」
説明しよう。
武藤英徳、声優人気ランキングでは常に1位を独走する超人気声優で、
顔が美形でイケメンなのもさることながら、落ち着いた芯のある声は業界一。
アニメ、歌手活動、舞台公演、番組のナレーションなどを
精力的にやっていて、その実力はベテラン声優までもが認めるもの。
彩音が出演していたラブメモリーズの主人公役もこの人が声を務めた。
ああ、俺も一度会ってみたいな……
「でも、なんでそんな超人気声優がこんなクソみたいな養成所に来てるんだ?」
「少しは自分の養成所に悪態つけるのやめろよ……
まあ、おそらくプロダクションが頼んだんじゃねーの?」
プロダクションというのは、声優のマネジメントをする会社のことで、
言って見ればプロダクションに所属することが声優になるということなのだ。
そしてこの養成所は虹色プロダクションというプロダクションが運営している養成所であり、
講師もそのプロダクション所属の人がほとんどである。
虹色プロダクション養成所……これが、俺らが通っている養成所の名前だ。
そして、そのプロダクションの代表的声優が、武藤英徳さんなのだ。
「なるほどな……ここには来ないのか?」
「来るわけないだろ、所詮ここは基礎科なんだよ……」
「……そんな悲しくなるようなことを言うな」
「俺はただ事実を述べただけだチクショー!」
「俺も早く研修科に行きたいな……」
「和飛が?」
「……お前な、俺だっていつまでもこんなクラスにいたくないんだよ」
「そうか? 俺は結構このクラス気に入ってるぜ?」
「冗談言うな、俺はこんなクラス抜けて早く声優になりたい」
「色々と順番が抜けてる気がするんだが?」
「夢は高く持たなきゃな!
とりあえず、今日このレッスン終わったら聖乃に話聞いてみよう」
「ああ、そうだな」
「そろそろ終わったかな?」
「「っ!?」」
俺と栗田が顔を一緒に見上げると、そこには見飽きた顔がしかめっ面をして立っていた。
……言うまでもない、俺ら基礎科の担当講師だ。
はぁー……穴があったら入りたい。
「私が言いたいことは、もう分かるね?」
「「は、はい……」
結局その後、俺らはレッスンの間ずっと立たされて恥を晒しましたとさ。
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「……ずいぶん遅かったね、二人とも」
「ああ、どこかの栗田さんのおかげでな」
「お前も喋ってただろ? お互い様だ」
レッスン終了後、俺らは講師にこっぴどく叱られ、
今はいつもの待ち合わせ場所の喫茶店にいる。
まあ、これが初めてじゃないというのでもう慣れたんだがな。
「それより聖乃」
栗田が話題を逸らして、聖乃の方に体を向けた。
おそらくあのことについて聞くんだろう。
「今日……あの武藤英徳さんが来ていたのは本当か?」
「そう! 情報早いね!」
情報早いも何も、養成所内のビッグニュースになってたぞ。
ま、まあ俺は栗田から聞いて知ったけど……
「それで……どうだったんだ?」
「うん……本当に、本当に……かっこよかった」
「いやそっちかよ!」
俺の見事すぎるツッコミがさく裂した。
「うん! 和飛の何十倍もかっこよかった!」
「それは比較対象が比較にならないくらいの奴だからな。
俺を比べたら栗田までもがイケメンって言えるぞ?」
「自分で言って悲しくないのか、和飛?」
「……言わせるんじゃない栗田」
こいつら、本当にいい性格してるぜ、全く。
「まあ冗談は置いておいて、声は本当にきれいだった」
「生で聞けたのか?」
「うん、思わず鳥肌が立っちゃった」
「俺も聞きたかったな……あの人、お兄ちゃんの役結構やるし……」
「お前は結局それが重要なんだな」
「兄を疑似体験できるとか、そんな夢みたいな話あるか!?」
本当に単純だな、兄なんて所詮はこき使われて終わりだぞ。
それが妹だったら尚更な……ちなみに実体験だ。
「まあともかく、本当に会えてよかった!」
「俺も研修科だったら今頃聖乃と同じ気分なんだろうな……」
と、俺が特に何の意図もせずそう言うと、突然聖乃が、
「あっ!」
と、喫茶店にいる客がこちらに視線を集めるほどの大声を出した。
「お、おい聖乃! 声が大きい!」
「あっ、ご、ごめん」
「どうしたんだ? サイン貰うの忘れたのか?」
「ち、違う、サインはちゃんともらったけど……」
そう言うと、聖乃は真剣な眼差しで俺に訊いてきた。
「和飛、武藤さんとその……親交があるの?」
「……え?」
まさか過ぎる質問に、俺は思わず声を裏返してしまった。
しかし、聖乃の顔を見る限り本当に聞きたいんだろう。
「武藤さんと親交なんてこれっぽっちもないし、話したことだってない。
大体あっちは俺のことなんて知らないんじゃないか?」
「いや、そんなことないよ」
そう言うと、聖乃は自信満々に腕を組んだ。
「だって、”このクラスに伊吹和飛君って人はいるかい?”って言ってたもん!」
「本当か?……なんで俺のことなんて知ってるんだ?」
「分からないけど……いないって言ったら、少し残念そうな顔してたよ」
「武藤さんどんだけ俺に会いたかったんだよ」
「とにかく! 本当に武藤さんと会ったことないの?」
「ああ! 栗田に誓って言うよ」
「俺は神様か」
実に不気味というか、不思議な話だ。
俺みたいな基礎科にいる奴のことを、フルネームで覚えてるか?
しかも何の成果もないのにだぞ?
どういうことなんだ? 武藤さんは、いったいなぜ俺がいないことを残念がった?
「……まあ、考えても仕方ないか……」
そうして、伊吹和飛たち御一行は、ひたすら喫茶店でそのことについて
論議しあっていましたとさ。