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「アルフレート?」


 この世界での名前を呼ばれ、はっと頭を上げた。

 黒板らしきものの前に立つシスターの、心配そうな瞳と目があう。

 周囲の子供たちも椅子に座りながら、こちらを不思議そうな顔で見ているのが分かった。


「どうしました? 具合でも悪いのですか?」


 心配そうな声色で話しかけられ、先ほどまでの自分の状態を思い返す。

 考え事をしていたせいで先ほどまで俯いていた。

 その様子が具合が悪く、顔も上げていられない状態に見えたのだろう。


「おにいちゃん?」


 すると右隣から、今ではもう聞き慣れてしまった呼び方が聞こえた。

 首だけ動かして隣を見ると、不安の色を宿した翠玉を彷彿させる瞳の少女と目があった。


「大丈夫だよ。ぼーっとしてただけだから」


 隣にいる少女にだけ聞こえるように小声で喋る。

 余計な心配を掛けてしまったようだ。

 俺の言葉に安心したのか、少女はほっとしたような表情を浮かべた。

 以前は違う子供が右隣の椅子に座っていたと思うのだが、いつの間にかこの子が座るようになっていた。

 席を交換してもらったのだろうか。


「すみません、少しぼーっとしてました」


 今度は前にいるシスターにも聞こえるよう少し大きな声で喋る。


「そうですか。でも本当に具合が悪いときは隠さず言ってくださいね。皆もですよ」


 俺が素直に謝ると、シスターはそれ以上の追求はせず、今行っている授業の説明へと戻った。

 子供たちも俺の言葉で興味を失ったのか、シスターへと向き直っている。

 今は数字の計算、つまり算術を教えてもらっている時間だ。

 先んじてそれを既に覚えていた俺は、シスターの説明を聞きながら別の事を考えていた。




 ――授業が終わった後の自由時間。

 いつものように、服の裾を摘ままれながら、本の部屋へと足を運んでいた。


「えほん、よんで」


 部屋に入り、本棚を背に既に定位置となった硬い床に座ると、いつものようにお気に入りの絵本の朗読をねだられた。

 小さな両手で絵本が掲げられ、視界が見慣れた絵本の表紙で埋まる。恐ろしい竜と、剣を持った鎧姿の一人の男性が描かれていた。

 いつもなら苦笑しつつも読んであげるのだが、今日は少し違う。

 読む前にどうしても話さなければならないことがあるからだ。

 軽く深呼吸し、銀髪の少女の名前を初めて呼んだ。


「アリシア」


 唐突に名前を呼んだせいだろうか、絵本を持つ両手が、ぴくっと動いた。

 少しして目の前の絵本が下がり、俺の目にポカン……と口を開けている女の子の顔が映り込む。


「なあに、おにいちゃん」


 しかし少女が呆けていたのもほんの数瞬で、すぐに天真爛漫な笑顔を俺に見せてくれた。

 名前で呼ぶことを嫌がられたりしないか少し心配だったが、杞憂であったことに胸を撫で下ろす。

 いつもより嬉しそうに返事をしてくれたように見えるのは、気のせいではないと思いたい。


「アリシア、大事な話があるんだ」

「だいじなおはなし?」


 再度、少女の名前を呼ぶ。

 大事な話があるといった俺の言葉に、少女はきょとんとした表情を浮かべ、首を傾げた。

 アリシアのオウム返しの問いに首肯で返し、話を切り出した。


「俺はね、十歳になったらこの孤児院を出ていこうと思ってるんだ」

「いっしょにいきたい!」


 俺の言葉に、やや食い気味に妹は声を上げた。

 少しは驚くかと思ったのだが、そんな素振りは全くない。

 いやそもそも勢いで返事をしただけのようにも見える。


「いいのか? 外は危険が多い。何があるか分からないんだぞ?」

「おにいちゃんがいるからだいじょうぶ!」

「外には凶暴な獣や、恐ろしい魔物も、うようよいるんだぞ?」

「おにいちゃんがいるからだいじょうぶ!」


 俺がいるから大丈夫、か。

 外の世界の怖さが分からないのだろうか。

 まだ三歳だ。分からないのも無理はないか。

 いや、俺も外に出たことはないから厳密には分からないのだが。

 俺が一緒なら安全だと思っているのか。

 信頼されているのか、頼り切っているだけなのか。

 そもそも、俺のどこに信頼できる要素があるのか分からない。

 一連のやり取りで、鼻息が少し荒くなったように見える少女は、真っ直ぐな瞳を俺に向けていた。

 今はまだ、幼さ故に兄と慕う俺と離れたくないだけなのかもしれない。

 それに五年も経てば気も変わるかもしれない。

 五年経ってそれでも気が変わっていなければ一緒に行こう。

 そう思い、少女の少しくすんだ銀色の髪へと右手を伸ばした。


「アリシア、五年後、一緒に外に行くか?」

「うん!」


 とてもいい笑顔だった。



 ――木々が生い茂り、小鳥のさえずりが聞こえる中、俺は歩き慣れた道を歩いていた。

 久々に森の中へと向かっている。しかし、前とは違って今日は一人ではない。

 後ろを首だけで振り返ると、銀色の頭がぴょこぴょこ跳ねているのが見える。

 森に入るのは初めてなのだろうか、とても楽しそうだ。


「もうちょっとで着くよ」

「うん!」


 気分が高揚しているのだろう。とても元気がいい返事が少女から返ってきた。

 小さな手に握られた俺の右手が、それにつられて跳ねる。森の中ではぐれたらまずいので、今回は手を繋いでいた。


 少し前、本の部屋で五年後に一緒に来たいといった返事をした妹に、一度えんじ色の本を見せてみた。

 最初に開いたページは俺が最初に唱えた魔法のページだ。

 

「うぉーたーぼーる?」


 たどたどしい口調だったが、きちんと読めたので、魔法の練習はできるのだろう、と結論づけた。

 あの本が魔法の才がある人しか読めないのか、それとも誰でも読めるのかは俺にはわからない。

 しかし、読めたということは少なくとも呪文はわかるわけで、呪文が読めれば魔法は使えるようになるのかもしれない、と思ったのだ。

 と言ってもその前に魔力を制御する練習が必要なのだが。

 とりあえず妹も魔法が使えるようになるかもしれないと思い、この頃全く訪れていなかった森へと久々に出向いていた。

 まずは、魔法がどういったものか見せ、どう練習すれば使えるようになるか説いたほうが理解が早いだろう。

 やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。というやつだ。

 いや、少し違うか。

 魔法を教えるのは五年後を見据えてだ。

 小さな子供でも魔法が使えれば、魔物や獣から逃げることはできるだろう。

 勝つ必要なんてない。要は死ななければいいのだ。

 初級の中でも目眩ましや防御に使える魔法はある。それを優先的に学ばせるつもりだ。


「さぁ着いたぞ」


 そうこうしているうちに、見慣れた場所へと着いた。

 そこは少し開けた場所だった。

 頭上からは暖かい日の光が降り注ぎ、草花も色々な種類が咲き誇っている。

 少し遠くには、何かを撃ち付けられたかのように幹が陥没している木もあった。


「おはな、いっぱーい」


 妹は嬉しそうに地面に咲いている花を見て、はしゃいでいる。

 そういえば孤児院には小さな花壇しかなかったな。草花といえど、これだけ多くの花は初めて見るのだろう。

 魔法の練習だけじゃなく、普通にここに連れてきてあげればよかったかな。

 まぁこれから何度も来ることになるだろうから問題ないか。


「アリシア、ここに来たのはね、見せたいものがあったからなんだ」


 小さな手を握る自分の右手に軽く力を入れる。


「みせたいものってなあに?」

「これだよ」


 そう言って、繋いでいた右手を離した。

 近くの木の枝に右手の照準を合わせる。


「冷涼なる流れを以って、穿て、水球(ウォーターボール)


 無詠唱では行わず、しっかりと呪文を唱え、魔法を発動する。

 自分の中にある魔力が胸から肩、腕を通り抜け、開かれた手の平に集まるのが分かる。

 最初は水滴程度にしか滲み出なかった初級魔法も、今ではしっかり手の平に、籠球に使う大きさ並みの水の球形を成した。

 魔力を水に変換し、形作られた球体はしかしその場だけに留まらず、カタパルトに射出されるが如く勢いよく狙いを定めた木の枝へと飛んで行った。

 木の枝をへし折った水の弾は、しかし勢いが衰えることなく続けざまに何本もの枝を分断する。

 遂には、壁に弾丸を撃ち付けらたような衝撃音と共に、大きな陥没を木の幹へと作り出し弾け飛ぶように消滅した。

 最初の陥没よりも大分大きいことに自分の魔力の量や制御が上達していることに気づいた。

 魔力制御を毎日行っていたことは無駄ではなかったようだ。


「どうだい? 凄いだろう?」


 威力が上がっていることに少し気分が高揚していた俺は、隣で見ていたでろうアリシアに、喜々として尋ねた

 へし折った枝の破片が当たるのはまずいと思い、妹に対して透明な魔力障壁を張っていたので、怪我はないはずだ。

 この子は目を輝かせながら喜んでくれるだろうか。

 俺が子供のころはテレビで見た魔法使いのアニメに大いに興奮した。この子もそういった反応をするだろう。

 と思って興奮しているであろう隣の妹を見ると、ぽかん……と大きな口を開けて《水球(ウォーターボール)》が飛んで行った方向を見ていた。

 あれ、思っていたの反応と違うな。


「おにいちゃん、いまびゅーんってなんかとんでった!」


 ……幼き(まなこ)には疾き水の弾丸は映らなかったようだ。

 さすがにいい格好しようとして張り切りすぎた。速すぎて視認できなかったのでは意味がない。


「今のは水球(ウォーターボール)という魔法だよ」


 子供の目にもわかるように、今度はゆっくりとした速度で水球を撃ち出す。

 速度が足らないためか、枝は折らず小さな破裂音と共に水滴を作り出し、それは霧散した。


「おにいちゃん、まほうつかえるの!? すごい! すごい!」 


 興奮からぴょんぴょんと跳ねている妹の、エメラルドグリーンの瞳は輝いているようだ。

 今度はアリシアにも見えたようで、俺が期待していた反応を返してくれる。

 自分の幼き日の思い出にも、テレビアニメで魔法が出てくると興奮した記憶がある。

 それくらい子供にとって魔法とは憧れであり、尊敬の対象でもあるのだ。

 

「アリシアも使えるようになるよ」

「やりかた、しらないよ?」

「俺が教えるよ」

「ほんと!?」


 俺がやり方を教えるというと、アリシアはその銀色の髪を揺らしながら「やったー」と跳ね回った。

 やはり魔法を使えるということはうれしいことなのだろう。元気いっぱいに跳ね回る妹に釣られ、俺も気分が高揚する。

 とりあえず、跳ね回る妹を落ち着かせ、草が生い茂る地面へ腰を下ろした。妹には俺と向かい合って座るように指示する。

 魔法のやり方を教えるといっても段階がある。まずは魔力の制御が出来るようにならないといけない。

 あの本に書いてあった魔力の袋から魔力を自分の右手に流すイメージの訓練だ。

 なるべく子供にもわかりやすいように簡単な言葉で説明するのだが、決して頭がいいとは言えない俺の説明でどこまで理解してくれるか少し不安だ。


「なんかへんなかんじ」


 魔力制御の練習をしていると、アリシアは自分の胸や腕をぺたぺたと触った。

 どうやら自分の中の魔力の流れが解ってきたようで、身体の中に違和感があるようだ。

 魔力制御に数日かかった俺と比べると段違いに早い。

 どうやら妹には魔法の才能があるようだ。逆に俺に無さすぎるだけなのかもしれないが。

 将来は凄腕の魔法使いとして有名になるのかもしれない。行く末は宮廷魔術師か。


 一旦、魔力制御の訓練は終わりにした。

 才能があるかもしれないと分かったため、物は試しとひとまず水の初級魔法を発動させてみることにした。

 俺がやったように魔法を発動するよう、発動のイメージと呪文をアリシアに教え、彼女の開いた小さな右手を近くの木の枝に向けさせた。


「れいりょうなるながれをもって、うがて、うぉーたーぼーる」


 やや舌足らずな呪文が小さな口から紡がれる。

 未熟な詠唱ではあるが、それでも十分だったようで、彼女の小さな右手には、はっきりとした球体が水で生成され始めている。

 生成の速度は緩慢なのは、おそらくまだ慣れていないためだろう。

 ゆっくりではあるが、しっかりと球体が成されていく。

 初日からこれだけ出来るのなら、修練を怠らなければ本当に宮廷魔術師にすらなれるかもしれない。

 妹の明るい未来を想像していると、どうやら生成は完了したようで、その小さな右手から勢いよく《水球(ウォーターボール)》が発射された。

 何本くらい木の枝を折るだろうか。あまり折りすぎると森林破壊になってしまうだろうか。

 というか俺も結構な数折ってるし、そろそろ自重すべきだな。別に破壊衝動があるわけでもないのだし。

 そんな思いに耽りながら、妹が放った《水球(ウォーターボール)》はすぐ霧散してしまうだろうと思っていた。

 しかし俺の予想に反し、アリシアが発動した水球は一切の放物線を描くことなく、その進行方向のすべての木の枝を分断し、しかしそれでも勢いは衰えることなく、遂には太さが数メートルほどもある木の幹に衝突し、轟音を轟かせながら貫通(・・)した。


 妹のほうが才能は上だということを俺ははっきりと自覚した。


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