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僕はここにいる

作者: 酒主

 僕はここにいる。

 僕はふとガラスの向うの人影を見る。見るといっても、僕は目が悪い。ただ、ぼんやりとガラスごしの人を感じる。

 1人、2人、3人。

 僕は目が悪い分、耳は良い。どの影がどんな事を言っているのか、聞き取れる。

 今日はとても、雰囲気の悪い日だ。

 水の中、前の奴が糞をした。今日に限ってのことじゃない。毎日毎日、繰り返される。それを顔に浴びながら、ひれで流す。前の奴が、と言ったが、もしかしたら、自分の糞が、廻りまわって流れてきただけなのかもしれない。

もう、どうでもいいじゃないか。

 相変わらず、水の底はぬめぬめとどろどろが交りあった様な、感触で。何だろう、何で今日はこんなに憂鬱なのか。

「あの子のこと、私、何もわかってなかったのよ」

「そんなに自分を責めるな」

 何百回も繰り返されたガラスごしの、この会話。僕はもう慣れっこのはずなのに。何だ、何なんだ、どうしようもなく気分が悪い。

 そのうち、ぷくぷくっとした可愛い男の子がこちらに寄ってきた。

 4歳と7ヶ月……。

 何で知ってるって?

 当たり前じゃないか。僕の弟なんだから。

 9歳も離れた弟。はじめは厄介な者が家にやってきた、としか思わなかったが、歩く様になり、しゃべるようになった。

「にーに」「にーに」と僕を追っかけまわす、ちっこい弟。そのうち僕にとって弟は、とても大きな存在になった。

 澄んだ目は、僕を真っ直ぐ見る。

「きもい」「汚い」そう言って僕をバカにする連中たちの目とは、ほど遠い。崇高で、神秘的で、純粋な魂が放つその光は、僕を真っ直ぐ見る。

 真っ直ぐな光は、僕を照らし、僕は救われた気分になる。

 差し出された、ぷくぷくっとしたまん丸い手が水の中に入ってくる。

 そう、僕のいる場所に。

「シュンちゃん、ダメッ。汚いじゃない。おてて洗ってきなさい」

 ガラスごしのもう1人の影。

 母親。

 僕はここにいるじゃないか。なんで、汚いなんて言って、弟の手を引っ込めさせたりするんだ。

 弟はふくれっ面をして、僕のいる水槽の水をかきまわした。

 洗濯機の中のように、ごぼごぼと音をたて、円状の流れができる。僕達は、否が応でもその流れに乗らざるを得なくなった。

「これっシュン!」

 一瞬。

 一瞬だったが。

 僕の体が、弟の手と重なった。

「やった、とっと、とっと触った」

 熱い。

 人間の体はこんなに熱いものなのか。

 弟の手で僕は火傷をしたような感覚に陥った。

 ふと、人が泣く声がした。

 まただ。

 また、泣いている。

 僕の母親。

「あの子も、魚が好きだったわね。毎年、たくさん金魚を買ってきて、水槽で飼うの。シュンが女の子だったら良かったのに。どうしても、あの子の姿を重ねてしまう……」

「女の子だったとしても、あの子の影が消えるわけじゃない」

「でも、あなた」

「とことん、悲しんであげよう。あの子を想ってあげよう」

 いいこと言うじゃないか。

 父親は何も言わないが、大好きだった。一緒にペットショップに行って、いろんな魚を見せに連れていってくれたり。勉強なんて、できなくても、お前らしく生きればいい。

 僕は父の一言だけで生きてこれた。

 ん?

 死んでいるのか。

 僕が魚になったということは、そういう事か。

 僕をいじめた奴らは、警察のお世話にでもなっているのだろうか。それとも、何食わぬ顔をして世の中を闊歩しているのか。

 どうでもいい。

 そのうち、僕は体の異変に気がついた。

 弟が触れた部分は、白く変色し、ぼろぼろぼろぼろ僕の体から、僕がはげ出した。

 壊れていくのがわかる。

 ぼろぼろぼろと。

「おいっ。病気じゃないのか?」

 ぼろぼろはがれ落ちる僕の異変に気がついたのか、父親が覗きこんだ。

 僕はもともと死んでいる。

 病気になってはがれ落ちたところで、これ以上誰も悲しみなんかはしない。

 数日がたち。

 僕は醜く破れて、文字通り、ぼろぼろの紙くずみたいになった。

 体は自然と宙に浮き、水の底には戻れなくなった。あえぐ様な呼吸の音を聞いた。自然と苦しくない。水面に差し込む光が、紙くずの様な僕の体に差し込む。

 天国にやってくれるのか?

「とっと、死んじゃった。とっと」

 僕は弟の手の平にいた。

 父親も覗き込む。「かわいそうに」

 庭のかたすみ、僕が小さい頃、埋めたどんぐりの横に埋められた。

 今度は真っ暗だ。今までより、もっと悪い。

 3人の声も影も感じることができなくなった。

 僕はこのまま、土の中で過ごすのだろうか。


 やがて、朽ち果てていく僕の体に、ギューンと痛みがはしった。

 どんぐりだ。

 どんぐりが芽を出した。

 僕の真ん中を突き刺して、どんどんどんどん伸びていく。

 僕は芽の先端に突き刺さったまま、土の外へ出た。

 木は、どんどんどんどん伸び、家の屋根を追い越した。

 良かった。また、家族の姿を見ることが出来る。

 今度の僕は、魚だった僕の時より目がよく見えて。

 弟の可愛い顔も、はっきりと見えるようになった。

 弟は小学校にあがったのか。

 立派なランドセルを背負って出かけていく。

 また、痛みが走った。

 全身を駆け巡るような、電気の。痛い、痛い、痛い。

「痛い!」

「……」

 光が飛び込む。僕の目に。死んだはずの僕の目に。

「あなたっ、あなたっ。まもるが、衛がっ」

 また、魚に戻ったのか。

 目がよく見えない。

 誰かが、僕の手に触った。

 手。

 長いこと忘れていた僕の一部分。

 父親か?

 僕に覆いかぶさって、頬をよせる。父親の涙が滴り落ちる。

 そして、僕の手にぷくぷくっとした小さい手が重なり合う。

「シュ、シュンか」

「衛、衛、お母さん、衛が」

 僕は生き返った。

 魚になり、どんぐりの木になり、この世に戻ってきた。

 

 僕はもうちょっと経って、意識がはっきりしてから気がついた。

 僕の枕元にある袋に。

 どんぐりがいっぱい入っていた。

 僕が治るようにと

 弟が毎日毎日、どんぐりを拾ってきては、その紙袋に入れたんだ。

 

 僕はここにいる。

 僕がそう言わなくても、みな僕の存在を感じてくれる。

 僕はそれだけで幸せだ。



 

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[一言]  依頼を受けました、でん助です。  評価されている方々は転生と言ってますが、私は意識が一時的に移っていただけに感じました。  個人的には人間から金魚になって生き続けるより、こう言った救いが…
2008/04/30 17:20 退会済み
管理
[一言] こんにちは。ひだまり 陽です。作品拝見させていただきました。 金魚に転生(?) した主人公が語る世界観が不思議で、結末を読むまで不透明な感じがしたのですが、徐々に明かされていくストーリーに…
[一言] 大変遅くなってしまい申し訳ありません。ようやっと読了に至りましたので、私見ながらコメントを残させていただきます。 短編の批評は苦手なので、あまり上手いことは言えないかもしれませんが……。 …
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