第35話 (ジェイド)
食堂でクロエに大量のご馳走を振る舞われ、ジェイドは居たたまれない気持ちになっていた。何が一番苦痛かと言えば、「ユーリィ様、ユーリィ様」と呼ばれることだ。自分ではない名前を呼ばれるほど嫌なものはなく、ましてその名前がアイツのかと思うとウンザリする。
「ユーリィ様、お味はどうですか?」
「う、うん、美味しいです」
山盛りの肉に辟易しつつ、ジェイドは作り笑いを浮かべて見せた。
ジェイドの他に客はいない。宿屋も食堂も三人の貸し切りだ。けれど、ヴォルフはあの通り動けないが、もう一人はそろそろ降りてきてもいい頃だ。
「まだまだありますからね」
「あ、あの……」
「はい?」
「ユ……ジェイドを呼びに行って来ます」
とうとう堪らなくなって、ジェイドは立ち上がった。
「それなら私が……」
「いえ、大丈夫です!」
気がつけばジェイドは、フォークを片手に逃げるように食堂を飛び出していた。宿部屋へと一目散に階段を駆け上がる。
(いつまで寝てるんだよ、アイツ)
ユーリィの部屋に行ってノックを繰り返したが出てくる様子もなく、業を煮やして扉を開け放ったが、中はもぬけの殻だった。
(ヴォルフさんの部屋かな)
ジェイドの部屋を挟んで反対側の扉へと近付くと、少し開いている隙間から二人の話し声が聞こえてきた。
声をかけようと口を開きかけたジェイドだったが、二人の関係がずっと気になっていたことを思い出し、悪いとは思ったが盗み聞きをすることにした。
「……だから、もうその話はいいってば」
ユーリィの声だ。どうやら少し苛ついているらしい。
「けど、君にあんな真似をした自分がどうしても許せないんだ」
「ヴォルフは金髪碧眼に抱き付きたくなる病気だから仕方がない」
(えぇっ! ヴォルフさんが!?)
驚きのあまり叫びそうになるのを、ジェイドは慌てて自分の口へと手を当てた。
「はぁ?」
「だってそう言ったぞ、お前。違うの?」
「いや、青い眼が好きだと言ったのは、誰でもいいわけじゃなくて……」
「ジェイドの眼が青くなくて残念だった?」
「そんなわけがないだろう」
目眩がする気分で、ジェイドはそっと扉の中を覗いてみた。
ベッドの上で、困り果てたような表情のヴォルフがいる。頬に貼ってある白い布も、肩に巻かれた包帯も痛々しい。足に刺さった木片は昨日のうちに取り除いたが、きっとまだ痛むだろう。そんな痛々しい彼を、脇に立つユーリィが食い入るように見つめた。
「僕の髪や眼が黒かったら、あの森で引き返さなかった?」
「あのな、ユーリィ。あの時言ったのは、つまり俺は君を好きだってことを……」
「それは何度も聞いてるよ。でも何で僕なのかが分からなかったんだ。まさか金髪碧眼が理由だとは思わなかったけどさ。ジェイドの目は青くないから、アイツに危険はないよな?」
ヴォルフが吐いた溜息が、ジェイドの耳にまで聞こえてきた。
「俺の好みの話は不毛だから止めよう。とにかくあのことをちゃんと謝らせてくれ」
「もしかしてお前、成功報酬が欲しくてゴネてるんだろ?」
「別にそんなつもりはない」
「でもダーンベルグが死んだ以上、懸賞金は出ないしさ」
「そもそも、あの野郎が懸賞金を出すつもりがあったのかは疑問だけどな」
「それもそうか。実行犯はアイツの飼い犬だったんだから」
(やっぱりオレも金はもらえないのか。あんな目にあって無報酬はキツいな。イワノフから出してもらえないのかなぁ)
二人の会話でジェイドも少々凹んで足元を見た。別に戦闘したわけじゃないけれど、殺されかけたのは間違いないのだから。
「仕方ないなぁ。今回は特別だぞ、お前が動けないからするんだからな。じゃなかったら危険だし。もう二度としないから覚えておけよ」
ブツブツと口の中で呟くユーリィの声が聞こえてきた。
ジェイドは再び目を転じ、二人の様子を窺い見る。すると、思ってもみなかったことが目に飛び込んできて、瞳孔が開くほど驚いた。
ベッドの方へ乗り出すように、ユーリィが爪先立ちになる。その顔をゆっくりヴォルフへと近付けると、唇を彼のそれに寄せていった。
初めは軽く触れる程度だったのだが、離れようとしたユーリィの頭を、ヴォルフが動く方の腕で引き寄せる。その後、二人のキスはしばらく続いた。
ディープキスというものを初めて見たジェイドにとって、刺激的なその光景に呆然となるのは当然だ。心臓は飛び出すほど激しく動き、手にしたフォークを無意識に床へと落とす。その音が室内にも伝わったのか、ユーリィがヴォルフからパッと離れた。
ジェイドと目が合った瞬間、ユーリィの顔が見る間に赤くなった。その表情は驚きのために硬直している。
ユーリィは数秒固まった後、突進するように近付いてくると、一歩後退したジェイドの腕を掴んだ。何の抵抗も出来ないままに引きずられたジェイドは、やがて廊下の隅へと連れてこられた。
「今見たことは幻想だ!」
上擦った声でユーリィが叫ぶ。
「え、あの……」
「忘れろ、絶対に忘れろ」
「たぶん忘れるのは無理かと……」
「無理でも忘れろ!」
「そんな無茶苦茶な……」
ジェイドが口籠もると、ユーリィは頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「ユーリィ?」
「最悪……」
「あ、でも似合いの二人だと……」
「似合わせるな!」
立ち上がった彼に胸倉を掴まれる。その青い瞳は怒りに燃えていた。
「と、とりあえず落ち着けよ」
「落ち着けるか」
「話し合おう。話によっては忘れてもいいから」
「本当に?」
「あ、ああ」
顔を赤らめたままのユーリィは、ジェイドの胸元からゆっくりと手を離した。




